花・丸・雪

闘病の記録と好きなもののことを♪

闘病記(2011年)

[ リスト | 詳細 ]

まさか自分がガンにかかるなんて……。負け惜しみではなく、それほどショックではありませんでした。最初の手術のときにあったとんでもない出来事の記録です。
記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

12月13日外科の診察に。異常は見られませんでした。
翌14日は泌尿器科の診察。
めんどくさいけれど、担当医の診察日が違うのでどうにもならないことなのです。

泌尿器科でも術後は順調なので、27日に尿管に入れてある管を抜こうということになりました。

やはり、異物が入っているという状態は、気分がよくありません。
下腹部と腰が重い感じがするのです。

さて、27日に無事に尿管の管を抜く処置をしました。
これで完全にオリジナルパーツの体に戻ったことになります。

しかしながら、管の周りに石がついてしまっていたので、抜くとき痛かったのです。

2日間くらい少しの出血と痛みがありましたが、じきに回復しました。

年内にすべて終わったので、新年を家族とともに自宅で過ごすことができました。

体力は徐々に回復していると思います。

ただ、根がせっかちなので、自分ではもう元通りに何でもできると思ってしまって、実際にやってみるとできないことがジレンマです。

家族は、ワタクシがいえば手を貸してくれますが、ワタクシは自分の思い通りにやらないと気が済まないので、自分からあまり家族に頼りません。
それはいけないことですよね。

もっと甘えてもいいのだと思います。

お昼を食べていたら、気分が悪くなってきました。
たぶん、荷物の整理に張り切りすぎたせいでしょう。
おとなしく寝ることにしました。

夕方から熱が上がり、38度に。

とほほ……(-_-)

でも、ここは悪知恵の働くワタクシのこと。
熱が出ているままではドレーンを抜いては貰えない事はわかっているので、抗生剤を飲むついでにロキソニンを飲んでしまいました。

というわけで、24日はちゃんと平熱になったので、予定通りドレーンを抜いて貰うことができました。

トイレ通いも2時間おきになって、いくらか楽になりました。

ドクターから25日の退院は無理だけれど、29日ならとOKが出ました。
とにかく、今後は熱が出ないよう、できるだけおとなしくしていることにしました。

29日の退院が決まったというのに、なぜか26日に外泊することに。
まあ、体ならしのためというか、なんといいましょうか……。

5月から入退院を繰り返し、紆余曲折を経て、11月29日、ようやく本当の退院にこぎつけることができました。


相変わらず頻尿ですが、時間がたつにつれて膀胱が元の大きさになるので心配はなくなるということです。

家に帰ってからというもの、ワタクシに家事の一切が戻ってきましたが、動くのに時間がかかります。
思うように動けません。
こんなに体力を消耗していたのか、と改めて痛感しました。

ペットボトルのふたが開けられないし、 ひもを結ぶのに力が入らないのです。

ベッドから起き上がるのにも一苦労。
体中が痛みます。

座っていて立ち上がるのも膝が痛むのです。

とにかく、一つの動きをするのに全力でやらなくてはならないので、筋肉痛になってしまっています。

尾てい骨のあたりも痛みます。
これは寝返りが打てずに寝ていた後遺症かもしれません。

一番嫌なのは排尿の時。
頻尿はまだ仕方ありませんがが、排尿のたびになぜか排便もついてくる。
つくづくウォシュレットにしたいと思いますが、だんだんとよくなることを願うのみです。

泌尿器科と外科とはやり方が違うそうです。今回は教授からOKがでているので外科のやり方で処置をすることになりました。

でも、ワタクシにはどうでもいいのです。そんなことは。管が抜けて楽になりさえすれば……。

外科の方では術後のドレーンは重要ですが、泌尿器科ではそれほど重要視していないのだそうです。
たしかに、最初の手術の時はドレーンから大量の廃液が出ていて、完全にそれが無くなるまで数ヶ月かかってしまいました。ところが今回泌尿器科の手術の後は、薄い血のような色の廃液がほんの少し出ていただけなのです。

