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円通寺の創建年代は「坂上田村麻呂将軍」の時代まで遡るという、延暦10年だそうですよ、いかにも古いお寺でございます。このお寺から南千住方向にかけてが、通称「小塚原」でして、源義家が48の首を埋め、塚を作ったからだとか、すさのう神社がちん座しているので牛頭天王がなまって小塚原になったともいわれておりますが、元々浅草からこの辺りは渡来系の一族が早い段階で集落を形成していた、故に古い神社仏閣が多い土地柄なのですね。
さて、円通寺から浄閑寺へと急ぎ足で向かう、蒲焼き屋のいい匂いが水戸街道に・・・・早速富山さんがキモ焼きを買い込んでぱく付いております。
今の日光街道は幅がかなり広く取られておりますが、かつてはこんなにも広くあありませんでした、今の常磐線のガード辺りで、王子から流れてくる「音無川」を渡る橋が架かっていたのです、今では暗渠となり、三ノ輪橋を見ることは出来ませんが、印の標注が荒川区川と台東区側に一本ずつ二本も立っているのです、区と区の境界ですのでこんな二つも要らないのにと思うのですが行政というのは・・・本当に無駄が好きですね。
浄閑寺の門前に日本堤の説明がでております、この堤の先に「新吉原」が存在してました。江戸期、明治、大正、昭和と続いた吉原ですが、昭和の33年3月末日を持って全て廃止となったのです。
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