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「自己有用感」
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気付くのと
理解するのは 相互依存関係といえるのか。
気づいても、理解できない。 分析できても、共感できない。 人の心の扉は、 あらゆる方向に開いているとは、 限らないので、 その裏側を理解できないのであろうか。 たいへんな時期に、 正しい情報が、 正しく見える「こと」が、 しっかり目に入ってきたり、 耳に入ってくればいいのですが、 どうも、日本はもとより、 というか、この世界は、 そうなっていないようである・・・。 いろんな人が、 いろんな立場から、 いろんな意見を言ってきます。 もちろん、自分も、 その方面において、 専門的な知識をいくらか 持っていれば、 自分なりの判断を 付け加えて、 自分の行動を決めることが できるのでしょうが、 それが出来ないと、 いろんな意見に 左右されてしまうような 気がします。 不幸にも、 たいへんな混乱に乗じて、 誰かの足元をすくうことを考えたり、 自分の利益を求めるような人が まったくいない社会でもありません。 心が揺らされ、 行動も揺らされて、 結局のところ、気づいても、 理解を誤ってしまうことすらある。 むむむ、何も知らないで生きる、 ということはできないのであろう。 きっと。
※取捨選択ということだけでは片付けられないですが、十人十色の受け止め方や対応があり、環境や立場が介在して、そこから事実確認が自分なりの「解釈」として据えられていくのでしょうか。堂々巡りのようで決断を要する事柄が多いです・・・重度のの優柔不断な自分・・W
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真実を知らない人の幸せも、守ってあげないとならないのかな〜
なんて、胸が張り裂けそうになるぐらい、悩み続けている
毎日なのでありますが、悩み続けている頭の中に
ふと、これは、ガンの告知と全く同じことではないかと
思っていたりしています。
2011/3/22(火) 午前 11:02