退院してきました、でも、再入院の予定 私は、大腸がんの治療として、当初は手術の予定でしたが、入院直前に変更になりました。その内容は、手術前の放射線治療、抗がん剤治療というもので、5月11日から入院していました。
ところが、抗がん剤のほうは薬疹が出ましたので途中で中止になり、放射線治療のみになりました。放射線治療は、25回行われました。出血や腹痛などの副作用もありましたが、何とか乗り越えることができました。
今後は、手術に向けての検査、検査、検査と体力の回復です。
病人は謝らなくてもよい社会を!入院中のある日のこと、私の病室の前の廊下で女性が電話をしておられました。
その内容は
「申し訳ありません、発熱したものですから退院予定が伸びました、申し訳ありません。」というものでした。
そうなんだ、病気をした人は謝らなければならないんだ、なんと、悲しいことでしょうか。
病気をした人こそ、みんなから支えてもらうべきなのに、今の社会はそのようになっていません。まるで弱肉強食社会のように、元気な人の活躍社会になっています。
こんな社会は、悲しいです。誰も病気にはなりたくはありません。
病気は特別なことでもなく、誰にでもありうることと思います。老いや病気、そして、死というものを遠くへやらずにしっかりと見据えて、このことを踏まえた社会づくりを祈ります。病弱者を排除しないでください。
寄り添いあって支えあって暮らしたいです。
慈しみの心が溢れる社会を!寺よ変われ!家族のようなベストフレンドをつくりたい!阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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入院治療のため、当分の間休止します 私は、大腸がんの手術のために入院することとなりました。
このため、拙ブログは当分の間休止します。
私にとっては、皆様との絆が大きい幸せです。
今後ともよろしくお願いします。
釈尊は、悟りの中で、「一切皆苦」と言って、人生は苦に満ちていると語っています。
私は、いま、病人ですが、これが人生だと思っています。特別なことでもなく、誰にでもありうることと思います。老いや病気、そして、死というものを遠くへやらずにしっかりと見据えて、このことを踏まえた社会づくりを祈ります。病弱者を排除しないでください。
寄り添いあって支えあって暮らしたいです。
阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) 宮沢賢治の言葉(原文のまま)世界がぜんたい幸福にならないうちは ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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被災地の皆様にお見舞い申し上げます災害の多い国、国は民を本気で守ってほしい
真如堂の境内ではグリーンが輝いています
九州での群発地震被災地の皆様にお見舞い申し上げます。
次から次へと報じられる地震情報に恐怖感を感じます。TVに映し出される被災地の状況には、人間の無力感の前に呆然として言葉も出ません。
そして、宇土市役所、益城町役場の建物が崩壊して混乱しているとか。加えて、熊本市民病院、東熊本病院、八代市民病院が倒壊の恐れがあるから患者さんの転院を検討中とのニュースには愕然とします。こんなことで国民の命は守られているといえるのか。
家が倒壊して犠牲者が出ている様子を見ていても、この国の住宅政策の貧困が浮き出ています。倒壊した建物は、大半が古い木造建築で、耐震性があったとは思えません。
「国民を守る」というのは建前だけのようだと日ごろから思っています。京都市内でも、古い木造建築はいたるところに存在しています。加えて、加えて、新しい建築でも違法建築ばかりで、耐震性が保たれているのか、な〜〜〜んの保証もありません。自動車や家電製品に品質保証があっても、建築物には保証がありません。保証されていない建築で暮らす私たちは、守られているといえるのか!!!???建築確認は書類審査だけで、現地では別物が建てられています。
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水辺の桜は風も喜んでいます
先日、大腸の手術の前に転移を調べるために病院でPET検査を受けました。その帰りに鴨川&賀茂川の桜を楽しんできました。前日には春嵐のような気候で、雨風が厳しかったのですが、しっかりと咲いてくれていました。その桜が言いました、「いつまでも咲いていると思うな!」
そう、私は高齢でもあり、がん患者でもあることから、しっかりと楽しんできました。
川べりを散歩している人々の顔も美しい。桜という花は、咲いている間は短いけれど、傷んだ心も体もほぐしてくれますね。
私にとっては、このように楽しめることは嬉しいです。免疫力もUPでしょうね。
でも、今の私にとっては、人生のワンシーンにすぎません。誰だってそうかもしれませんね。悲しいことも、うれしいことも、みんな、ワンシーンです。
ブッダの最後の言葉は、今の私に心に響きます。
「事象あるものは変化する。修業に励めよ。」
私はこの言葉が大好きです。この言葉からは、「生かされている。」という思いが引き出されます。
何もかもが移ろいで行く、なんと素敵なことでしょうか。明日の私は今の私ではない。
移ろいゆくことに、気持ちがほぐれます、そう、執着というものは意味のないこと。
ガリレオの「それでも地球は回る。」という力強い言葉は、ブッダの前では色あせてしまいます。いつかは、回らなくなるかも。
何もかも、変化する!桜の、花も、散りゆく………、素敵ですね。
本の紹介・岩波文庫「ブッダ最後の旅」中村 元訳
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真如堂は紅葉だけではありません、桜だって!お寺の境内というものは天国ですね 私は、高校生の頃まではプロテスタント系の教会へ通っていました。今の私は浄土真宗の信者となっていますが、時折、教会の礼拝堂を思い出すことがあります。
その教会には、キリスト像というものは何処にもありませんでした。このことについてお寺と比べてみると、大きい違いがありますね。
そういえば、内村鑑三は、無教会主義だったとか。詳しくは知りませんが、教会という建物はいらない、人が集まれば、そこが教会であるということでしょうか。
考えてみれば、釈尊とも人間ブッダともいわれる人は、旅を続けながら説法をしていたわけですから、彼も無教会主義に通じるものがあるように思います。
仏像がなければ仏法は聞こえてこないのかというと、決して、そのようなことはありません。むしろ、法身(ほっしん)という言葉があるように、教えを大切にした信仰のほうが私には向いているように思えます。お寺の境内で、風の声も野鳥のさえずりも聞けます。これも聞法なのかも。仏法を聞いてこその仏の教え、仏教ですよね。
本の紹介・岩波文庫「ブッダ最後の旅」中村 元訳阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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