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転載用書庫
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素晴らしい記事の紹介です^^。
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【アンパンマンのエキス】献血ルーム・落書き帳に。 私の4歳の長男は小児ガンです。 10ヶ月の闘病生活の末、亡くなってしまいました。 その間、皆様の献血のおかげで 安心して治療を受ける事ができました。 本当にありがとうございます。 あの子は輸血されると元気になる事を知っていて 『アンパンマンのエキスだ〜』と言っていました。 一時は毎日のように輸血させて頂きました。 輸血が必要な時 『今 足りないので待っていてください』 と言われ 祈るような想いで待っていた事もありました。 届いたときは、本当に嬉しかったです。 献血して頂きました皆様になんてお礼を言ったらいいのか。 ありがとう! ありがとう! 医療スタッフと皆様のおかげで生きながらえる事ができて どんなに《ありがとう》と言っても足りません。 今でも病院では、多くの子供たちが輸血を待ってます。 これからも献血をお願いします。 もちろん私も来ます。 子供たちの笑顔が消えませんようにと祈ってます。 これはアタシの長男が亡くなって1ヶ月後に、 献血ルームの落書き帳へ書いたものです。 たまたま持っていた写真も貼りました。 泣きながら書いたんで感情が剥き出しで 文法がへんになってるんですけど。 タイトルは誰かがつけてくれました。 その後【アンパンマンのエキス】は、 小冊子や献血の広告・ポスター等の呼びかけや 看護学生さんの教材などにも使ってくれています。 亡くなった後も、こうして皆様に可愛がって もらえるなんて長男はとても幸せ者です。 『今 足りないので・・』の時の話をさせてください。 当時は一刻を争う時でした。肩で息をする程の。 通常こちらの病院は、朝 輸血のGoサインが出ると 昼すぎには始まります。 輸血をしなければ、即 何が起こっても不思議じゃない。 ・・・でも、なかった。 《早く!早くなんとか!!》 ずっと苦しがっている長男の手を握りしめながら 祈るしかできないこの歯がゆさ。 そして深夜、丸一日経って届けられた 命をつなぐ血! なんと県外からヘリコプターで届けられたものでした。 また、一回の輸血で必要とされるのは約8人分らしく(血小板) これらを含め輸血を50回以上もさせて頂いてました。 本当に、本当に心から感謝いたします! 「ねぇ、今 なにしてる?」 今日も お空にむかって。 きよみ 転載・トラバで献血の輪を広めるお手伝いして頂けませんか。 よろしくお願いします
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1985年 イランイラク戦争激化
3月17日 サダム・フセイン大統領が世界へ発信した そのころ、イラン在住の日本人は非難するためにテヘラン空港にいた そこで日本へ帰るための飛行機に乗るはずだったのだが 空港には、フセイン大統領の発信を聞いた人々が大挙した 空港は混乱した ・・日本の対応は遅れた・・ ・・二百十五人が取り残されていた・・ そこへ、トルコの飛行機が二機到着し
日本人を乗せたトルコ航空機はイランを飛び立った そしてギリギリのところで命からがら生き延びることができたのだった しかし・・ なぜトルコ人が日本人だけを助けてくれたのか? 当時、誰もわからなかった 1890年(明治29年)九月十六日
台風が日本を襲った その夜の九時ごろ、和歌山紀伊半島の南端にある串本(くしもと)町沖で事件が起きた 串本町の東端断崖には、日本最初で最古の石造灯台である 樫野崎灯台(かしのざきとうだい)があった 台風で雨が滝の様に降り 波が怪物の様に荒れ狂っている中 一人の半裸の男がその灯台へとやってきた 半裸の男には日本語が通じなかったので
灯台守は、身振り手振りでトルコ人だと言うこと トルコ軍艦に乗っていたと言うこと そして、多くの乗組員が助けを必要としていることを知った 応急手当を済ませた後、灯台守は樫野の村へ急いだ 樫野の村は五十を超えるか超えないかの小さな村だった 今、五十の家に助けを求め、何人がこの台風の中 助けに来るのだろうか? 村人を引きつれ、灯台守は海岸へと急いだ 灯台守の後には、村にいる全ての男が後に続いていた 男達は海岸へ到着すると、悲惨な光景に皆が目をつぶった ・・・海面に浮く瓦礫・・海岸に打ち上げられた遺体の山・・・ そんな中、一人の男が動く人を見つけた 「息があるぞ!」 しかし体は冷え切っていた 温めようとしたが、台風の中火を焚く事もできなかった そこで自分達の体温で温めるしかなかった 激しい雨にうたれ、風にさらされながらも 必死に異国の人々を温め続けた 救助されたトルコ人は、村で療養に入った
トルコ人から見ても、村の暮らしは貧しかったが それでも村人は手厚くトルコ人を看病した 村の食べ物は尽き、非常食の鶏にも手を出した ・・自分達の餓死の恐れもある・・迷った末の決断だった ・・村人達は自分達の食料を削ってでも 怪我で弱ったトルコ人を救護したのだった 村人達の努力の結果 トルコ軍艦・エルトゥールル号難破事件は 六百名近くの死者が出た大惨事だったが 六十九名ものトルコ人を助ける事が出来た さらにこの悲しい事件を知った全国の日本人は 被害者達の家族に対し弔慰金を送った そして生き残ったトルコ人は 村人をはじめとした日本人に厚く礼を言い 日本の軍艦で本国トルコへと帰り、その感動を本国へ広めた ・・イランイラク戦争でなぜ助けられたのか・・
日本人記者が当時のトルコ大使に聞いた そして大使はこういったと言う
この事は、トルコの教科書に載っているそうですが
日本の教科書には載っていませんでした ・・・教育とは 自分の持っている【知識・考え】を次の世代に託すことの様に思います それが文化の継承や国の発展につながっている気がするんです この事実を多くの人が知ることで ・・・何かに気付く人が、一人だけでもいるかもしれない・・・ そう思って記事にしました 断りのコメントも傑作もトラックバックもいらないので
少しでも同調してもらえたならば 【転載】して、色々な人へ知らせてください 転載の転載でもまったく構いません
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私達の最も深い罪は
【無知】 だと思います 無知だから傷つけていいと言うものではないんですよね 日本では色弱(しきじゃく―色覚異常)の人が 男では約5% 女では約0.2% いるみたいです 教育とは
自分の持っている【知識・考え】を次の世代に託すことの様に思います それが文化の継承や国の発展につながっている気がするんです この画像をとある掲示版で見つけた時に ・・少しでもこういった差別をなくしたい・・ そう思って記事にしました 断りのコメントも傑作もトラックバックもいらないので
少しでも同調してもらえたならば 【転載】して、色々な人に知ってもらいたいです
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