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少し前の昔話、2012年の寒くなったころ、一冊の本を買いました。
一行読んでは本を閉じ、数頁を戻っては本を閉じて、
やっとのことで読み終えたのは、今年の2019年3月でした。
タイトルは「僕の死に方」、流通ジャーナリスト 金子哲雄氏の、
その日を迎える数日前までを、本人が記した本です。

その日は誰にも来るし、判っているのに、
読み進められない理由は、わたし自身が肺の病気に関わったからです。

購入した当時、わたしの友人も肺に関わる深刻な問題があり、、
自分たちの先を歩いていたのが、金子哲雄だったから、
読み進めれば、その日を認めてしまうようで、読み終えるのに6年以上も要してしまいました。

長い独り言です。聞いてもらえますか。

肺の不調は友人が先でした。
わたしは正直に言うと軽く考えていました。切除してしまえば、大丈夫なんだろうと。
だって友人の職場は世界に誇る大病院で、専門家が側にいるわけだし、
好きな時間に治療もできて、薬だって、治験だって、何だってあるわけで、
選択肢なんか他の人よりも多いんだし、本人だって医者であり専門知識があるんだからと。

医療に疎かったわたしは、知識があるからこそ、
治療が困難になることなんて思いもしませんでした。
たくさんの助言に困惑し、同僚に抱える負担を気遣い、迷い、選択肢がなくなり、
辛い症状も伝えられず、孤独と闘っているなんて知りませんでした。

自分の身体の主治医を後輩に任せるという選択も苦渋のことで、その結果、、
同じ職場内に主治医と患者がいられないとのことから、職場がB病院へと移ることになった背景も、
友人は、そのとき気づかなかったとのことでした。

友人の異動したB病院から、わたしの治療していたK病院は、電車で1本だったから、
わたしの治療が終わるころ、友人はK病院の駅まで来てくれて喫茶店で過ごしました。
お互いに食事は、既に多くは取れなくなっていたし、
学生の頃のように、アイスティーとサンドウィッチで何時間も居座って、
「じゃ、またね」って手を振って別れ、大人の時間なんて程遠い、
子供のような時間でしたけど、それだけでも十分に楽しかったです。

友人が「『じゃ、またね』は、最後じゃなくて、続くような気がする。
また会えるんだな、逢いに来れるんだなって思うから」と言うので、私たちの合言葉になりました。

この合言葉、『じゃ、またね』は、当時わたしの記事の最後には必ず書いており、
この言葉から、わたしの文章が好きになって、友達になりたいと思うようになり、
気が付いたら回診後の患者さんにも、いつの間にか使用するようになったと笑っていました。
患者さんに「またね」はどうかなと言うと、だって主治医は一生涯その人の主治医だもの、ってまた笑う。
多分、友人はバカかもしれないです。

余談ですが、わたし達は、ここで出会う前に、

彼のバイト先のM病院で医師と患者として出会っていました。
会話の中で、お互いに気が付き、虹色なような縁を楽しんでいたように思います。
この件は、わたしも友人もあの頃の仲間たちへの配慮から、公表することありませんでした。

理由は、わたしや、あの頃の仲間たちに起こった「荒らし」が誰だか、判ってしまったから。
友人は、足跡履歴を非表示にし、その特定者を誘導するための別の場所(ブログ)を作って、
わたしも多くの記事を非公開にし、親しい方とは個人的にメールをすることで閉鎖。
友人の仲間たち部屋も、引っ越しするなど苦慮した出来事でした。

わたしたちは、気遣っては労わり過ごしていました。
ある日のこと、わたしの咳が酷くなったことがあったんです。
普段なら治まるはずなのに、別れ際には、ふらつきも始まり、
あまりの苦しさから、絶対に言ってはいけない言葉で弱音を言ってしまいました。

言葉って回収されないですね。後悔しています。
ただ優しさに甘え、構って欲しかったのかもしれません。

『わたし、このまま肺炎になるんじゃないかな。
薬の副作用で薬物性劇症肝炎も起こしたし、免疫も減ってるから元の病気じゃなくて、
他の病気や、例えば肺炎で(命を)持ってかれるんじゃないかな』

ずっと背中をさすってくれていた友人は、それを聞いた瞬間に強くわたしの両手首を掴んで、
強く引っ張り握りしめたまま、自分に向き合わせると凝視した状態で、

「大丈夫だから。君の病気は適切な治療さえ受けていれば、治るんだからっ。でも、僕はっ・・・」
初めて聞く大きな声は、途中、無音に掻き消され消され、言葉を見失う。
瞳は深い悲しみの色をしていました。

