「祇園さん」と親しまれている八坂神社!先月の下旬の頃、八坂神社へお参りしました。京都の人たちは「祇園さんへお参りです。」と親しみをこめておっしゃいます。
その八坂神社は、江戸時代までは「祇園感神院」という天台宗のお寺の一部だったそうです。それが、明治の元年に出された神仏分離令によって、境内の一角にあった神社だけが残ったそうです。今は、どこにもお寺の雰囲気はありません。廃仏毀釈は怖いことです。
そもそも、「祇園」という言葉は、阿弥陀経に出てくる「祇樹給孤独園」という言葉から由来すると言われています。そう、釈尊が滞在して弟子に阿弥陀如来について語った場所です。ですから、「祇園」といえばお寺が本来の場所なのでしょう。
なお、「祇樹給孤独園」とは、孤独な人に食事を与える場所だったそうです。
現代であれば、憲法に保障されている信仰の自由で国が介入することはあり得ないことだと思いますが、明治という時代は激変の時代だったのですね。
それにしても、なんと外人さんの多いことか。前からも後ろからも中国語が飛び交って来ます。日本人は少数で、孤独感を感じます。
という訳で、着物姿の日本人にはカメラを向けたくなります。華やいだ風が感じられます。
でも、ひょっとして、着物姿の人も外人さんかもしれませんね。
気になる本・下重暁子著「家族という病」 朝日新聞広告阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) 宮沢賢治の言葉(原文のまま)「世界がぜんたい幸福にならないうちは |
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2016年02月17日
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