長い管を切って、細い管を入れ、生理食塩水で中を洗いました。その後念のため、完全に抜かずに細い管に入れ替えることに。
おなかから少しだけ管を出して、出てきた廃液をガーゼで止める方法にしました。
そして炎症を収めるのに、今回は点滴ではな、く飲み薬の抗生剤を出してくれたのです。

さて、バルーンカテーテルは無事に抜けたけれども、この時から頻尿に悩まされました。
言われていたことなので覚悟してはいましたが、1時間おきに尿意をもよおすのです。

昼はまだしも、夜はまいりました。1時間おきに尿意で目が覚めるのでおちおち寝ていられないのです。

しかもポータブルトイレに座ると、なぜか出ません。
トイレに行くとちゃんと出るので、わざわざトイレまで行かなくちゃならないのです。いっそのことトイレで寝てしまおうかと思ったほどでした。

粗相をするといけない、というか、粗相をしかねないのでまた尿パッドを当てることも考えましたが、やっぱり自尊心が許しません。

23日。祝日。外科の担当ドクターが当番医なので、ドレーンの処置をしてもらいました。まだ少し痛みます。
このとき、「明日、ドレーンを抜きましょう」と言われました。
おお! これで自前の体になれると思ったらとても嬉しい♪

しかも、ドレーンが抜けると退院できるのです。
さらば病院。
晴れて娑婆に戻れると思うと、いてもたってもいられません。

すぐにでも出られように荷物をまとめ始めました。自分の感覚では25日には出られるだろうと踏んでいたのです。
ところが……。

点滴は18日に終了。これで上半身は自由の身になりました。

何かをやり出したら、止まらなくなる性分なので、今度は趣味の切り絵を始めることにしました。
熱が出るといけないので、「ほどほど」にしなくてはならないのは百も承知なのですが、乗ってくると止まらない。それでも3分の2でやめて寝ることにしました。

しかし張り切りすぎたためでしょうか、微熱が出ました。

明け方3時に目が覚めて、熱が下がっているので切り絵の続きを始め、朝食の前にはできあがりました。
朝食の後、眠気が襲ってきたので寝ました。

お昼ご飯を食べて、そろそろ3時のおやつ……。

と思ったところで目が覚めたのですが……。

あれれ? 時計を見るとまだ午前10時半。
夢の中でお昼ご飯を食べてしまったので、自分の感覚は半日先に進んでしまったようです。

午後から再び微熱が出て、やたら眠いのでうつらうつらしていました。
結局、19日は一日中眠っていたのです。

20日の朝には平熱に。
熱が下がると俄然元気になってしまう、子どもか? ワタクシは(*^_^*)
2時間の外出許可をもらって、お風呂に入りに自宅に戻りました。やっぱりお風呂はいいですね♪
と、思いきや。
午後からまたしても熱が出てしまいました。

太ももの傷がやけに痛みます。痛み止めを飲んで少し収まったのですが、消毒をしてもらってガーゼを替えてもらいました。
ほとんどふさがっているのに何でだろう?

21日。平熱になりました。午後から膀胱の造影。特に異常はないので、明日バルーンカテーテルとドレーンをを抜こうという事になりました。
ああ、これで やっと楽になれるのです。

22日。夕べ一時、7度になった熱も下がったのでバルーンカテーテルを抜きました。
術後もリハパンをはき、尿パッドを当てていました(万が一のことを考えて)が、これでやっと普通のパンツがはけます。
感覚が麻痺していることがあるので、念のため尿パッドを当てていた方がいいかも……といわれたけれど、こうなるともういやだと思うのです。

この日のため、買っておいた新しい下着をつけました。
やっぱり布がいいですね。

体に入っている管はあと1つ。右の脇腹のドレーンです。これも同時に抜くのかと思ったら、もう少し様子を見ようといわれました。

しかし、このドレーンのところが数日前から痛みを感じていたのですが、この日の午後から痛みが強くなってきたのです。
体を横にして寝ると右の脇腹が痛みます。

最初の手術の時の左脇腹のドレーンも、痛くなったりしたときがありました。体が異物をいやがっているのだから仕方がないことなのかもしれないと思ってはいたものの、今回はちょっと違うような気もするのです。

