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パリを歩くために
通りにある城壁、馬車の車輪よけ、日時計などに心奪われる。歩きつくせないパリ。6月のパリは日本よりも暑かった。

書庫2017年 パリを歩く

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 ドラクロワ(1798‐1863)の絵でいちばん有名なのは
           民衆を導く自由の女神」(1830年)。


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    ルーヴル美術館ランス別館が開館(2012年12月4日)の際は
    1年間貸し出され、ルーヴルには不在だった。

   「日本におけるフランス年」(1999年 )ではルーヴルから
  東京国立博物館に1か月間貸出された。

   「モナ・リザ」民衆を導く自由の女神」がともに貸出しされた
    のは、日本とアメリカのみ。




    ドラクロワ美術館に入って先ず目についたのは「セザンヌ礼賛」
    (モーリス・ドニ、1900年)、企画展のためにオルセー美術館
  からやって来ていた。

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   「セザンヌ礼賛」(モーリス・ドニ、1900年)
                  左側に窓が写反射しています  


 セザンヌの絵を挟んで左が象徴主義の巨匠オディロン・ルドン、 
 話しかけているのは、ナビ派のポール・セリジェ、または
 ール・ゴーギャンといわれている。


  「セザンヌ礼賛」は縦180㎝、横240㎝のサイズの絵。 



   アンリ・ファンタン=ラトゥールの「ドラクロワ礼賛」
  (ドラクロワへのオマージュ)の習作があった(下の絵)。

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 オルセー美術館に展示されている「ドラクロワ礼賛」(1864年)
 がここにあったら最高だったけど。

    絵の大きさは縦160㎝、横250㎝とモーリス・ドニの「セザンヌ
 礼賛」とほぼ同じようなサイズ。(下の絵)

 ドラクロワの肖像画を挟んで左にホイッスラー、右がマネ、白い
 シャツが作者であるアンリ・ファンタン=ラトゥールの自画像。


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  ドラクロワの「アルジェの女たち」(1834年)は
                  ルーヴルから来ていた(下の絵)。 
   
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  ルーヴルにある「サルダナパールの死」(1827年)の小さなサイズの
  絵(下の写真右)もあった。

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