真如堂は紅葉だけではありません、桜だって!お寺の境内というものは天国ですね 私は、高校生の頃まではプロテスタント系の教会へ通っていました。今の私は浄土真宗の信者となっていますが、時折、教会の礼拝堂を思い出すことがあります。
その教会には、キリスト像というものは何処にもありませんでした。このことについてお寺と比べてみると、大きい違いがありますね。
そういえば、内村鑑三は、無教会主義だったとか。詳しくは知りませんが、教会という建物はいらない、人が集まれば、そこが教会であるということでしょうか。
考えてみれば、釈尊とも人間ブッダともいわれる人は、旅を続けながら説法をしていたわけですから、彼も無教会主義に通じるものがあるように思います。
仏像がなければ仏法は聞こえてこないのかというと、決して、そのようなことはありません。むしろ、法身(ほっしん)という言葉があるように、教えを大切にした信仰のほうが私には向いているように思えます。お寺の境内で、風の声も野鳥のさえずりも聞けます。これも聞法なのかも。仏法を聞いてこその仏の教え、仏教ですよね。
本の紹介・岩波文庫「ブッダ最後の旅」中村 元訳阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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