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徳島人 その1
質素倹約の日常が阿波踊りで爆発、もともとの気質は開けっぴろげ
全国的に名を知られている阿波踊りのせいか、徳島県人は年がら年中踊り呆けているように思う向きがあるかもしれないが、そんなことはない。四国四県の中ではいちばんの、いや全国でも有数の働き者が徳島県人である。NHKの県民意識調査で、「働くということはつらいことだと思う」人の割合が全国で第46位だから、数字の上でもそれははっきりしている。
阿波踊りは毎年お盆の時期に、県民総出で踊りに没頭する一大イベントである。年に1度だけだから尋常でない盛り上がりを見せるのだが、普段は勤勉なことこの上ない。懸命に働き、無駄な出費を抑え、お金をこつこつ貯める(県民所得は全国で30位なのに、一人あたり預貯金残高は堂々の第5位!)これが平均的な徳島県人の姿である。
だが、こうした県民性は後天的なものではないかと思われているのだ。というのも、まず太平洋と瀬戸内海という二つの海に面していることからすると、徳島県人は本来、底抜けに明るく、開けっぴろげ、好奇心も旺盛な気質だったに違いない。そして、こうした自然環境に生まれ育つと、お金を貯めるより、使うことに喜びを感じる気性が育まれるはずである。『新人国記』にも、「大抵気健やかにして、智あり。されども智あるゆえ、変道へ行く気象あるべし。人をたぶらかし、強盗をする類のことはあるまじ。(中略)当国海浜東に向い、負山深し。南海ゆえ、最も暖気なり。東方の秀気を受くる故に、気健やかに智あるなるべし」とある。
目の前に二つも海がある影響はことのほか大きいようで、しかも、日が昇ってくる東側に海が開けているから、進取の気性にも富んでいそうである。潮の流れ=世の中の動きを正確に読む才にも、昔から長けていたようだ。
その一方で、徳島県は江戸時代からずっと、大阪など関西とのつながりが深い。というのも、隣の香川県や高知県との間には、険しい四国山脈がそびえたっており、行き来が大変だったからである。それにくらべると、大阪や和歌山へは、ちょっと舟を漕げば渡ることができる。(もちろん、鳴門の渦潮という難所はあったが)。元来、人あたりもソフトだから、生まれつき商人気質が備わっているようなもので、そこへ関西の影響を強く受けており、「阿波言葉は京流れ」といわれるように、徳島の方言には京都弁がかなり入っているようだ。
ところが、そこへ、気質的にはまったく反対の尾張国から、新しい殿様がやってきた。尾張国蜂須賀村(現在の美和町)の野武士で、斉藤道三や織田信長につき従って各地を転戦していた蜂須賀小六である。ちなみに、小六はその後、秀吉の家臣になった後も、戦功を積んだ。そして、播磨の国竜野の城主を経て、四国征討(高松攻め)の功により阿波国を与えられたのである。その小六の嫡男・家政が1586(天正14)年、新しい領主として徳島城に入ってきたとき、人々がお祝いに踊ったのが「阿波踊り」
のはじまりだという。
岩中 祥史著 「出身県でわかる人の性格」より
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