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鎌倉五山(4/5)

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鎌倉五山の御朱印と由緒など。
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 五代執権北条時頼の三男宗政の菩提を弔う為、夫人と息子師時が創建した鎌倉五山第四位の禅刹。
 開山に招かれたのは、南洲宏海だったが、師にあたる大休正念と兀庵普寧に譲ったことで、開山者には三人の名を連ねている。
 延文元年(1365)の火災により、当初の伽藍は焼失するが、室町時代には方丈、書院、法堂など主要な建物や多くの塔頭があった。江戸期になると、寺院の多くが勢力を失い、伽藍も小規模になった。大正十二年(1923)の関東大震災ではほとんどが倒壊したが、その後徐々に再建された。周囲は緑に囲まれ、昔ながらの広大な寺域は今も残り、国の史跡として保護されている。
 鬱蒼とした杉木立の中、石段を登ると、二階に花頭窓のある唐様の鐘楼門に迎えられる。本堂・曇華殿に安置されているのはそれぞれ過去、現在、未来を意味する阿弥陀、釈迦、弥勒の木造三世仏坐像(室町時代)。県の重要文化財に指定されている。
 境内には、鎌倉一の大きさを誇るコウヤマキやハクウンボク、市指定天然記念物のビャクシンとタチヒガン桜が見事な枝を伸ばしている。茅葺の書院の庭は、ビヨウヤナギ、サルスベリ、キキョウ、シュウメイギクなど四季を通じてさまざまな花で彩られる。

宗派・・・臨済宗円覚寺派
山号寺号・・・金宝山浄智寺
創建・・・弘安四年(1281)
開山・・・南洲宏海、大休正念、兀庵普寧
開基・・・北条師時
本尊・・・三世仏如来坐像
寺宝・・・鎌倉様式の典型的作風の本尊木造三世仏坐像の他、禅宗の祖師達磨大師の木像、木像南洲宏海像、大休正念像、南北朝期の木像観世音菩薩立像。
小百科・・・総門近くの小さな石橋の袂には、五山を示す石塔がありその横に鎌倉十井のひとつ「甘露の井」が残っている。海に近い鎌倉の水は余り美味しくなかった。この井戸の水は名水として、近隣の暮らしを潤したという。

住所☆鎌倉市山ノ内1402
電話☆0467-22-3943
交通☆北鎌倉駅より徒歩8分
拝観時間☆9時から16時半
拝観料☆200円

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 寺のある扇ガ谷一帯は、源頼朝の父義朝の屋敷跡とされる。鎌倉入りした頼朝は父ゆかりのこの地に館(幕府)を建てようとした。だが、亡き父の御堂があったことや、館の用地としては狭すぎる事から断念したと言う。
 鎌倉五山第三位の壽福寺は、北条政子が栄西を開山に招いて、正治二年(1200)に建立された。栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた。総門からまっすぐに続く石畳の左右に繁る木々が幽玄な雰囲気を漂わせる。この地は、かつて奥州討伐に向かう源義家が勝利を祈願したという源氏山を背にした源家父祖伝来の地でもある。壽福寺建立は頼朝の遺志をかなえる事でもあった。
 仏殿には「籠釈迦」と言われる高さ282センチの本尊宝冠釈迦如来像と文殊・普賢菩薩像、源頼朝像などがまつられているが、普段は拝観できない。
 栄西は、宋から帰国の折に茶の苗を持ち帰った事でも知られる。寺宝「喫茶養生記」(国重文)は、宋で学んだ栄西がかの地で見聞した茶の効用を記し、三代将軍実朝に献上した書物である。それ以後、禅宗と並び喫茶の儀礼が広まっていく事になった。

宗派・・・臨済宗建長寺派
山号寺号・・・亀谷山壽福金剛禅寺
創建・・・正治二年(1200)
開山・・・栄西
本尊・・・宝冠釈迦如来
寺宝・・・栄西著「喫茶養生記」、木造地蔵菩薩立像などはいずれも国重文に指定され、鎌倉国宝館の寄託されている。
小百科・・・裏山の裾にある墓地には明治時代の外務大臣、陸奥宗光や俳人高浜虚子、作家大仏次郎などの墓がある。やぐらには源実朝とその母政子の五輪塔がある。

住所☆鎌倉市扇ガ谷1-17-7
電話☆0467-22-6607
交通☆鎌倉駅西口より徒歩10分
拝観時間☆総門から中門までは拝観自由だが、それより先は不可
拝観料☆無料

