真如堂は紅葉だけではありません、桜だって!お寺の境内というものは天国ですね 私は、高校生の頃まではプロテスタント系の教会へ通っていました。今の私は浄土真宗の信者となっていますが、時折、教会の礼拝堂を思い出すことがあります。
その教会には、キリスト像というものは何処にもありませんでした。このことについてお寺と比べてみると、大きい違いがありますね。
そういえば、内村鑑三は、無教会主義だったとか。詳しくは知りませんが、教会という建物はいらない、人が集まれば、そこが教会であるということでしょうか。
考えてみれば、釈尊とも人間ブッダともいわれる人は、旅を続けながら説法をしていたわけですから、彼も無教会主義に通じるものがあるように思います。
仏像がなければ仏法は聞こえてこないのかというと、決して、そのようなことはありません。むしろ、法身(ほっしん)という言葉があるように、教えを大切にした信仰のほうが私には向いているように思えます。お寺の境内で、風の声も野鳥のさえずりも聞けます。これも聞法なのかも。仏法を聞いてこその仏の教え、仏教ですよね。
本の紹介・岩波文庫「ブッダ最後の旅」中村 元訳阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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信仰ある暮らし
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黄色で可愛いサンシュウの花咲いています 真如堂に 先日の朝日新聞の「声」という読者の投稿欄に戒名について意見を述べられていました。そのタイトルは「戒名とは何なのでしょうか」というもので、そこには、30万円で院号がついたとか50万円でつかずに信士だけだったという言葉が書いてありました。
私は、これを読んでいて悲しくなりました。高額を要求するお寺も悪いし、そもそも、信仰もしていないのに命終えた途端に仏弟子にしてあげたいという遺族側にもモンダイありです。
そもそも、戒名・法名というものは、信仰生活のもとに生きている間にこそいただくもので、みずから、仏弟子として名のりを上げることです。
私は、浄土真宗の信者ですから、東本願寺にて帰敬式を受けて釈○○という法名をいただきました。この「釈」という文字をいただくことによって、釈迦弟子として名のりを上げることだと教えられました。ちなみに、費用は1万円で、法名をいただいて、加えて、お勤めの本とCD、そして、肩衣をいただきました。
投書にあったようなことはこの国では日常的なことなのでしょう。これは、「私は仏教徒です」という方が少ないからこのようなことになるのだと思いますね。
悲しいです!釈尊も嘆いておられると思います!!
法名・戒名はお金でいただくものではありません。
信仰があってこその法名、戒名だと思います。
気になる新聞投稿記事・朝日新聞阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) }}}
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雲水さんと出会える街、京都!ときどき、我が人生を振り返ることが多々あります。このことは、もはや前途が無くなってきたから後ろを振り返るということでしょうか。それにしても、多くの友人、知人が道の途中で逝ってしまわれました。
そういえば、ブッダの言葉に、人間の体は病気の巣である、という言葉があります。健康ということは、常態ではなくて奇跡的なものでしょうか。穏やかな日々を仏に祈ります。
今日の我がブログの写真は上の一枚だけです。大切な風景です。この風景は、雲水さんが托鉢をしている様子です。私が住んでいる町内では、時折、このような姿を見かけます。「ウオ〜」「ウオ〜」と声を出して歩いておられます。これが、本来の修行僧の姿です。ブッダは修行僧に語りました、経済活動はするな、経済活動は欲を生み出し、苦しみの原因となる、と、語ったとか。私は思います、いまの、日本の経済活動は、人間の幸福からはかけ離れたものです。競争社会になってしまって、支え合う社会からはほど遠い気がしますね。人間性が排除されています。社会は壊れています。
雲水さんの托鉢の風景は素敵な風景です。いつまでも京の街に残ってほしい。そうでなければ、人間が人間らしく暮らす街で亡くなります。
ブッダの教え「ダンマパダ」148NHKテキスト「ブッダ真理のことば」から
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お寺の境内で考えた、考えました、思いました!信仰ある生活って、素晴らしいものだと思いますね!私は浄土真宗の信者です。帰敬式を受けて、仏法僧に帰依しますと誓いました。ということで、私なりに仏道を歩んでいます。私は仏教徒です。
このようなことを友人、知人に話しますと、皆さんは、「私には必要ありません。」とか「私には早すぎる。」といった答えが返ってきます。
私は思います。信仰は、心の弱い人のためのものでもなければ人生の終わりのものでもありません。とはいえ、私自身の心の弱さは否定しませんが、信仰は、日頃の暮らしの中で大切なものだと思います。
信仰は、生き方、暮らし方を考えなおす大切なものです。心が弱くなったから信仰にすがるというものではないと思うのですが。それどころか、逆に、人生を見直して正しく暮らすということは心の強さが必要であり、エネルギーも必要です。
ブッダが説いた暮らし方に「八正道」と言うものがあります。文字通り八つの正しい道です。正しい言葉を使いなさい、正しい考えを持ちなさいなど、正しく暮らせというものです。
私は願います。信仰と言うものが広まって、この世の中に慈しみの心が、優しさが満ち溢れますようにと願います。今は、まるで、弱肉強食社会です。
仏教は、生きていくうえでの仏教です、葬式仏教からの脱却を望みます。南無阿弥陀仏
Yさんから届いた素敵な絵手紙中村 元さんが説く仏教のこころ「『慈しみ』の心こそ、釈尊の悟りの真髄であり、 ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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蝉が鳴いていても静寂の風が吹く
お寺とともに暮らす日々には安らぎがあります
むかしのヒットソングに「谷間に三つの鐘が鳴る」という素晴らしい歌がありました。私は、この歌詞の日本語訳を読んで、さらに、好きな曲となりました。
三つの鐘の内容は次の通りです。
①ジミー・ブラウンが生まれたよ
②ジミー・ブラウンが結婚したよ
③ジミー・ブラウンが天に召されたよ
なんと素敵な一生でしょうか。生まれた時も結婚した時も祝福の鐘が鳴り、天に召された時には、良い一生だったねと鐘が鳴って谷間に響き渡るのです。
日本の仏教は、亡くなった時だけに関係するのですが、本来の仏教はそうではありません。生きていくうえで大切な仏の教えです。それは、慈しみの心を基本とした日々の暮らしです。葬式仏教から脱却して、悲しみに打ちひしがれている人々に寄り添う仏教になってほしいです。
そういえば、むかし、私の友がお寺で結婚式を挙げました。阿弥陀さんの前で愛を誓いました。素敵な結婚式でした。
その友も、阿弥陀さんのお浄土へと旅立っていきました。いまは、お浄土から、ご家族を見守っておられることでしょう、そして、私にも、声をかけてくれていることでしょう。
阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用)中村 元さんが説く仏教のこころ「『慈しみ』の心こそ、釈尊の悟りの真髄であり、 Yさんから届いた素敵な絵手紙ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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