全体表示

[ リスト ]

東アジア黙示録(http://dogma.at.webry.info/200803/article_7.html)より
一部引用

「胡錦濤は政策提案の中で、軍の出動準備と出動命令の権限を自分に与えてくれるよう党中央に求めた。文民職の党書記が党中央に対して、軍に対する命令権を求めるなど、前代未聞のことだった」(楊中美著『胡錦濤-21世紀中国の支配者』130-131頁)

胡錦濤の異例の要請は受け入れられ、そして、ラサは修羅の棲む地と化した。

【群衆に発砲…血に染まったラサ】

1989年3月5日。モンラムが禁止されたジョカン寺に多数の僧侶と市民が参集した。2008年3月14日に装甲車が群衆の中に突入し、チベット人を轢き殺したのも、このジョカン寺の周囲だった。
▼89年虐殺時のジョカン寺前



彼らはチベット民謡「雪国の理想」などを歌いながら街頭に繰り出す。中には雪山獅子旗を手に持ち、チベット独立を訴える者もあったという。平和的な行進の参加者は次第に膨れ上がり、ラサの街は熱気を帯びた。しかし、そこで胡錦濤は非情の決断を下す。

「午後1時40分、胡錦濤は前述した党中央から送付された『チベット情勢と取るべき対策』に従って武装警察を主体とした武力鎮圧を発動した。

 チベット人の歓声は銃弾の中に消え、代わりに負傷者のうめき声、泣き叫ぶ声、恐怖のあまり逃げまどう人々の叫び声などが響いた。ラサの街は一瞬のうちに血と涙で覆われてしまった」(前掲書131-132頁)
▼境内で僧侶を襲撃する中共部隊(89年3月)



19年後の3月に行なわれた虐殺も、この時と同じような惨状だったに違いない。ジョカン寺に人々が集まり、膨れ上がるのを待って襲撃を仕掛けたのだ。

これまでの情報を総合すると、今回のジェノサイドは89年以上に苛烈であった可能性が高い。

【チベット人犠牲者は約800人にも…】

治安部隊の大量投入による徹底した弾圧、無差別殺戮は3月7日まで続いた。89年のラサ弾圧を撮影した映像が残っているが、それは恐らく、この「悪夢の3日間」であると推定される。

寺院内に入り込んだ武装警官らが僧侶に激しい暴行を加える瞬間、市民を殴りつけて拘束する模様、拘束した僧侶をトラックに押し込む様子などがカメラに捕らえられている。世界に衝撃を与えた映像だ。

この時は、事前に海外メディアの記者が緊迫化したラサに入っていたのである。」

閉じる コメント(2)

日本にも独立派がありますか。
沖縄独立論どのように処理?

2008/3/23(日) 午後 0:10 日教組

支那は、このときと同じ悪逆暴虐をしているはずです。
支那が国際調査の受け入れを拒否しているのが何よりの証拠です。
傑作
TB返し

2008/3/23(日) 午後 4:46 coffee

開く トラックバック(1)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事