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がまんできない人々がいる。 けれどもわたしは
もともと普通だったから(いや普通でもないかw笑)、 それで失うものはないともいえないのであり 普通よりちょっとでも上のことがあれば、 それはもう思いがけないものにもなりえる。 もっと上へ、
もっと前へ、 もっと良いもの、 もっといい成績… もっともっと、 という競争社会の波は、 ビジネスや競争、 スポーツの現場だけでなく、 家庭のなかにまで
入ってきていることを感じます。 前と同じレベルが
出来たくらいでは、 ほめるような気分になれない。 一度達成してしまえば、
それが出来て「当たり前」「普通」に 思われてしまう。 まさしく、競争の現場の話です。
けれども、
人生に、いつも、 普通でない、特別なことが 起こるとは限らない。 起こったことについて、
それが特別なことと思えるか、 ありがたいと感謝しながら 次につなげられるか、 そういう能力の方が 重要だったりする。 何ごとにも、
普通なんてことはない。 感謝できることに気づけるかどうかで、
自分の幸せ感も大きく変わるのだ。 普通なんてことは、安易に断定することは難儀なんでしょうか。。。 不確定要素が多い。
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はじめまして!
私もその通りだと思っています。
普通をありがたがれるって、普通が当たり前の人には難しく、
普通が一度でも普通じゃなくなった人が
あたらめて、普通って幸せですごいことなんだな、って思うことが多いと思います。気になって、健康のありがたみを知る、みたいな。
しかしじゃぁ何気ないことを幸せに思おう、と無理矢理決めたところで、できないもんはできないですもんね。
いつもの生活ではもの足らない、もっともっとって、物があふれて、なんでもできる時代に、刺激的で自分を満たすものなんてそうそうないのに。
2011/10/31(月) 午前 9:41 [ aya ]
なにを幸せと思うかはこの記事に書いていらっしゃるとおりで、
どこを幸せと思うかの、個人が自然に設定している幸せのハードルの高さかな、と思います。
普通のサラリーマンが突然リストラされて、働けることに感謝して
アルバイトで幸せを感じとるだろうかとか、いつも考えます。
震災があって、いつ、なんどき何があるか解らない時代になって、
いかに生きぬくチカラが試されているか思い知らされました。
自分は自分でしか守れない部分があるから
人に与えられるものよりも、経験して、考えて考えて、
自分なりの答えを持っている方が生きる強みになるって思いたいなって思っています。
2011/10/31(月) 午前 9:42 [ aya ]
普通の定義って何でしょう?私には永遠に理解できない課題です。
「平凡にそして普通に暮らす事が人生で最も難しい事」
と母親に教えて頂きました。千利休の心得に通ずる行き方と思います。
その生き方は否定しません。ですが私は派手な事を好む人格ゆえに、
相反する生き方も定義したいと思います。「派手で儚く艶やかな人生」
>不確定要素が高い→仰るとおりです。世界はカオスです。
感謝する事に気づける人は美意識の高い人と感じます。
2011/11/10(木) 午前 11:26
普通の暮らし
普通の顔
普通の収入
普通の中に生きていれば当たり前の世界
一歩外れたら普通ではない
ラインがある限りそう決まる
なら、いっそ壊してしまえばいいとなると
私達は一体どこを目指せばいいのか・・・
曖昧な感じだなと思います
だけど、今こうしていられることの
当たり前には感謝です
2011/11/10(木) 午後 1:57
ふつ〜って響きが…あ、ご訪問ありがとうございます
基準や優先順位とか価値観って…みんな違ってますよね
「みんな違ってみんないい」は金子みすずさんだけど…私の「うめももさくら」それと同じ感じの意味です
2011/11/16(水) 午前 9:49 [ うめももさくら ]
立ち止まるとか、振り返るとか、元に戻るとか、
そんな事を忘れたら、人々は不幸になったり
格差が広がったり、社会は崩壊に向けて
突き進むように感じます。
ポチッ
2011/11/19(土) 午前 10:25