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効き目もあるけど、 そうでもないことも多い。 わたし自身、 精神論が好きなところがあって、 気合とか、熱意とか、思いとか、 そういうものが高められていない時に、 やっていることの成果はそれほどない、 なんて言い切りたくなるもんです。 けれど、実際には、 その精神論に勝る、 才能とか能力差、 あるいは作戦の違いで、 精神論を熱く語らずとも、 成果を出してしまえたり、 うまくいっている組織(チーム)を 見かけることも少なくない。 場合によっては、 精神論が、かえって、 冷静さを失わせてしまい、 必要な作戦や戦略を考える余裕を与えず、 敵の前に「気合だけのある裸同然の姿」で 立つようなことにさえなることもある。 つまり、精神論は、 時に邪魔になるわけだ。 考えてみれば、 精神論っていうのは、 誰にでも言えちゃう。 言うだけなら、 ナンボでも好き勝手に言える。 一方、商売やビジネス、 仕事や勉強、スポーツなどは、 その内容について知らないと、 作戦や攻略方法は語れない。 もちろん、 精神論で支えられることも ないとは言えない。 しかし、精神論が、 万能だと勘違いしちゃいけないな、 って思います。 くわしいことが分からないなら、 無責任に精神論を熱く語るより、 何もしゃべらず、自ら考えた方がいい。
→(って、脳内解決ばかりで実行しないうえに後悔することが多い自分ですがw)
※画像は、三度、ソロイートイン[一人外食]で某大手のイタリアンなレストランにてw※
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私は、一応剣道の有段者ですが「気・剣・体の一致」とよく言いますが、日常生活に当てはめても精神論と戦略・戦術・それに基づく行動があって初めて活きる事で単一ではな〜〜んの意味も無いと思います。でも、詳しい事が分からなければ黙って聞いていればいいのです!^^それにより、相手の性格が見えて来る事がおおいですよ!^^
2010/7/13(火) 午前 8:35 [ mother1951 ]
人に弱い所、悪い所を見せずに、強い所、良い所だけを
他人に見せ続ける事は、結局は、自ら虚像を創り上げていて
人に知られたくない、弱さとか悪い部分の、負を隠し続けていると
その事があからさまとなった時には、その虚像は一気に崩れて去り
何もかもを失ってしまう、恐ろしい結末も秘めているのでしょうね。
他人に自分のすべてをさらけ出し、認識して貰う事が大切だけど
すべてを晒せば、敵に急所を突かれ易くなる。
何処までを許し、何処を許さないのか、そこが難しいのでしょうね。
2010/7/23(金) 午後 4:07
最後の止めをさすのは、気力と気合だと思います。日常の些細な出来事に照らしても「成せば成る」という言葉は生きていると思っています。
2010/7/24(土) 午後 4:28
すべてが押し流されてしまった情景を見ると
精神だけで突き進まなくてはならない、現実が見えます。
自分一人だけで頑張る、その精神だけでは無理も多いので
やはり、みんなで支え合って再建するしかないのでしょうね。
2011/3/16(水) 午後 3:03
こんにちは、初めまして。履歴より参上致しました。
「精神論」と聞いて、思い起こす事が個人的には2つあります。
1つは先の世界大戦。
日本は理詰めの分析で、勝算の無い戦争を「精神論」で押し進め
特に戦争末期、多くの国民の命を、むざむざ無駄に失わせました。
こういう古臭い精神論には、全く共感できませんし嫌いです。
一方でもう一つ、世界レベルのスポーツ競技などを見ていて思うのは
理詰めのフィジカル面の能力の鍛錬や、より優れた戦略の追求を
各々がやってきて、競い合う場合、総合力は拮抗してきます。
あるいは、そこに差があったとしても、メンタル面の状態によって
時として客観的な実力差を引っ繰り返して
勝敗が決まるといった事が実際に起きます。
2011/4/1(金) 午後 3:15 [ イージーK ]
機械でなく感情を持った人間だからこそ
精神力という数値化できない不確定要素が
モノをいう場面もあると思います。
ただ、その場合も、人の能力を押上げる「精神論」というのは
他人から与えられたものであっても、それが自分の中で消化され
自身の確信になっていなければならないのではないかと思います。
個人的な感覚では、まず理論的な裏付けが第一であって
それ無くして「精神論」を振り回しても虚しく。
しかし、極限まで理論を突き詰めた先で、最後にモノを言うのが
精神・メンタルではないのかと考えています。
2011/4/1(金) 午後 3:16 [ イージーK ]