社会に慈しみの心が広まりますように皆さんへの訪問は、当分の間できません。 お寺の経営の話です。日本のお寺は、キリストの教会のように毎週信者が集まるわけではありませんから、その経営は「先祖供養」という行事で、つまり法要で成り立っています。
本来、仏教においても、キリスト教のように頻繁に信者が集まってお寺の維持をすべきなのです。その理由は、そもそも、仏教において供養ということは必要ないのです。ナンデヤ!
阿弥陀さんを信仰すれば「供養」ということは必要ありません。
私は、浄土真宗の信者です。法名もいただいています。ということで、阿弥陀さんを信仰しています。
いま、浄土真宗では、生前にこそ法名をいただいて仏道を歩みましょうと呼びかけています。また、集会などでも、「私たちは阿弥陀さんを信仰していますから、『ご冥福をお祈りします。』と言わないようにしましょう。」と教えてくれています。
極端なことを言えば、今の日本の仏教は大きい矛盾を抱えたおかしなことになっているのです。
仏教で大切なことは、本来は、慈しみの心を大切にすることです。
無宗教の人が圧倒的に多い日本、本来の仏教の姿は望めるのだろうか………?!
仏教は、本来は、供養が主ではなくて慈しみの心が主体だと思います。
葬式仏教から慈しみの仏教へ、寺よ変われ!
阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用
「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用)
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2016年11月14日
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