社会に慈しみの心が広まりますように皆さんへの訪問は、当分の間できません。 私は浄土真宗の信者です。法名もいただいて釈迦弟子となりました。阿弥陀さんを信仰しています。法名や戒名は生前にこそいただくものです。東本願寺では、この運動を進めていますが、積極性が感じられません。困ったことです。
このようなことを友人、知人に申しますと、次のような答えが返ってきます。
① 今の自分には必要ありません。
② 極楽浄土があるのかないのかはわかりません。
今の私には、上の回答にしっかりと反論できる元気はありません。ただ、いえることは、信仰するということは、信じることであって、それでよいのだと思っています。私は、命終えたら、極楽浄土で蓮の花の上という時空に居ります。
無宗教社会!それは、孤独な老人や障害者を見捨てている社会です。
そうそう、もう一つ大切なことがあります。それは、釈迦弟子になるということは、日常の暮らしの中で仏道を歩むということです。
今の社会は、まるで弱肉強食社会と表現してよいほどに、みんな、勝手気ままに暮らしています。寺も変われ!
葬式仏教から慈しみの仏教に変われ!阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) 同志社大学大学院 カトリック教徒浜教授の言葉「幸せとは ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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2016年12月14日
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