夕方の回診に副院長が来たとき話してみると、おなかを押されました。痛い!
これはドレーンの周りが炎症を起こしているせいだということです。尿管のほうにも痛みが波及しているけれど、尿管には異常はないとのことでした。

その後担当のドクターが来て、「(泌尿器科の教授が)ドレーンを抜いてもいいという所見がカルテに書いてあったので、抜きましょう」と言いました。

点滴が外れ、寝ているのも飽きたので何かしたいと思っていましたら、13日にカットの仕事が舞い込みました。

ワタクシは、会社にも勤めていますが、その昔漫画を描いていたこともあって、在宅で細々とカット描きの仕事もしています。

入院した最初の頃は手術までの間、姪が持ってきてくれたスケッチブックに、お見舞いでいただいたアレンジメントフラワーなどを色鉛筆で描いていました。

手術の後はしばらく描く気が起きずやめてしまい、そのうち花も枯れてしまいました。
夫が持ってきてくれた本もすぐに読んでしまうし、義兄が貸してくれた世界文学や日本文学の朗読のCDもすぐに聴いてしまったし、大好きなタイガース(野球チームではありません。グループサウンズです)のCDも持ち込んで何回も聴きましたが、とうとう何もすることがなくなってしまったのです。

また、ワタクシは童話や児童文学も書いているので、9月になって夫がポメラを貸してくれたので、いろいろ書いて暇つぶしになったのですが、それにも飽きてきていたのです。

これはワタクシが飽きっぽいからでは決してなく、いかに入院(特に痛みもなく、処置をすることもない状態での)が暇かということの証明なのです。

実は、カットの仕事については入院してからも運良く続いていた……というか、ちょうど起きていられる頃に仕事が来るので支障なく毎月こなす事が出来ていたのです。ラッキー(*^_^*)

病室には画材一式持ち込んであるのでいつでも描けます。個室なので自由に使ってしまうのです。さしずめSOHOというところ。
今回は毎年一回更新する本のカット。32枚ほど。早速取りかかりました。
たちまち、ベッドの上にはスクリーントーンや資料や定規が散乱し、看護師さんをあきれさせました。

ところが、元気なときとはちがうことを思い知らされたのです。
座っての作業だから楽だと思っていたら、結構疲れました。6枚書いてダウン。もっと描けるはずでしたのに。

14日の朝の回診の時、おなかの針金を全部と、太ももの傷の方もとってくれました。なぜか足の方がおなかより痛かったです。
翌15日。予定では腎ロウカテーテルを抜く事になっていましたが、微熱が出てしまったので延期。ちょっとカット描きを頑張りすぎたかもしれません。
でも、17日までに仕上げなくちゃならないので頑張らないと。

16日。腎ロウカテーテルがとれたので少し楽になりました。これで右側を下にして寝られます。寝返りを打てないことが結構つらかったです。気分がいいのでカットを全部書き終えることができました。万が一熱が出ても大丈夫(^^;)
と思ったら、また次の仕事が入りました。週明けまでの締め切りで。

17日。バルーンカテーテルをクランプするというのです。まず1時間止めましたが。そのときはなんということもなかったのですが、次に2時間止めたときは苦しかったです。
1時間半まではなんとか我慢出来ましたが、それを越えるともう尿意を我慢できなくなってきました。下腹が痛み、腎臓のところが痛くなりました。

そのあとだんだん熱が出て、夜には38度を超えたのでとうとう点滴をすることになりました。けれど食べないと大きな点滴になってしまうので、食欲がなかったけれど夕食は無理矢理食べました。

クランプして無理矢理おしっこを止めたので熱が出たのだろうから、翌日には下がるとのこと。幸い、点滴は朝晩2回の抗生剤だけで済んだので、日中は管をつけてないのでカット描きができます。
小さいものなのでわりと早く描き上げられました。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.
achi
achi
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事