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 鎌倉五山第二位の円覚寺は、臨済宗円覚寺派の総本山。約六万平方メートルに及ぶ寺域全体が史跡に指定されている。
 寺域の山ノ内は鎌倉時代は山内荘と呼ばれ、現在の大船から横浜市戸塚区の一部を含む広い地域であった。
 北条義時がこの地を所領にしたため、山ノ内には北条氏の建てた寺が多い。建長寺は鎌倉幕府八代執権の時宗の父・時頼(五代執権)が建立した。東慶寺、浄智寺、名月院も北条家ゆかりの寺である。
 時宗は文永・弘安の役(1274年・1281年)の二度にわたる元との戦いで死んだ兵士達の菩提を弔う為、かねてより崇敬していた宋の禅僧・無学祖元(仏光国師)を開山に招いて円覚寺を建立した。弘安五年(1282)のことだ。
 寺名の由来は起工の際、地中から「円覚経」を収めた石櫃が掘り出された事による。創建初期の伽藍は仏殿・僧堂・庫裡があるだけだった円覚寺も鎌倉幕府の祈願所に定められてからは土地や建物の寄進を受け、次第に大きな寺に育っていった。
 一方、大火や震災にも度々遭遇したが、北条氏によってその都度復興されてきた。
 元弘三年(1333)、新田義貞の鎌倉攻略で北条氏一族は東勝寺で自刃。鎌倉幕府は滅びる。二年後、夢窓国師が円覚寺十五世住職となってからは、後醍醐天皇の勅命として建長寺にあった無学祖元の塔頭・正続院を円覚寺に移すなど政治力を発揮。北条氏が滅びた後も、寺は繁栄を続け、盛時には七堂伽藍が整えられ、塔頭も四十二院を数えた。
 だが、文中二年(1374)にまたも大火に見舞われ、全ての伽藍が焼失。それでも四年後には鎌倉公方足利氏満の支援により、仏殿が再建された。
 足利義満により五山制が確立されてからは鎌倉五山第二位に列せられる。現在の姿に整えられたのは室町幕府、江戸幕府の保護によるところが大きい。
 円覚寺を訪れるにはJR北鎌倉駅正面口を出る。左手に、白鷺に化身した鶴岡八幡宮の神霊に導かれ、無学祖元が着いた場所とされる白鷺池がある。
 境内は山門、仏殿、方丈などがほぼ直線上に並ぶ典型的な宋の禅寺様式。その多くは室町時代から江戸時代にかけて再建されているが、伽藍配置は創建当時に近い。
 山門は天明三年(1783)に再建された。伏見上皇勅筆の円覚興聖禅寺の額が掛かっている。仏殿は昭和三十九年(1964)に再建された。本尊の宝冠釈迦如来像をまつり、天井には日本画家前田青邨監修、守屋多々志揮毫の白龍の図がある。仏殿の左手の居士林は在家のための坐禅道場で、その建物は柳生流の剣道場を移築したもの。
 方丈を右に見て、夢窓国師の築造した名勝妙香池を過ぎると、円覚寺の塔頭のひとつ仏日庵がある。ここは北条時宗の廟所として創建され、子の貞時らがまつられている。正続院に建つのが国宝舎利殿で、鎌倉尼五山第一位だった太平寺(廃寺)の仏殿を移築したものと言う。源実朝が宋から請来した仏舎利が安置され、円覚寺の伽藍の中では最も古い、唐様式の美しい建物である。
 参道から外れた鐘楼には、正安三年(1301)、九代執権の北条貞時が寄進した洪鐘がある。建長寺、常楽寺の鐘とともに鎌倉三名鐘のひとつで、国宝に指定されている。
 壮大な伽藍と数々の寺宝を持つ円覚寺は創建当時の精神のままに、僧達が日夜厳しいつとめに明け暮れる禅の修行場である。

宗派・・・臨済宗円覚寺派
山号寺号・・・瑞鹿山円覚興聖禅寺
創建・・・弘安五年(1282)
開山・・・無学祖元(仏光国師)
開基・・・北条時宗
本尊・・・宝冠釈迦如来
寺宝・・・本尊の木造宝冠釈迦如来像の頭部は鎌倉時代、胴部は江戸時代の作。木造仏光国師坐像は頂相彫刻の秀作で鎌倉時代の作。銅造阿弥陀三尊立像は文永八年(1271)の銘がある。絵画には1284年作の自賛仏光国師像や鎌倉時代に描かれた仏涅槃図、宋代の五百羅漢図三十三幅など。工芸では開山が用いた木印二個、宋代の青磁香炉など多数。他に開山や開基の書状など古文書類も膨大な量に及ぶ。十一月三日前後に毎年行われる宝物風入れの折に、多くの寺宝が拝観できる。
小百科・・・毎年七月下旬には一般市民を対象に「夏期講座」を行っている。仏教と人間について見識を深めてもらおうと戦前に始められたものである。講師には宗教、科学、芸術等、各界の第一人者が招かれる。期間中は投宿坐禅会も行われる。