無音の状態を聴いたことありますか。
突然、ブツって、風の音が消え、雑踏の騒めきが止まり、自分の心音だけが聞こえ、
ドクッ、ドクッ、ドッ、ッ・・、やがて、その音も聞こえなくなり、
急に耳の奥で、ピーと電子音のような耳鳴りが聞こえたかと思うと、それもまたプツンと消える。

まるで、最期の心電図を切ったときのような、張り詰めた鋭い空気の中で、
自分だけが見えない水の中に放られて、長く静止してから、
苦しさから息をしていないことに、ようやく気が付く。

水面から顔を出すように、息を吸い込む音を聞きながら、やっとの言葉を絞り出す。
『あのねぇ、握ると手首が痛いから、手は繋ごうね』
そう呟いて言葉交わさず、ただただ歩いた。

初めて手を繋いだからなのか、残りの時間を知ってしまったからか、
わたしは、この後の記憶が全くない。
どうやって次の約束をし、どの道を帰りながら、
『じゃ、またね』って、いつもの言葉は、どこで言ったのか。

その日以降も、艶っぽいこともなく、
手を繋ぎ歩く姿は、多くの人が大人の関係しか想像しないだろうし、
友人の家族が見たら嫌な思いをし、きっと激しく感情が揺れたと思う。

けれど、わたしたちは、もっと別の違う色した無音の場所で寄り添っていたと思う。
そうしなかったなら、あの日々を平気な振りをして過ごす事なんて出来やしない。

友人は患者の前では医師であり、夫であり父でならなければならなかったし、
わたしには、頼る家族もなく、その日を覚悟し、家の中の物を一つ一つ処分していく。
CD、本、洋服、化粧品、写真、親しい方々、過去、思い出。
気が狂いそうな毎日に、何事もなかったかのように、笑顔の自分を演じる日々。
もしも、友人が医師でなかったら、もしも、わたしに支えてくれる家族がいてくれたなら。
もしも、もしも、もしも。・・・もしも。

その冬、友人は自分の勤めていた元病院にて、
人の姿で戻れないと知りながら最後の旅支度に入りました。

戻れないかもしれないけど、退院することができたなら会いたい人がいるんだと、
まだ会えていないオフ会のメンバーの名前を数人ほど、聞いていました。
旅路に向かわれたと、わたしが本人に伝えていいものだろうかと悩み考え、
そのタイミングか判らないまま、時間だけが過ぎてしまいました。
最近になり、その方々には直接に伝えていますが、お一人だけ伝えられなかった方がいます。

「穏やかで優しくて、物凄くファンがいるんだよ、あんな風になりたい」
そう名前を言った方は、友人が旅路に向かってから、1年も経たないうちに旅路に向かわれた方で、
お名前は、あまりす先生です。
伝えた方が良かったのか、でも寂しいだけし。
いや、いいんだよ。向こうで逢えたかも。だけど、聞いていれば喜んだかもしれないのに。

答えなんて、あるわけないのに、答えがないからこそ、その中で藻掻いてしまう。
正直いえば人のことなんて構ってはいられない。当時だけではなく、今だって苦しい。
自分の冷たくて毒々しい部分を見ては、うんざりして立ち止まる。

「切っちゃえばいいんでしょ。(死ななくて)良かったね。」
「入院した方が楽なんじゃないの」「Z病院のX先生が名医らしいわよ」
「○○食が良いから無理しても食べなさいね」
「困ったことがあったら何でも相談してね」
「役所に相談したの?」「辛かったら何でも言ってね」
「無理しちゃダメよ、仕事は休んでもいいのよ。変わりはいるんだからね」
「じゃ、宗教はどう。」「糖質制限してみたら」
「あれ、それ、これ、どれ、かれ、これ、あは、で、もやっと、ね」
エンドレス・・・・

うふふ、ありがとうございますぅ。本当に、大丈夫ですぅ。
えへへ。もう、平気ですぅ。うふうふ。

お気持ちは感謝しています。
本当に、それは嘘ではないんです。

だけど、すんごく、全力でいい子の笑顔を作った心の中の、
本当の本気の思いをお伝えしますと、

うるせーよ。うるせーよぉ、マジうっせーよ!

