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東京の呪縛にかかっている千葉県民?
つづき、
千葉県人の中でも“千葉都民”−−いまや千葉県に住む人のうちで最も多い−−とよばれる人たちに、この傾向が強い。なかでも、ベイエリアと呼ばれる湾岸地域の住民はそれが顕著である。それこそタッチの差で、東京都民になれなかった無念の思いがそうさせるのだろうか。だが、そもそも、「ベイエリア」の一角=稲毛海岸や幕張海岸は臨海学校や潮干狩りで行くところであった。浦安は山本周五郎の『青べか物語』に描かれていたように、どうということのない漁港である。それが「ベイエリア」になったとたん、「ベイエリアは千葉とは関係ないのよ。ここは本当は東京の一部なの」といった顔をしたがるのである。
最近は、浦安市でも海岸に近い南部エリアの土地価格が上がっているという。なかには、都県境を越え葛飾区と合併してほしいものだなどと考えている向きもいるにちがいない。実際、千葉都民の意識はかなり東京都民に近い。
結局、千葉県が損をしているのは、ベイエリアを中心とした、東京に最も近い県西部、市川市や船橋市、浦安市などのエリアと、千葉の土着民といった感じの房総エリアとで、文化水準にあまりの差があることによる。
今なお金権選挙がまかりとおり、やくざも真っ青になるような人物が国会議員になってしまう房総エリアの感覚は、東京=「都市」の住民には、とてもではないが理解できない。知事や市長、県会議員や市会議員の汚職事件も後を絶たない。参議院副議長という立場を利用して汚職をしてしまうときては、何をかいわんやである。江戸っ子にとって千葉のイメージは、やはり南京豆なのである。
そうした思いがあるから、成田に国際空港を作った折も、「新東京国際空港」という名称にこだわったのだろう。「東京ディズニーランド」も同じである。地方から遊びに来た人は、東京ディズニーランドがまさか千葉県にあるなどとは夢にも思っていないだろう。そこまで考えて、「東京」という名をかぶせたとしたら、すばらしいアイデアである。
そこまで邪推しなくても、千葉県民にとっては、やはり「東京」という言葉が名前に冠されたのはうれしいことだったはずだ。というのも、その昔から、千葉県民は東京に対して強いあこがれに似た気持ちを抱いていたからである。
東京にしてみれば、土地さえあったら、国際空港もディズニーランドも都内につくったにちがいない。たしかに、国際線の預け荷物につけられるタグも、判じ物のような「NRT」よりは「TYO」のほうが、外国人にもわかりやすいだろう。
東京に対する千葉県人のあこがれは永遠にあこがれのままである。得に千葉都民は千葉に移り住んだ時点から、このうえないコンプレックスに支配される。それは、東京に住むことのできないくやしさ、敗北感である。そんなこと気にしなくてもよいではないかと思うかもしれないが、そうはいかない。
電話番号を聞かれて、047という市外局番を口にしなければならない屈辱感はことのほか大きいようなのだ。それでも、電話局の広域化で局番が3桁になっただけ、まだよい。それ以前は4桁だったのだから。車のナンバープレートに、「野田」だの「袖ヶ浦」だの、どこにあるのだかわからないような地名がついているのもシャクの種である。しかし、千葉県が東京に合併でもされない限り千葉県は千葉県のままだし、そうである限り東京の呪縛から解き放たれることはないだろう。
千葉都民には、世が世なら自分も東京都内に住めたかもしれないのに、との思いがいつだってあるから、千葉県に対する愛着など、いつまでたっても湧いてこない。NHKの県民意識調査の中に、「千葉県が好きですか」という質問があるのだが、千葉県人は、「好き」と答えた人の比率が、埼玉県についで少なかった。同様に、「住んでいるところは住みよい」と感じている人の割合が全国で2番目に少ないというのもうなずける(こちらも第1位は埼玉県)。これでは、県民性など生まれるはずもない。
つづく
岩中 祥史氏著・・・「出身県でわかる人の性格」より
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