慈しみの心が広まりますように皆さんへの訪問は、当分の間できません。 私は、まもなく退院1か月になろうとしています。しかし、いまは、相変わらず散歩らしい散歩もできずに自宅で療養中です。過酷な手術と肺炎にかかったことによる体力の消耗は想像以上です。いまは、立ちくらみと食欲不振に悩まされています。
今までのような暮らしができるのか不安です。客観的にみても、身体障害者になったことからも、今までの暮らしは遠ざかったようです。
私は、8年ほど前に帰敬式を受けて釈迦弟子となりました。形式的には、というべきでしょうね。その釈尊は、最後の言葉として、「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成なさい。」(中村元著「ブッダ最後の旅」)
今の私は去年の私ではない、そして、来年の私でもない。このことを心に描きながらも、今後、どのような思いで暮らせばいいのか。生かされているということはわかっていても、心は悩みます。
そんなな悩みはどうすればいいのか、皆さんはどのように思われますか。
あまりにも大きく変化し続ける私。とりあえず、いまを、愛おしく暮らしたいです。
そうそう、私は浄土真宗の信者。命終えれば阿弥陀さんが建立されたお浄土へと行って、蓮の花の上で穏やかな時空で暮らします。
なお、阿弥陀仏は、すべての生きとし生けるものを迎えてくださいます。(悉皆成仏)
葬式仏教から慈しみの仏教へ、寺よ変われ!本の紹介・岩波文庫「ブッダ最後の旅」中村 元著阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) |
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2016年10月02日
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