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目が充血していた。
私はコンパクトバッグをひっかき回し、常備した化粧品に埋もれた目薬を発掘して手際よく点すと、つい習慣で、必要もないのに暫く上を向いて目が乾くのを待った。幾秒かそうした後、鏡像に再び目を凝らす。何時もよりいくらか濡れた眼差しは、涙を湛えているようで。
とたん、自分の影身に貰い泣きしそうになって、私は焦った。ばっかみたい、そう思って、慌しく眼をそらして壁の鏡から目を逸らした。
あいつが居なくなって、部屋が少し広くなったなと、錆びた視線を薄暗い中泳がせる。
餞別に残していったらしい一箱の煙草が、本棚で投げ遣りにぼんやり白く浮かび上がっているのを見止め、何とはなしに取り上げるも火種が無いことに気付いて考え込んだ。
そうだ、ガスコンロ。
四肢を気だるく引き摺って台所に移り、煙草にコンロで火を点け、冷たい床によろよろと腰を下ろしゆっくりと味わって吸った。初めてのことだった。
旨いもんだと、毒気を吐きながら感心していると、台所は忽ちの内に煙臭くなった。本で読んだように、毒で頭が、痺れる。
頭をやられてくらっときて、片腕で頭を抱え突っ伏した。煙草が長持ちするように、後シリの部分を指で押さえて飲む。
大きく吸い込んで肺の隅々まで煙草の煙を染み渡らせると、体の芯が切なく痺れた。愛しさと焦燥に囚われて、何かに強く焦がれて、自己憐憫の余り又もや泣きそうになり、目を閉じる。
私は念じる。
誰か。
誰でも良い。私に触れてくれ。
愛してると、言ってくれ。
余韻を味わう間も無く、愚にもつかない感傷は急速に引いて行った。私は、彼女が虚ろでガラス玉の様だと形容した目を開き、一種異様な石化した感動を以って、彼女の別れの瞬間の表情を思い浮かべることを試みて、失敗した。空を見詰め、涙で視界がぼやけるのを待つが、一向にその気配は無かった。
いい加減苦しさに頭がぐら付いて来たころ、私は自分が呼吸していないことに気付いて長い息を吐いた。天を仰ぐ。
貴方の眼差しって、虚ろでまるでガラス玉みたい、そういって笑った元恋人の去り際を思い浮かべる。薬水に濡れ血走った、虚ろな瞳。だが、硝子の珠に血管は張られていまい。
そうだ。
好きだというだけでは、どうにも成らない事は有るのだ。私たちは諦めを識らなければならない。
一箱の煙草を餞別に、彼女は居なくなった。私はそれを確シッカりと確認し、過ぎたことにしなければならないのだ。
そうとも、彼女は間違って居たんだ。燃え尽きつつある煙草を流しで始末しながら、唇だけで呟いた。
私の眼差しは虚ろじゃないし、目だって硝子じゃない。
私は目を被オオった。涙を流し嗚咽を漏らすフリをして、その午後を過ごした。煙草は間もなく無くなった。
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