パリを歩くために

通りにある城壁、馬車の車輪よけ、日時計などに心奪われる。歩きつくせないパリ。一昨年年6月のパリ紀行がまだ続きます。

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ゴーギャン「イエナ橋とセーヌ川、雪景色」(1875年、オルセー美術館蔵)
 
    パリ万博3年前の会場付近。
         下の3枚の絵と写真でもイエナ橋を見ることができる。
 
 
 
 
   普仏戦争の敗北後ナポレオン3世が退位し、フランスが第三共和制と
  なり、間もなく開催された博覧会。
 
  国土の荒廃からの復興を世界に示すことがことがその大きな狙いの
  ひとつであった。
 
  それは1600万人余りの入場者を数えたことでほぼ達成された。
 
 
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  会場は再びセーヌ川左岸を使い、壮大なガラスと鉄骨の建造物
  「シャン・ド・マルス宮」を主会場とし、美術部門がその中央の
  位置を占めた。
 
 
 
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                                   トロカデロ宮
 
 
  さらにセーヌ右岸の丘には、イスラム風の2本の尖塔をそびえ立たせた
  「トロカデロ宮」が建った。
 
 
 トロカデロ宮殿の噴水の両脇には、ゾウとサイのブロンズ像が置かれて
 いた。
 
 これはシャイヨー宮の建設時、ポルト・ド・サン・クルーの噴水に移され 
 ていたが、オルセー美術館の開館で再びその雄姿を美術館門前にあらわ  
 した。
 
 
 
  他方、セーヌ川に向かう斜面にはアジア・アフリカの植民地の
  パヴィリオンが展開し、万博と植民地の強い絆を明示していた。
 
  そして日本の簡素な「農家」もシャン・ド・マルスの主パヴィリオンと
  は別にここに建っていた。
 
 
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                   日本の家
  
 
 
  またニューヨークに設置する「自由の女神」の胸から上の上半身部分が
  展示され、設置計画のための募金を人々に呼びかけていた。
 
 
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「自由の女神」縮尺バージョン
 
 
 
  コルマール生まれの彫刻家オーギュスト・バルトルディは普仏戦争の
  結果ドイツに割譲されたアルザスの出身だった。
 
  1874年にいわゆる「第1回印象派展」がパリで開かれ、印象派の画家
  たちは次第に認知されるようになっていたが、この博覧会では相変わら   
  ず排斥されていた。
 
  モネの作品「モントルグイユ街、1878年6月30日の祝祭」にみら     
  れるように、彼らもまた、万博の祝祭の気分を共有していた。
 
  モネは1872年以来住んだアルジャントウイユを離れ、パリにもどって
  きていた。
 
  そして万博の成功を祝して祝日となった6月30日、三色旗がはためく
  パリの街路を描いた。
 
 
 
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モネ「モントルグイユ街、1878年6月30日の祝祭」
(1878年、オルセー美術館蔵)
 
 
 
 それが翌年の第4回印象派展に出品された「モントルグイユ街、1878年
 6月30日の祝祭」、「サン・ドニ街、1878年6月30日の祝祭」である。
 
 
 
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        モネ「サン・ドニ街、1878年6月30日の祝祭」
                 (1878年、ルーアン美術館蔵)
 
 
 
  道を埋め尽くす群衆と三色旗は晴れやかな気分を盛り上げ、この年の
  万博の美術展からは完璧に遠ざけられた印象派の画家の作品であること       を感じさせない。
 
  マネモネが画架を立てたその同じ日6月30日のパリの景色を描いた
  作品「旗で飾られたモニエ街」には、不吉な光景が描き出されている。
 

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                           マネ「旗で飾られたモニエ街」
 
 (1878年、ポール・メロン夫妻コレクション
                                                            ⇒ポール・ゲッティ美術館)
 
                 
  モネの2枚の絵は中央市場(当時)の近辺、マネの絵はサン・ラザール駅
  北側のバティニョール地区にあった自分のアトリエから描いたもの。
 
 モニエ通りは現在のベルン通りで、西側を線路が走っている。
 
 
  画面左手には松葉杖をついた障害者の後ろ姿である。
 
  これは当時巷で散見された普仏戦争の傷痍軍人であった。
 
  描かれた男の背中は世情に対するマネの精いっぱいの批評であった
  と思われる。
 
 
 
 
 
  <引用、参考文献>
 
  「世紀の祭典 万国博覧会の美術」(2004年 東京国立博物館ほか)
 
    「マネとモダン・パリ」(2010年 三菱一号館美術館)
 
 
 
 

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モネのモントルグイユ街の祝祭を描いた絵はとても好きな絵です。
華やかで浮き立つようなこの時代の気分が感じられて、いつもステキだなぁと思っていました。
一方でマネがこのように描いていたことは知りませんでした。
閑散とした通りに消えない傷を負った人の後ろ姿。
どちらの所蔵なんでしょうか。
とても興味深い対比ですね・・・。

2012/2/12(日) 午後 8:56 [ ひなた ]

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「モニエ街」は図録か何かで見たことがあるのですが発見できません。
アメリカ・バージニア州のメロン夫妻コレクション蔵です。
モネの2枚の絵は翌年の印象派展に出ています。
マネは印象派展にも無縁でしたね。

2012/2/13(月) 午前 0:59 [ ETRETAT ]

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訂正です。
「マネとモダン・パリ」(2010年 三菱一号館美術館)図録によれば「ポール・ゲッティ美術館(ロサンゼルス)蔵」となっています。

2012/2/13(月) 午前 11:42 [ ETRETAT ]


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