社会に慈しみの心が広まりますように皆さんへの訪問は、当分の間できません。 今年の1月のある日、まだ大腸がんという告知を受けてないで尿管がんの術後生活を送っていたころの話です。復活した書店「丸善」へ行きました。BALというビルの地下一階と二階の広々とした店内でした。でも、なんとなく老舗っぽい雰囲気がただよっています。
写真は今年1月の写真です。
このお店は10年ほど前に撤退していたのですが、BALというビルが建て替えられたことにより復活したのです。私にとっては、丸善は洋書中心のお店ですからほとんど関係がないのですが、それでも、京都に復活したことは嬉しいです。昔の丸善にはなんとなく外国の雰囲気が漂っていました。例えば、バーバリーのコートも英国直輸入の製品で、日本製ではありませんでした。
この時の私の買い物は、タブレット用のWindows10のガイドブックです。
私のタブレットには、「青空文庫」というアプリが入っています。無料で本が読めるアプリです。夏目漱石の「こころ」「草枕」も読めます。島崎藤村の「破戒」も「夜明け前」も読めるのです。芥川龍之介もヘミングウェイも読めるのです。
私は昔から本屋さんが好きでした。そこは、未知の世界が一杯詰まっているワンダーランドです。そんな本屋さんが、いま、全国的に減少しているとか。寂しい限りです。
と、言いつつも、私は、抗がん剤治療による副作用で本屋さんへ行く元気がありません、青空文庫を利用しているのですから、何も言う資格はありませんね!!!
阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用
「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用)
作家・雨宮処凛さんの言葉 出典:ビッグイシュー「人の命を 財源で語るな!」
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京の散歩・(左京区以外)
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「石塀小路」は残り少ない風情ある街並みです!祇園町の一角に「石塀小路」という人気スポットがあります。外人さんも日本人も風情ある街並みを求めて来はります。
「石塀小路」という名の通り、各家には石垣の塀がつくられており、京都でも珍しい街並みです。本来ならば、静かな住宅地ということでしょうが、人気のようですから、ところどころに「静かに」という文字が書かれた札が掛けられています。歩いている人たちをみれば、日本語の「静かに」だけではダメなのようで、中国語、韓国語、英語も必要だと思います。
京都の街から京都らしさが消えてしまいましたから、貴重な風情ある京都の街並みを求めて来られるのでしょう。京都の街は、その中心部はビルやマンションばかりで京都では無くなりました。もはや、手遅れの状況です。
京都が京都で無くなったのですから、名前を変えなきゃ!企業に命名権を売りますか。ニッサンン市、パナソニック市、ソニー市になったら、無茶苦茶や。でも、今でも無茶苦茶どすわ!
そういえば、森山良子のコンサートを楽しんだ京都会館は、命名権を売って、ロームシアター京都になりました。悲しくもあり、ナンダカヘンデス????
宮沢賢治の言葉(原文のまま)「世界がぜんたい幸福にならないうちは ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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梅の香りと穏やかな風に魅了される3月3日の雛祭りの昼下がり、春の陽射しに誘われて京都御苑へ行きました。目的は梅林での観梅です。
京都御苑は、いつ行っても広大さに魅了されます。自転車が走っても自動車は入れませんから、の〜〜んびりと歩くことが出来ます。梅林も素敵です。
梅林では、梅の香りを楽しむことが出来ました。最も楽しめたのは、皆さんのくつろいだお顔でした。そして、平和で穏やかな、穏やかな風でした。
いま、ネットの投稿で話題になっているのがありますね。それは、「保育園落ちたよ 日本死ね!」というものです。国会でも取り上げられましたが、投稿者が匿名ということもあって、パネルにしてTV中継で紹介することは、予算委員会で了承されなかったそうです。ということで山尾議員が読みあげていました。その内容は、「日本死ね」という荒っぽい言葉からも絶望感が溢れています。確かに、お子さんを保育園に入れることが出来なければ働くことも出来ませんから切実な問題ですよね。
そんな社会の中で、梅の香りと穏やかな空気に魅了されている私。がん患者として、この穏やかさは大切です。
でも、弱者が切り捨てられているこの社会には絶望感がこみあげてきますね。弱者の声は政治の世界に届かない。みんなが、穏やかに暮らせるような社会を望みます。
阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) 宮沢賢治の言葉(原文のまま)「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」 ホームレスの仕事をつくり自立を応援するビッグイシュー350円
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「祇園さん」と親しまれている八坂神社!先月の下旬の頃、八坂神社へお参りしました。京都の人たちは「祇園さんへお参りです。」と親しみをこめておっしゃいます。
その八坂神社は、江戸時代までは「祇園感神院」という天台宗のお寺の一部だったそうです。それが、明治の元年に出された神仏分離令によって、境内の一角にあった神社だけが残ったそうです。今は、どこにもお寺の雰囲気はありません。廃仏毀釈は怖いことです。
そもそも、「祇園」という言葉は、阿弥陀経に出てくる「祇樹給孤独園」という言葉から由来すると言われています。そう、釈尊が滞在して弟子に阿弥陀如来について語った場所です。ですから、「祇園」といえばお寺が本来の場所なのでしょう。
なお、「祇樹給孤独園」とは、孤独な人に食事を与える場所だったそうです。
現代であれば、憲法に保障されている信仰の自由で国が介入することはあり得ないことだと思いますが、明治という時代は激変の時代だったのですね。
それにしても、なんと外人さんの多いことか。前からも後ろからも中国語が飛び交って来ます。日本人は少数で、孤独感を感じます。
という訳で、着物姿の日本人にはカメラを向けたくなります。華やいだ風が感じられます。
でも、ひょっとして、着物姿の人も外人さんかもしれませんね。
気になる本・下重暁子著「家族という病」 朝日新聞広告阿弥陀如来の誓願 第十九 大無量寿経から引用「第十九 私の目覚めた眼の世界では、誰でも道を求める心を発し、一生懸命善い行いを積み、その力によって、素直な心で目覚めた私の世界に生まれようと願うに違いない。その人は生涯の終わりに阿弥陀如来が多くの目覚めた人々と共に、そなたの人生は素晴らしい一生だったと、温かく見守られる世界に導かれるであろう。もしそうでなかったら、誓って私は目覚めたなどとは言えない。」(高松信英著「大無量寿経」から引用) 宮沢賢治の言葉(原文のまま)「世界がぜんたい幸福にならないうちは |
幸神社の絵馬にはお猿さん! 幸(さいわい)神社へお参りしました。名前に惹かれます。また、ここの絵馬にはお猿さんが描かれています。
幸せとは?このことは難しいですね。はたして、私は、いま、幸せなのか、それとも、そうではないのか。幸(さいわい)は、カール・ブッセの詩のとおり、山の彼方にしか住んでいないのか。
同志社大学の 浜教授がTVで語っておられました。
「幸せとは ひとの痛みがわかることである。」
素晴らしいですよね!私はこの言葉にこそ幸せの源があると思います。
私は、がん告知を二回も受けて闘病してきていますから、そういう意味では、他人の痛みは少しは分かっているつもりです。とすれば、私は、幸せなんだ!?
いまの社会では、自分たちさえ楽しかったら良いという人ばかりです。政治家も宗教家も人の痛みには寄り添っていない。これでは困ります。もっともっと、他人の痛みがわかる人々の社会を望みます。
同志社大学大学院 浜教授の言葉
ひとの痛みがわかることである。」 |




