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私の生まれた県でもある山口県人について紐解いてみました。
長州あっての日本というプライド、自己顕示が激しくて議論好き
明治維新以来の自身と自己顕示欲
本州の西端に位置する山口県は、明治維新の際、その後の日本の基本的な方向性を決定付けた県である。山口県といえばあまりピンとこないが、長州といえば、なるほどと思われる方も多いだろう。もちろん、薩摩(鹿児島県)もその一端を担ってはいるが、維新政府で実力を握ったのは伊藤博文、木戸孝允(桂小五郎)、山県有朋など、ほとんどが長州藩出身のものたちであった。そして、初めての経験といってもよいことと毎日のように遭遇・格闘しながら、近代化への舵取りをしたのである。
だからというのではないだろうが、山口県人はことのほかプライドが高い。ひと頃ーー最近はそうでもないようだがーー大蔵省(今の財務省)の高級官僚が、「日本を動かしているのはオレたちだ」胸を張っていたというが、それに似たような思いを、男女を問わず、また立場も関係なく、心の底に持っているようなのだ。そうでなければ、「会津の人間と結婚してはならない」などという、時代錯誤としか思えない(失礼!)ようなことを口にするわけがない。そうした言葉の裏にあるのは、「長州あってこその日本」といった(過剰とも思える)自身である。
伊藤博文を筆頭に、大正、昭和に入ってからも山口県は数多くの首相を輩出してきた(計7人は全国で最多)。しかも、全員が官僚か軍人の出身である。記憶に新しいところでは、岸信介と佐藤栄作の兄弟がいるが、二人とも、ホント偉そうであった。「世論もまちがっていることがある」という発言で批判を浴びた小泉首相だが、この二人に比べればかわいいものである。とてもではないが、佐藤栄作のことを「栄ちゃん」などと呼ぶ気にはなれまい。
そもそも、「偏向新聞は大嫌いだ」(佐藤が首相引退を表明した記者会見)などという言葉を平気で口に出来るのは、やはりプライドが強く、好き嫌いがはっきりしているからだろう。どちらも、山口県人の性分である。心理学者の宮城音弥は、山口県人には「情熱的な理想主義的傾向」があると指摘した。
また、司馬遼太郎は、「どんなことに関してでも極度に理論的で純粋なこと。しかし、いささか観念論にすぎてしまって現実主義的ではないのが欠点」と分析している。吉田松陰の生き方を見れば、まさしくそのとおりといった感じがするが、これではやはり敵をつくりやすい。才覚を発揮すればするほど妬まれたり恨まれたりするのが山口県人の特徴である。商売人に不向きといわれるのもよくわかる。
自己顕示欲も強い。「薩摩の大提灯」に対して「長州の小提灯」という言葉がある。これは、薩摩の者は西郷隆盛という”大きな提灯”を先頭に団結して行動するが、長州人は一人ひとりが提灯を手に持つ、つまり、なんでも自分が中心になっていないと気がすまない気質をいったものだ。これまた、自身と誇りのなせる業に違いない。
岩中 祥史著 「出身県でわかる人の性格」より
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