法話を聞くことが出来るお寺、嬉しいです! 久し振りに法然院を訪ねました。ここは、浄土宗のお寺として宗教活動をしておられます。拝観料は要りません。自由に境内を楽しむことが出来ます。京都には拝観料が必要なお寺は満載です。私の経験では、あるお寺のことですが、あまりにもきれいに手入れされた美しさに何処かの料亭の庭かと思ったことがあります。やはり、本来の宗教活動をしてほしいものです。釈尊だって望んでいるはずです。
この日も法然院の本堂では法話をされていました。誰でも聞くことが出来る状況でした。私には体力もないので、入り口の外で少しだけ聞いていましたら、南無阿弥陀仏の「南無」という意味などを話されていました。これからも他のお寺でも聞けたら嬉しいです。
この国の仏教は葬式仏教と言われています。悲しいことです。生前にこそ寄り添える仏教になるべきです。私は、浄土真宗の信者として、帰敬式を受けて法名をいただき、形式的には釈迦弟子として暮らしています。ですから、一昨年に3か月ほど入院していた折には住職が病室へ来て下さいました。日本人は、ともすれば、病室に僧侶ということを意外に思われると思いますが、本来、仏教は、悲しんでいる人々に寄り添える宗教なのです。
私が仏教徒となった理由の一つに、釈尊と呼ばれる人は実在の人物で、29歳で出家して80歳でこの世を去ったという事実です。釈尊は、私と同じように、また、親鸞とも同じように、この世に生れて生きることの苦しみや意味を見つめていた、このことに惹かれます。
法然院は、東山の懐に抱かれて、野鳥のさえずりもしっかりと心に響きます、法話も心に響きます、すてきな、お寺、です。
気になる新聞記事 朝日新聞から
阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) 中村 元さんが説く仏教のこころ「『慈しみ』の心こそ、釈尊の悟りの真髄であり、 ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
|
京の散歩・左京区
[ リスト | 詳細 ]
やっぱり!真如堂は紅葉の名所です12月に入って京都は一段と寒い日が続きました。冷えれば紅葉はきれいになるという話がありますので、12月になったけれど真如堂へ行きました。
入り口で驚きました、真っ赤ァ〜〜かや!本当にきれい、きれい。11月の頃とは大違いです。
私は、一昨年、抗がん剤治療と手術のために3か月ほど入院しました。それ以来、私の記憶がい〜〜っぱい消えました。ですから、真如堂の紅葉の美しさも忘れていました。高齢者が環境の急激な変化で認知症になりやすいということを聞いた事がありますが、分かります、その通りです。
京都は、11月にはあんなにも賑いがあったけれど、12月に入ると静かになります。その境内に聞こえてきます、「きれいやな!」「きれいやね!」ほんとに、きれい………
真っ赤に染まった紅葉をみて思いました。自然は、災害という恐ろしい面もありますが、やはり、裏切らないんだ、いつものように楽しませてくれます。冷え込んだら真っ赤になるのです。
人間は、裏切りで染まっています。裏切りやいじめが蔓延です。
|
お寺は、心も体も生活も安らぐ場所になってほしい 11月の末ごろ、真如堂へ出かけました。今年の紅葉は遅れ気味ですが、やはり、きれいです。心が明るくなります。落ち葉になる前に、私たちを楽しませてくれます。
東方学院院長をされていた中村 元さんは、釈尊の悟りの真髄は「慈しみの心である」と語っておられます。この慈しみの心こそが、苦に満ちた人生を生きて行くにあたって大切なことであると釈尊は語っているのです。
日々の暮らしをみてみても、分かります、この社会に慈しみの心が、もっと、多くの慈しみの心があふれていれば、私たちの暮らしも人間らしい暮らしになるのだと思います。しかし、残念ながら、慈しみの心は何処にも感じられません。
そもそも、お寺こそが、慈しみの心の発信基地となってほしいのですが、残念ながらそうではありません。例えば、ホームレスの人々のための緊急避難施設・シェルターとしてのお寺になればいいと思うのですが、残念ながら、遠い存在です。やはり、末法の世ということでしょうか。
貧しい人々のためのお寺、そのようになってほしい。心も貧しい、体も貧しい、生活も貧しい、そんな人のためのシェルターとなってほしいと祈ります。
Yさんから届きました 素敵な絵手紙気になる本:下重暁子著「家族という病」朝日新聞の広告から中村 元さんが説く仏教のこころ「『慈しみ』の心こそ、釈尊の悟りの真髄であり、 ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
|
テーマは「ばっかお前…俺がついているだろう!」
賑いに誘われて京大の11月祭を楽しんできました。がん患者の体力のない私にとっては、若い人たちの群衆の中に入るのは疲れます。それに、この日は金曜日ということもあって家族連れも少なく、圧倒的に若者の群衆でした。
それにしても、今年のテーマ「ばっかお前……俺がついているだろう!」は、私には疑問が浮かんできます。ナゼ、いま、これがテーマなのか分かりません。
いずれにしても、「俺がついているだろう!」は心強い気がしますが、今の時代、女性がこのように言われても反発するばかりですよね。「馬鹿とはなによ」と言い返されそうです。男性が女性に言うとすれば、「家事も頑張ります」の方がいいのでは?
そうか、そうか、私がこのように考えるだけでも、脳に刺激があって意味があるのかも。
時計台の前の広場では、民族舞踊研究会がリズミカルな音楽に合わせてダンスを披露していました。男性も女性もダンス、ダンス、ダンスです。このように各国のダンスを踊って、みんな、仲良くしたい!仲良くすることは反戦平和への道だと思います。
おまつり広場に京大神社 おみくじがありました気になるこの本 同志社大学浜教授著 朝日新聞広告から阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) 中村 元さんが説く仏教のこころ「『慈しみ』の心こそ、釈尊の悟りの真髄であり、 ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
|
炎を見つめて祈りました、穏やかな日々を吉田神社の末社のひとつに竹中稲荷社があります。場所は吉田山の頂上近くですから日頃は静かな境内です。ですから、TVドラマのロケ地としても登場します。
その静かな境内が春と秋の一日が賑います。春季大祭と秋季大祭です。といっても、氏子さんの一部が集まるのですから、静かなものです。
11月のはじめ、その秋季の大祭にお参りしました。春季大祭には何度かお参りしましたが、私にとっては秋季は初めてのことです。町内の方から護摩木をいただきましたので、その様子を楽しみに行きました。お社の前には多くの護摩木が積まれており、神官によって灯されると勢いよく燃えました。
炎を見つめていますと心が安らいで穏やかな日々が見えてくるように思いますね。考えてみれば、今は、日頃の生活で炎をみる機会も無くなりました。
そうそう、私が中学生の頃、キャンプファイアーを楽しんだことがあります。星空のもとでファイアーを囲みながら、仲間と肩を組んで歌いました。あれが、幸せということなのでしょうね。
♪燃えろよ 燃えろよ
♪炎よ燃えろ
♪今日の一日(ひとひ)の幸
♪静かにおもう♪
遠い、とォ〜〜〜い、思ひ出です。そんなことも、ありましたワ…………
短い人生、素敵な思ひ出を一杯作りましょう!
みんなが正規職員になれるような社会をつくりましょう!そうでないと、女性が輝く社会になれないのです、そうですよね!!
同志社大学大学院 浜教授の言葉「幸せとは 気になるこの本 浜教授著 朝日新聞の広告から阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) 中村 元さんが説く仏教のこころ「『慈しみ』の心こそ、釈尊の悟りの真髄であり、 宮沢賢治の言葉(原文のまま)「世界がぜんたい幸福にならないうちは ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
|




