|
わたしには、友人といえる人が驚くほど少ないです。きっと、性格が悪いからでしょう。
自分でもそう思います。初めは、自分のどこが悪いのだろう、そう悩んだこともあります。
寂しいと感じたこともありましたが、今はもう開き直っています(笑)だって、解らないんですもの(笑)
社会にでると、我慢してお付き合いしなくてはいけない上司、先輩、お客様、同僚、部下さん沢山いますよね(。。)
それが、友人だったらどうでしょう。。。わたしは、耐えられません。
自分の苦手な上司と同じ性格の友人がいたら?とても、悲しすぎます。
友人なのに、気を遣わないといけないなんて。。。
だったら、一人でいた方がいい、そう、心の中で、結論付けしまっています。
きっと、賛否両論。ですから、誰にもいえません。
それに、そんなこと話してしまったら、「じゃ、わたしとの関係は?」そう言われかねません(笑)
でも、それでいいのです。寂しい人だと思われた方、それは失礼です!!(笑)
先日、会う約束をしてた方が、キャンセルのメールをしてきました。
理由は、子供時代からの親友が自殺したためでした。
その方は、60歳を少し前にした男性です。お心の中を察すると、こちらも胸が締めつけられる思いでした。。。
後日、その男性にお会いしたのですが、彼はなぜ理由を言ってくれなかったのだろう。
どうして、どうして、なぜ?を繰り返していました。わたしは、お心を察しながらも、言いました。
『言えないほど追い込まれていたから、死を選んだんでしょう?』
「うん、だから、追い込まれる前に話してほしかった」
『話せる内容、もしくは、話して解決できる問題なら話してたんじやない?』
「でも、話してみないと、聞いてみないと解らないじゃない」
『50年近い友達に話しても難しい問題だったら?』
「例えば?」
『お二人の関係がどの位で、その方がどのような方だか判らないので、
わたしの立場で言わせてもらうと、
わたしの親友が、不治の病とか、借金が数億円あるとか相談されても、わたしは、病気は治せないし、
数億円は返せない。
もちろん、本当に治せないのか調べたり、お金についても、返さなくてもいいようにならないか、
ベストを尽くすけど、苦しんでるのはわたしじゃなくて、その友人だから』
そういうと、彼は、わたしに君は冷たいんだね。そういいました。
本当にそうですね。けれど、痛みはその人にしか分からないんですよね。。
わたしは、医療の中の尊厳死を認めています。
もちろん、家族の意見ではなく、本人の意見です。
しかし、実際に目の前に自殺しようとする人がいたら、その場に居るわたしが、どう行動するかもわかりません。
わたしは、幼い頃から同級生に比べ多くの死を見てきたように思います。
学生を卒業したときにも、今までは制服でよかったけど、これからはそうはいかないから、
喪服を買っておかなきゃ。と思ったくらいです。
そんなわたしが死を語ると、慣れてしまってるからと、そんな声が聞こえてきそうです。
けれど、そんなものに慣れるわけがありません。
何度、経験しても身が引き裂かれる思いがします。
数年前に、歳がほんの少し上の友人が原因不明で突然死したときも、歩くことも大変でした。
人はいつかは死ぬんですよね。判っているけど残されたものはたまらない。
ほんとにたまらないです。それを越えて、死を選ぶ。よほど耐えられないほどに苦しかったんでしょう。
死を選んだことがいいことだとはいいません。
しかし、死を選んだことにより、その苦しみから解放されたのだとしたら。。。
わたしは、このことが無意識の中で、友人選びの基礎的な部分になっているかもしれません。
その人の万が一のとき、その悲しみ全てを受け止められる人か。。。
この悲しみは、少ない方がいいに決まってますから。
でも、でも、わたしの性格が悪いのは事実です。
誤解されやすいし、誤解されても解くことも面倒くさいから、
本当の友人、そして縁がある人はわたしを信じてくれる。そう思っています(笑)
きっと、友人はこれからも少ないでしょうね。。。(笑)
では、またね。
|
そんな、性格の悪いあくとさんが、わたしは好きですよ!
2005/12/22(木) 午前 4:02
おとぎばなし様、うれしいです。ブログ更新楽しみにしていますね
2005/12/22(木) 午前 6:29
いつも「ではまたね」と優しくおっしゃるあくとさんに惹かれます。 2006年が、あくとさんにもわたしにも幸福な年でありますように。
2005/12/28(水) 午前 7:21
そうですね、良い年であると、いいですね。来年からは、更新できるとよいですね
2005/12/28(水) 午後 3:02
私の頭脳は、私は孤在していると考えていますが、、、身は環境連鎖の中の存在です。前者は小さな観念であり、、、後者はより広大なものですが、ともに観念です。事実は心身ですから そう単純なものではありません。、、、そういう世界観・価値観の共有できるパートナーであれば意味がありますが、、、そうでなければ、、、孤在の方が 脳は 楽です。孤在の欠点・独我を補正の為に、、それを孤高に押し進めることは必須です
2006/7/3(月) 午前 10:14
見極めるということはとても難しいわ。多くは人から理解されないかもね。でも大事なことだと思うわ。自分には手に負えないことを「ノー」と言えるのが勇氣かもしれない。何が誰にとって「最善」か?は一概には言えない。思いはあるけれど、それが「力」になるかわからない。そういう時は「お前は冷たい」と言われてもやり過ごすわ。
2006/7/3(月) 午後 2:57
法学部の講義で「バイオエシックス(生命学倫理)」というものがあったわ。例えば「脳死判定」や「妊娠中絶」の基準を考えるお勉強ね。基準はある程度、決められる。でも、いつもその基準が正しいとは限らない。少なくとも法律(判例は別とする)では決められない。でもないと困る・・・というものすごくデリケートな領域なの。デリケートなものはデリケート。動くのよ!デリケートなものはじっとしていないの!それが本質だと考えています。
2006/7/3(月) 午後 3:05
sasaki様:孤在の方が、脳は楽。それは、本当ですね。身を、環境連鎖の中におくと、ゆがみが、でるような気がします。事実は、心身。これが、おだやかでないとと、生きづらいのが、現状ですよね。
2006/7/4(火) 午前 2:06
じゅん様:多くから理解されないでしょ?冷たいといわれ、やり過ごす、パワーって、疲れないですか?わたし、それで、結局は、人と接することを、あきらめてしまったかもしれないです。結局は、逃げですね。。。
2006/7/4(火) 午前 2:57
じゅん様:法律が、正しいとは限れらない。前例が正しくても、今回は違う。そなことって、ありますよね。それが、本質。そうですね。日常の生活の中でも、忘れない様に、しなくては、いけないですよね。デリケートだから、動く。羽のような存在なんだなぁ。
2006/7/4(火) 午前 3:02
私には、親友と呼べる人がいないですね。本音を語ることの出来ないのであれば、必然的にそうなりますね。トラックバックさせて頂きました。[ 天邪鬼のひとり言 ] 嵐風人
2006/8/12(土) 午前 8:26
嵐風人様:親しい友=親友はいますが、心の友=心友は少ないかも、知れないです。。TBありがとうございます。↓も、同じ気持ちで、おります。
2006/8/12(土) 午後 1:58