励ましなんて、いらねー。何が良いんだよ。
相談したら身体が楽になるのか、金くれるのかょ。
役所だって、やってるに決まってるだろーが。
無理して食べて吐いたら、拭いてくれるんかぁ。あん。
つか糖質制限したら今すぐ脳が死ぬわっ。

信じて相談したら「何も出来なくてごめんね」って絶対に言わないんですか。
仕事を休んだら、入院費や、来月の家賃払ってくれるんか。
名医がいるって、タダで診てくれるように手続きしてくれてるんですか。
検査代はオマエが払ってくれるんですか。

むしろ金くれる方が、有難いよ。それかさ、黙っててよ。
どうせ、何もできないのに、キャンキャンうるさいよぉ。
心配してる顔なんて、鬱陶しいだけだよ。
金くれないんならさあ、せめてわたしを笑顔にしてよ。

ただ笑って、パスタを分け合い、サラダの取り合いして、コーヒーを飲みながら、
映画や学生時代の話や、美容の話して、バカな医者の悪口いいながら、
サンドウィッチ食べて、アイスクリームの食べ歩きして、
「じゃ、またね」って、次の約束をしてくれるだけでいいから。

何も出来ないんなら、笑顔で過ごす日常をくださいよ。
そうして一緒に、同じ時間をいてくださいよ。
だけど絶対に、わたしより先に行かないでね。
だからと言って、わたしを見送ったりしないでよ。お願いですから。

見送られる友人が、残されるわたしを励ますために言った言葉がある。

「医者と美人は孤独なんだよ、美人はね誰とも本気で仲良くなれないでしょ、
寂しいよね。相談できないし、いつも、笑ってなくちゃ、傷つけられるし。

でね、僕より孤独な医者はね、主治医になってくれた後輩。やりづらいと思うの。
僕もね自分の事だから、黙ってはいられないし、それは最良なの。って聞いてしまう。
多分ね、最良なの。判ってるんだけどね。
そしてね、もっと孤独な医者はね、僕にね、手術はできませんって言った外科医。
その外科医はね、毎日、嫌でも僕が自分の視界に入ってくるしね。
周囲からも、どうして手術をしないんだと言われ、恐らく毎日、説明して頭を下げてる。
申し訳ないよ、医者なのに気づかなかったのは、僕自身なのにね」

あれから、年単位の時間が過ぎ、
私の身体の反抗期は、経過観察が終わっても、また別の経過観察が始まる。
一度目の経過観察が過ぎたころに、医療事務の学校に通った。
友人の言った「孤独」を知るために。

もちろん医療人を補佐する立場では、医師からは遠すぎる。
だけど医師である友人の言う「孤独」を知るためには、
先ず自分が医療人にならなければ絶対に判れない。

学校を出た後、一時的に、一般の方が想像するような医療事務業ではなく、
患者さん本人は治らないと知っていて、それでも延命のため特別な治療ををするための、
医師の診たカルテと、処方箋をもとに、常に患者さんに寄り添うような処置室内での職に就くも、
見送った患者さんに友人を重ねては、その中で藻掻き、また溺れる。

わたしは友人だけではなく、患者さんにも無力でしかないことを知る。
友人が残り少ない時間を前に、後悔してることがあると言った。

「病気が理由であっても患者さんを手離し、別の医師に振り替えたことは、
本当に申し訳なく心残り。患者さんには自分の病気のことは関係ないし、
ただ、これから元気になってくれたらいいんだけど・・・」と。

やっぱりね、思うんですよ。友人はバカを本当に越えてるって。

わたしは現在、
公的資格だけではなく、国家資格を目指すべく、介護の学校にも通い始め、
現在、肺と乳房に残った石灰化を見守りながら、
重度訪問介護従業者として、四肢麻痺の障害者の方々の側にいる。

孤独を背負った医師の背中には、医療人としての誇りがあった。
その誇りを守るため、医療人をサポートする側に、わたしは就いた。

美人には程遠く綺麗だとも、
お世辞にも言ってもらえなくなった痩せた手を見ながら、
もうあの頃じゃないと確認する。

患者さんら家族と、福祉を必要とする全ての人と、
現場にいる、全ての医療人を支えるため、
これからの生涯、医療と介護福祉の現場に携わっていく。
苦しむ人が手を伸ばし、助けを求めたなら、わたしは、その手を決して離さない。

そうして、バカを越えたとき、友人に、また会えるような気がします。

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『元神経内科医あまりすのお気楽日記』ご家族様もしくは、どなたか、別のブログに転記していただけないできます。しょうか。あまりす先生にゆっくり会いたいのです。

2019/8/10(土) 午後 10:08 acc*t*00*

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生きることについて―さくらとはこべ、どちらがきれい? 単行本 – 1991/8
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琴ちゃんへ
コメントをありがとう。琴ちゃんの過去記事を読みながら、
今でも(* ̄▽ ̄)フフフッ♪と、なっています。
新しく記事は書くかは、判らないのですが、私の方は、
アメーバに引っ越しをしようと思います。

2019/8/13(火) 午後 5:24 acc*t*00*


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