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キルティ僧院近くでの惨劇(Phayul.com)
チベット絶望高原の慟哭…虐殺証拠写真を公開
東アジア黙示録:http://dogma.at.webry.info/200803/article_6.html
より
「聖都ラサの武力制圧に続き、チベット全域で弾圧が激化。北京が偽情報を流す中、
チベット支援組織が発砲・射殺の証拠写真を公開した。
かつての中共軍侵攻による地獄絵図の再現が懸念されている。
中共侵略政府が“出頭期限”とした3月18日午前零時が過ぎ、
ラサのチベット人家庭に対する一斉捜索が開始された。
市内に展開する中共軍部隊などは、数百人規模の身柄拘束に
乗り出した模様だ。
「軍隊は街のいたる所にいます。どこにも行き来できません。
すべてのチベット人は止められ、そしてIDチェックを受けています」(RFA)」
上の上の写真は
「カム地方アバ。ここも密教文化に彩られた伝統的なチベット世界だ。そして、世界遺産に登録された九寨溝で知られる風光明媚なエリアでもある。
その地で高い格式を誇るキルティ僧院で、惨劇が起きた。
3月16日、キルティ僧院の僧侶たちは朝の祈りを捧げた後「チベットに自由を」と訴える抗議活動を開始した。中共武装警官は催涙弾を撃つなどして襲いかかり、僧院を封鎖。
シナ人武装部隊による僧院占拠に対し、1,000人規模の抗議行動が発生。それに対して武装部隊が実弾を射ち、8人が犠牲となった。情報源によれば、その場で約30人が撃たれ、100人程の負傷者が確認されたという。
参照:TCHRD3月16日Eight dead bodies brought into Ngaba Kirti Monastery
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広い国土、あふれんばかりの人口、それでもまだ人も国土も欲しいのかね、と思いきや、欧米人、日本に対しては毒入り、餃子や歯磨き粉を食べさせ、それぞれの国の人口を遠大な計画のもとに減らそうとしているなら今のうち 始末すべきだな、5輪にうかれずに。
2008/4/3(木) 午後 4:14 [ bob_g ]
全て貧富のさが原因、チベット、ウイグル自治区、モンゴルーの本住民より移住者が豊かな生活をしている。
2009/7/12(日) 午前 4:35 [ hwa*yu*g20*6 ]
チベットの独立運動
ポタラ宮、当時のチベットの中心地ダライ・ラマを補佐していたパンチェン・ラマは親中国的であったために、イギリスに接近するダライ・ラマに反発し、1925年に中国に亡命した。
1933年、ダライ・ラマ13世が死去、中国の統治下にあったチベット東北部のアムド地方(青海省)で生まれたダライ・ラマ14世の即位式典に列席した国民政府の使節団は、式典が終了したのちも、蒙蔵委員会駐蔵弁事處を自称してラサにとどまった。
1936年には長征中の中国共産党の労農紅軍が、カム地方東部(四川省西部、当時西康省)に滞留中、同地のチベット人に「チベット人民共和国」(博巴人民共和国)を組織させたが、紅軍の退出とともに、ほどなく消滅した。
2017/4/22(土) 午後 8:15 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]