枝垂桜の美しさに酔います
私は、先週、大腸の内視鏡検査を受けました。直腸に病変部が見つかりました。今後の対応については、主治医との相談になりますが、手術ということが予想されます。
前回の尿管がん治療が終わって退院してから2年3か月ほどになります。
また入院かという思いでおります。ブッダの言葉に「人間の体は病気の巣である。」というのを思い起こします。次から次からへと病気です。
世間では、健康が一番だ!健康の秘訣はこれだ!と、健康を謳いあげています。その通りですが、人間というものは、病気になって当たり前という状況に置かれているのです。このことを前提とした、支えあう、寄り添いあう社会をつくりたい。
弱者の声が政治の世界に届きません。健常者が支配している社会です。病弱者の声は無視されっぱなしです。
いま、アメリカの大統領選挙で、「私は民主社会主義者です。」と語りかけている民主党サンダースさんが予想外に善戦しています。彼は、国民皆健康保険、大学まで授業料無料化や最低賃金の引き上げなどを語りかけています。そして、富裕層からの増税を叫んでいます。はて、さて、どうなるのでしょうか。
ブッダの教え「ダンマパダ」148
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病気&信仰
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立ちのぼる煙が空を抜けて天へと行きました!私は、今は、入院はしていませんが、闘病中です。がんとの闘病生活も13年目になりました。がんという病気は不治の病というイメージがありますから、がん患者というドアーを開けたことによって精神的な動揺も大きく、見えてくる世界が変わりました。
例えば、青い空を見ただけでも元気をいただいたり、また、雲をみても「雲さんおはよう」と声をかけたりのように、今までとは違った世界に飛び込んだようなものです。
このことは、素人考えですが、医学的にみても良いことだと勝手に思っています。つまり、病気のことは忘れてなにかに感動することは、免疫力を高めるのではないか!そのように思います。
私は、体力がないのでインフルエンザが怖いです。ですから、雑踏は避けていますが、先週の節分の折に、聖護院門跡で行われた「採燈大護摩供」を見学に行きました。我が家から近いお寺なのですが、久しぶりの大護摩供です。境内にあふれるモクモクとした煙に感動、感動です。また、大勢の山伏たちが唱える読経にも感動、感動です。まさに、非日常の空間が出現していました。
私は思います、信仰は大切なことです。私は、浄土真宗の信者として、法名をいただいて釈迦弟子のひとりとなりました。門徒として、日々、仏道を歩みたいと思っています。
信仰は、大切でぇ〜〜〜〜〜〜す!!でも、葬式仏教と言われないような慈しみの仏教を望みます。
気になる本・下重暁子著「家族という病」朝日新聞広告阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) |
胃を手術した仲間たちに会えました、一年ぶり!!
先日、一年ぶりに仲間たちと会うことが出来ました。仲間とは、胃がんで手術をした人達です。その仲間の手術の内容は、全摘の人、部分切除の人というように異なります。また、手術の方法も、内視鏡的手術、腹腔鏡下手術、開腹手術といったように異なります。ですから、後遺症についてもほとんど影響のない人や、下痢、便秘、腸閉塞、貧血、逆流性食道炎などなどバラバラです。多種多様です。
しかし、皆さんの心は一つです。同じです。それは、胃がんになったけれど、楽しく前向きに暮らしていこうという気持ちは、みんな、同じです。
術後の暮らし方については、病院のサポートはほとんどありません。術後難民という言葉もあるほどです。みんなで、支え合って暮らしていきたい。
私は、2年前までは奈良、大阪、神戸での交流会にも参加していました。でも、いまは、尿管がん術後は京都しか参加していません。ですから、一年ぶりの再会です。大変嬉しいひとときでした。
胃がん術後という過酷で暗いトンネルを通り抜けてきたもの同士での語らいは嬉しいものです。ですから、会が終わって皆さんと別れて帰宅する私には、冷たい秋風でした。世間の風は、つめたい……
同志社大学大学院 浜教授の言葉「幸せとは 阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用
中村 元さんが説く仏教のこころ「『慈しみ』の心こそ、釈尊の悟りの真髄であり、 |
お寺にも晩夏にも似合っています・ケイトウケイトウの花言葉は「おしゃれ」「風変わり」とか!?我が家の近くでいつも散歩するお寺は聖護院準提堂です。体力のない私にとってはここへの散歩が楽しみです。観音さんとおしゃべりしています。その境内での花といえば、小さいお寺ですから種類は少なく、晩夏のケイトウと秋のホトトギスです。両方ともに静かな花ですね。ケイトウは、昔から各家の庭には咲いていたのですが、いまは、庭のある家も無くなって見る機会が少なくなりました。
ケイトウ・鶏頭という名前は、鶏のトサカに似ているからだそうです。
英語ではCockscombというそうです。その花言葉は、「おしゃれ」「風変わり」だそうで、この二つの言葉は反対語のようで面白いですね。私は、「風変わり」の方に賛成です。
静寂の境内で楽しむ「風変わり」は、まさに、至福のひととき。私には思えました、華やかさはないけれど、賑いもないけれど、私に幸福感を与えてくれます。この、静けさが幸せなのです。元気な人にとっては、この素晴らしさは分からないと思います。
闘病という世界で暮らす者の特権でしょうか。そうそう、病人の視点からは他人の悲しみも分かりますよ。
でも、病気は特別な人だけがなるものでなくて、誰でも病人になってしまいます。健康な人でも、他人の悲しみがわかって当然ですよね。
阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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この森には釈尊も阿弥陀さんも……… 



