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臨済宗大本山、鎌倉五山第一位の建長寺は、巨福山建長興国禅寺という。
山号の由来は寺の前を通る巨福呂坂に、寺名は創建年である建長五年(1253)の年号からとられた。
地獄谷と呼ばれた刑場の跡地に立てられた寺でもある。
今から約750年前、鎌倉幕府五代執権の北条時頼は蘭渓道隆を開山に迎え、日本最初の禅寺・建長寺を建立した。蘭渓道隆は33歳で宋から来日した。九州、京都を経て、鎌倉入りした宋僧である。
宋の高僧に学んだ蘭渓道隆は彼地の厳格な禅風をそのまま建長寺に持ち込み、1000人を超えた修行僧を指導した。その折に使われた自筆の指導書は「法語規則」として寺に残っている(国宝)。
それによると、坐禅は1日9時間に及び、歩行中に声や足音を立てる者には罰則が与えられるなど厳しく細かい規則が定められていた。掃除の行き届いている事を昔「建長寺の庭を竹箒で掃いたよう」といったが、この寺の厳格さを言い当てた表現である。
鐘楼の右手奥にある禅堂では、蘭渓道隆が宋から伝えた厳しい禅風が脈々と受け継がれ、現在も厳しい修行が行われている。ここは一般には公開されていない。
66歳で示寂した蘭渓道隆は、後醍醐天皇から大覚禅師という号を送られたが、これは日本最初の禅師号である。禅師の死後も建長寺は北条氏、足利氏に保護され、隆盛を誇った。とりわけ、この寺を建立した時頼は経済的にも寺を支え、信仰者として全国に禅宗を広めた。
巨福呂坂に面した総門を入ると楼上に五百羅漢などを安置した三解脱門、略して三門(県重文)があり、その先に本尊地蔵菩薩を祭った仏殿(国重文)、儀式法要を行う法堂(県重文)、唐門(国重文)が直線上に並んでいる。
鎌倉時代末期には山門・仏殿・庫裡・僧堂・衆寮(修行僧の為の寮舎)その他が回廊によって結ばれ、庫裡と僧堂、浴室と西浄(便所)が左右対称に並び、中国径山万寿寺を模した大陸風の配置になっていた。これらの伽藍は14,15世紀の地震や大火で失われ現存する建物は江戸時代に入り、沢庵和尚の進言などによって再建、復興されたものである。
創建当時から変わらず残っているのは、仏殿の前に植えられた七本の柏槙のみである。これは宋の禅寺の庭園様式を今に伝えるもの。蘭渓道隆が宋から持ってきた種を植えたとも伝えられている。幹回り7メートルもあり、750年に及ぶこの寺の歴史を眺めてきた巨木である。
山門右手には北条時頼の寄進でできた大きな梵鐘(国宝)があり、蘭渓道隆による銘文が浮彫りにされている。
法堂から左の参道を行くと唐門がある。この門をくぐると方丈があり、その背後には開山大覚禅師の作と言われる庭園があり、名勝史跡となっている。心字の池にはツツジやショウブ、スイレンなどが彩りを添える。その奥の山の中腹には建長寺の鎮守である半僧坊大権現が祭られ、毎月17日には祭礼が行われる。
長い歴史を誇るこの寺には数々の言い伝えがあるが、その中でも現在も私達に馴染み深いものに「けんちん汁」がある。ゴボウ、大根などの根菜と里芋や豆腐などお油で炒めたこの汁は蘭渓道隆が野菜の皮やヘタを無駄にしないようにと作った料理が今に伝えられたもの。豆腐を崩して入れるのは誤って落とした豆腐を使ったことから来ている。建長汁がなまって、いつしか「けんちん汁」と呼ばれるようになったと言う。
宗派・・・臨済宗建長寺派
山号寺号・・・巨福山建長興国禅寺
創建・・・建長5年(1253)
開山・・・蘭渓道隆(大覚禅師)
開基・・・北条時頼
本尊・・・地蔵菩薩
寺宝・・・木造北条時頼坐像(国重文)は鎌倉時代の公家の略服である狩衣、指貫に身を包んだ彫刻。蘭 渓道隆像(絵画)や大覚禅師墨跡は国宝に指定されている。多くの文化財を蔵しているが、その一部は 鎌倉国宝館で展示される事もある。また毎年11月3日前後に行われる「宝物風入れ」の際に一般にも公 開される。
小百科・・・三門の楼上には、五百羅漢などが安置され、この門を通ると心が清らかになると言われてい る。安永4年(1775)に関東一円から浄財を募って再建された門で別名を「狸の三門」と言う。三門建 立の折、この寺で育てられた狸がその恩に報いようと僧侶に化けて、建長寺の住職を助けたと言う言い 伝えによる。
住所☆鎌倉市山ノ内8
電話☆0467-22-0981
交通☆北鎌倉駅より徒歩15分
拝観時間☆8時半〜16時半
拝観料☆300円
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