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樋口一葉だ!

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 鷲神社の拝殿です、なにやら大きなお面が・・・賽銭箱の上に鎮座してますね、お賽銭を入れるのは脇からか?それともこのお多福の面の口から入れろというのだろうなあ、試しに10円を口の中に入れると、あらら、そのまま滑り台のように賽銭箱へと落ちていきました、すると、メエロディーが流れてきましたね、ふふふ、何だかすぐに御利益にありついたようないい気分です。
 参道の右脇に文学碑が建ってますね、その一つが「樋口一葉」の碑文です。彼女台東区生まれです、薄幸のの小説家として今でも「たけくらべ」は読み継がれています、明治の偉人の一人、というより、江戸の香りを持っていた明治の人と表現しておきます、是非一度お読み下さい。

鷲神社!

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 歩いているといつの間にか吉原の敷地範囲を出てしまいました、右奥くに「台東病院」が建ってます、多くの患者さんが出入りをしてますね、そして公園に突き当たりました、道路の略図が掲げられています、「鷲神社」は台東病院の反対側に位置しますね、公園を斜めに横切り、しばらく歩くと神社の脇の入り口です。
 まずは、大きな鳥井の真下に集合です、一枚記念写真を撮しました、はい、皆さん今日も元気にお散歩ですよ、足が弱ると老後は楽しくありません、正直な話、おいらは初めて鷲神社に来ました、以外と、小さい!不遜なことを申すようですが、花畑の大鷲神社の方がよほど大きい、ここの神社の元社だもの当たり前といえば当たり前なのですがね!今ではこちらの「酉の市」の方が有名なのです、江戸市民の中心だものしょうがないかな?

吉原神社!

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 吉原のメインロードを闊歩してます、何だか「ぶらタモリ」の雰囲気です、でもあの人のテレビ番組はは最近でしょう、おいらの会はもう23年もこんなぶらり旅をやっているのですから・・・皆さん達人であります。
 さて、余分なことはおいときまして、「吉原神社」の鳥居が見えてまいりました。遊郭の敷地は「お歯黒ドブ」で囲まれてました、出入りが出来るのは全て「大門」のみです、女郎の逃亡やお客の食い逃げを防ぐ意味もありました、しかし、ひとたび、「大火」となると、お客もお女郎さんも逃げ場を失い、とんでもない犠牲者がでる、江戸時代は火事が頻繁に起きたのです。
 新吉原を「廓」くるわ「曲輪」と言い表します、「曲輪」の字面はお城の二の丸、三の丸に用いる「曲輪」ですがここ遊郭もお城と同じようにお歯黒ドブで囲まれていて出入りが大門のみですので「曲輪」と称したのです。
 何処にも出ることができないお女郎さん達が信仰したのが「稲荷社」です、遊郭の四隅にありました、その稲荷社を合祀したのが吉原神社ということになるのです、説明版も写真に撮ってきました、かごの鳥であるお女郎さんの心情がうかがえる説明版です。

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 吉原のメイン、ロードです。右が江戸町1丁目で左手が江戸町2丁目・・・ずうっと向こうに見えるのが角町です。大門の写真にエイトという喫茶店の看板が見えるでしょうか、ここの店主は30年来の知人です。もちろんこの時間には営業してませんので失礼して素通りとなりましたが。
 さてこの角から撮った写真を掲載します、スカイツリーの頭だけが写されてますが、右手の看板「三浦屋」が見えますか?このお店が江戸時代からある老舗です。吉原細見(蔦屋重三郎版)にも登場するお店です。
 吉原地区の店舗は昭和33年の3月末日をもって廃止となり、おのおののお店も全て業態変更となったのです。ですから昔の面影はほとんど失せてしまい、豪華絢爛な不夜城の姿は昔語りとなりました。
 9時半という早い時間なのですが、黒服を着たお兄さん方があすこに二人、こちらに一人となにやら所在なげに立っています、十人の団体でうろついていれば何だろうといぶかしそうに見られても仕方ありません、決して怪しい輩では無いのですが、何となく後ろめたい気持ちで歩いてきました。

吉原大門!

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 現在地の角がガス、スタンド、そして、大門方向はこの写真です、右へ急角度で曲がっております、食い違い遺構です、江戸以前からありますが街道は真っ直ぐでないのが街道です、奈良井宿の街並みも全て食い違「鈎形」でわざと道を曲げているのです、近くでご覧頂くには亀有のアリオの反対側、中川の向こう側に水戸街道「新宿」の街が残っております。以前は渡船でしたが今では立派な橋が架かっております、その橋を渡った右手(中川と平行した街並み)が水戸街道の新宿です、道を進むと鈎の手に突き当たります、水戸街道を直進出来ないようになっているのですね、まあ江戸の名残ということになります。
 話がそれましたが、右手に交番が見えてきますと「吉原大門」の看板が掛けられた門柱へと着くのです。ここからがかつての不夜城・強者どもの夢の跡となるのです。


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