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怒りは、結局
他人に何かを求めることから 生まれるということも 一理あるかもしれません。
他人に何かを求めて、 それがかなわないから怒る。 それって俗物以外の何物でもない。 それに怒りなんて何の役にも立たない。 ただ、公平な目を失うだけのこと。 他人に何も求めなければ、 期待はずれも、 助けてもらえなかった、 分かってもらえなかった、 という感情も湧いてこない。 約束なんかしていなくても、 勝手に、求めてしまう人もいる。 そして、 「そっかぁ、あなたは、 そういうことをする人なんだね」とか、 「分かった、分かった、 あんたのところでは、 私のような人間をそう扱うんだね」とか、 捨てゼリフを言い、 かき回して消えていく人もいる。 そもそも、 怒るなんていうことは、 その人の選択であり、 怒りそのものは 生きていれば何度もあるけれど、 それを他人に押しつけて、 自分では、状況を何も変えようと しないことが、一番ダメなこと。 じゃあ、たとえば、 自分に何かを期待して、 それを果たせなかった時に、 自分への悔しさとか、 怒りが湧いてくるか。 あくまで、 他人のせいにして、 勝手に怒っているか。 そこで、どういう感情の選択を するかで、人生は変わる気がする。 自分と他人に対して、 公平になれるかどうかも、 そこにありそうです。 |

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怒らない人が多くなったから、このような何もかもが腐敗した
醜い社会に成ってしまったとも考えられますね。
恐い人がいなければ、何をやっても良いと考える、狡い人間が増え
あの人がやっているのだから、自分もしても良いのだろうと
次から次に、同じ様な者達が溢れ出し、コラッと叱っても
ふぅ〜ん、多くのみんながやっている事なのに、何故に自分だけが
叱られなくては成らないのだと、そもそも、してはいけない事の
判断すらも出来ない者達が溢れている、いわゆる、道徳の欠如が
進んでしまった集団生活の場と成り果てていて、道徳を守りなさいと
激しく怒っている人が、滑稽に見えているだけなのかも知れませんね
2010/5/8(土) 午後 7:21