住所☆鎌倉市山ノ内409
電話☆0467-22-0478
交通☆北鎌倉駅より徒歩1分
拝観時間☆8時〜17時(11月〜3月は16時まで)
拝観料☆300円
 

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 臨済宗大本山、鎌倉五山第一位の建長寺は、巨福山建長興国禅寺という。
 山号の由来は寺の前を通る巨福呂坂に、寺名は創建年である建長五年(1253)の年号からとられた。
地獄谷と呼ばれた刑場の跡地に立てられた寺でもある。
 今から約750年前、鎌倉幕府五代執権の北条時頼は蘭渓道隆を開山に迎え、日本最初の禅寺・建長寺を建立した。蘭渓道隆は33歳で宋から来日した。九州、京都を経て、鎌倉入りした宋僧である。
 宋の高僧に学んだ蘭渓道隆は彼地の厳格な禅風をそのまま建長寺に持ち込み、1000人を超えた修行僧を指導した。その折に使われた自筆の指導書は「法語規則」として寺に残っている(国宝)。
 それによると、坐禅は1日9時間に及び、歩行中に声や足音を立てる者には罰則が与えられるなど厳しく細かい規則が定められていた。掃除の行き届いている事を昔「建長寺の庭を竹箒で掃いたよう」といったが、この寺の厳格さを言い当てた表現である。 
 鐘楼の右手奥にある禅堂では、蘭渓道隆が宋から伝えた厳しい禅風が脈々と受け継がれ、現在も厳しい修行が行われている。ここは一般には公開されていない。
 66歳で示寂した蘭渓道隆は、後醍醐天皇から大覚禅師という号を送られたが、これは日本最初の禅師号である。禅師の死後も建長寺は北条氏、足利氏に保護され、隆盛を誇った。とりわけ、この寺を建立した時頼は経済的にも寺を支え、信仰者として全国に禅宗を広めた。
 巨福呂坂に面した総門を入ると楼上に五百羅漢などを安置した三解脱門、略して三門(県重文)があり、その先に本尊地蔵菩薩を祭った仏殿(国重文)、儀式法要を行う法堂(県重文)、唐門(国重文)が直線上に並んでいる。
 鎌倉時代末期には山門・仏殿・庫裡・僧堂・衆寮(修行僧の為の寮舎)その他が回廊によって結ばれ、庫裡と僧堂、浴室と西浄(便所)が左右対称に並び、中国径山万寿寺を模した大陸風の配置になっていた。これらの伽藍は14,15世紀の地震や大火で失われ現存する建物は江戸時代に入り、沢庵和尚の進言などによって再建、復興されたものである。
 創建当時から変わらず残っているのは、仏殿の前に植えられた七本の柏槙のみである。これは宋の禅寺の庭園様式を今に伝えるもの。蘭渓道隆が宋から持ってきた種を植えたとも伝えられている。幹回り7メートルもあり、750年に及ぶこの寺の歴史を眺めてきた巨木である。
 山門右手には北条時頼の寄進でできた大きな梵鐘(国宝)があり、蘭渓道隆による銘文が浮彫りにされている。
 法堂から左の参道を行くと唐門がある。この門をくぐると方丈があり、その背後には開山大覚禅師の作と言われる庭園があり、名勝史跡となっている。心字の池にはツツジやショウブ、スイレンなどが彩りを添える。その奥の山の中腹には建長寺の鎮守である半僧坊大権現が祭られ、毎月17日には祭礼が行われる。
 長い歴史を誇るこの寺には数々の言い伝えがあるが、その中でも現在も私達に馴染み深いものに「けんちん汁」がある。ゴボウ、大根などの根菜と里芋や豆腐などお油で炒めたこの汁は蘭渓道隆が野菜の皮やヘタを無駄にしないようにと作った料理が今に伝えられたもの。豆腐を崩して入れるのは誤って落とした豆腐を使ったことから来ている。建長汁がなまって、いつしか「けんちん汁」と呼ばれるようになったと言う。

宗派・・・臨済宗建長寺派
山号寺号・・・巨福山建長興国禅寺
創建・・・建長5年(1253)
開山・・・蘭渓道隆(大覚禅師)
開基・・・北条時頼
本尊・・・地蔵菩薩
寺宝・・・木造北条時頼坐像(国重文)は鎌倉時代の公家の略服である狩衣、指貫に身を包んだ彫刻。蘭 渓道隆像(絵画)や大覚禅師墨跡は国宝に指定されている。多くの文化財を蔵しているが、その一部は 鎌倉国宝館で展示される事もある。また毎年11月3日前後に行われる「宝物風入れ」の際に一般にも公 開される。
小百科・・・三門の楼上には、五百羅漢などが安置され、この門を通ると心が清らかになると言われてい る。安永4年(1775)に関東一円から浄財を募って再建された門で別名を「狸の三門」と言う。三門建 立の折、この寺で育てられた狸がその恩に報いようと僧侶に化けて、建長寺の住職を助けたと言う言い 伝えによる。

住所☆鎌倉市山ノ内8
電話☆0467-22-0981
交通☆北鎌倉駅より徒歩15分
拝観時間☆8時半〜16時半
拝観料☆300円

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