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中西 里菜 プロフィール 愛称 りなてぃん、りな、りなちゃん 生年月日 1988年6月26日 出身地 日本・大分県 血液型 A型 公称サイズ(2009年8月時点) 身長 / 体重 158 cm / ― kg スリーサイズ 85 - 59 - 80 cm 靴のサイズ 23.5 cm 活動 デビュー 2005年12月8日 ジャンル アイドル 備考 AKB48 旧チームA元メンバー 他の活動 元Chocolove from AKB48 その他の記録 引退後にAV女優「やまぐちりこ」として活動 2005年10月30日、『AKB48オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。 2005年12月8日、オープニングメンバー候補生のうち20名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立った(旧チームAに所属)。 2008年10月11日の『AKB48 チームA 4th Stage「ただいま恋愛中」リバイバル公演』千秋楽がラストステージになった。 2008年11月23日の『AKB48 まさか、このコンサートの音源は流出しないよね?』を以て、AKB48を卒業。 2010年7月10日やまぐちりこ名義でやまぐちりこ 1st写真集 『DEPARTURE』を発売し、問題になる。 2010年8月27日やまぐちりこ名義でアリスJAPANからAVデビュー。 趣味は料理。キャッチフレーズ「大分県出身、片えくぼチャームポイントちなみに得意料理はあったか〜いお味噌汁」にもあるようにお味噌汁を作るのが得意で、AKB48メンバーにも定評があった。 弟と妹が1人ずついる。 高校を中退して、夢を叶えるために大分から1人で上京した。小野晴香(SKE48)は高校の1年先輩である。 大江朝美と仲が良い。2人で「さくらんぼ姉妹」を結成した。それぞれのAKB日誌や「柱の会」ブログに、しばしば2人揃って登場した。 好きなアーティストは松浦亜弥。 持病で喘息を患っている。 2010年6月6日に芸能活動を休止し、地元の大分へ帰郷することを発表した。 やまぐちりこ プロフィール 愛称: りこてぃん 生年月日: 1990年12月12日 出身地: 日本・大分県 血液型: O型 公称サイズ(2010年時点) 身長 / 体重: 158 cm / ― kg スリーサイズ: 88 - 59 - 85 cm ブラのサイズ: F 趣味:歌・ダンス 特技:お菓子作り 活動 ジャンル: アダルトビデオ AV出演: 2010年 - 専属契約: アリスJAPAN AKB48時代の所属事務所office48がAVとヌード写真集は事務所を辞める際に「AKB48のイメージを傷つけるような仕事を3年間は行わない」という「合意解約書」に署名、捺印した契約に反している。として、2010年7月1日「DEPARTURE」の出版元双葉社に対して出版差し止めを求める仮処分を東京地裁に申し立てていたが同地裁は処分を認めず出版される。元所属事務所の代理人弁護士によると申し立ては前述の主張と「本当にヌード写真集を出版したいのか、中西本人の意志を確認する意味もあった」と話している。 2010年6月25日発売FRIDAY2010年7月9日号でヌード初披露(1st写真集からの先行ショット)。 2010年6月28日発売週刊大衆から3号連続でヌードグラビア掲載。 2010年8月27日発売予定の作品(アリスJAPAN)でAVデビュー。
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先月10月8日に『絶対少女 葵つかさ』(アリスJAPAN)で衝撃のAVデビューを果たし、現在、雑誌のグラビアを飾りまくっている話題沸騰中の美少女、葵つかさちゃん。高校時代に芸能活動をスタートさせ、関西を中心にテレビ番組で活躍していた彼女は、なぜAVデビューを果たすに至ったのか? そのルーツをたどるインタビュー第2弾! 今回はどんな話が飛び出すか? ──今回は、芸能界に入ったキッカケあたりから聞いていこうと思うんですけど、そもそも芸能界には興味はあったの? 「えっと......特に『芸能界に入りたい!』的な興味はなかったんですけど、私、高校時代、大学に行くかどうかで悩んでたんですよ。高校が結構、進学校だったので、周りはみんな大学に行くんですけど、私はそんなに大学に興味が持てなかったので、何か別のことを見つけようと思ってて......。それで、ネットとかで自分でプロダクションを探して今の事務所に面接希望のメールをしたんです。ホントは写真を添付しないと面接してもらえなかったんですけど、そのとき運悪く、私のケータイの写メ機能が壊れてて写真を送れなくって......。だから、1回は『写真を送ってもらわないと面接はできません』みたいに言われたんですよ」 ──それで、どうしたの? 「でも、あきらめきれなくて、気付いたら、自分の気持ちみたいなのを長文で送ってたんです」 (マネージャー)もうそれがすごい熱いメールで、「生きた証を残したい」とか、そういう感じの文面で......。普通のコは、「有名になりたいんです」とか「かわいいって言われるんです」とか、軽い感じで来るんですけど、そういうのではなく、彼女の場合は自分の熱い気持ちを延々と書いてたんです。だから、顔は分からないけど、これぐらいしっかりしてるコなら、最悪、スタッフで使えるなっていうのもあって(笑)。 「いやー、今思い出すと恥ずかしいですね(苦笑)」 ──それで面接に至って、芸能界入りするワケですか(笑)。 ──いちばん最初に来たときは、こんな感じで来たワケですよね? これで17歳? めっちゃ童顔だし、ロリだよね。 「ハハハ。メイクとかもほとんどしてないですよ。そんときは、メイクの仕方も知らなかったので」 ──そっかー。いやー、かわいいなー......(写真に見とれて)。ところで、芸能界に入っていちばん最初の仕事は、どういう感じの仕事だったの? 「いちばん最初は、17歳のときにやった『Bejean』さんのグラビアですね。そのときの心境は、緊張とかよりも、意外にリラックスして楽しめたんです。だからワタシ的には、根拠のない自信みたいなものが少しあって、マイペースな感じで頑張っていこうかなって思えましたね」 ──最初の現場でそこまで考えてたっていうか、思えたっていうのがスゴいね。肝が座ってるというか。 「そうですね。好奇心も旺盛なんですけど、なんでも経験やなっていう」 ──前回のインタビューでも食べ物の話で、「本当にそれを食べたいかどうかが重要なんじゃなくて『食べた』っていう経験値が欲しい」って言ってたもんね。 「はい(笑)。だから私、普段、道とか歩いてて、別に興味のない喫茶店やったり、全然入りたくもないようなお店でも、あえて入ったりするんです。なんか新しいものが見つかるんちゃうかなと思って」 ──なるほど。その後、芸能の仕事を本格的にやっていく中で、今も強く印象に残ってる仕事とかある? 「う〜ん......なんやろ? あれかなー。大阪ミナミの道頓堀にある「トンボリステーション」っていう大型ビジョンで、毎日夕方17時から生放送している『ラジカルVIDEOジョッキー』って番組があるんですけど、私、半年間、その番組のメインパーソナリティーをやってたんですよ。毎週木曜日の担当が私だったんですけど、もう延々3時間喋るんです。それはやっぱり印象に残ってますね」 ──生放送で3時間!? それはすごい! 例えば、どんなことを喋るの? 「今流行りの映画情報とか音楽情報とか。ディレクターさんから『はい何秒』って言われて、12秒だったら12秒の間に、自分で文章も考えて伝えたいことを喋るっていう。で、いっつもすごい大変だったのが、セレッソ大阪っていうチームを応援するコーナーで、試合状況がバーッと書かれた原稿を渡されて、それを喋らなきゃいけないんですけど、私、サッカーとか全然詳しくないんで、 うまく説明できなくて困りましたね。専門用語とかも分からないし」 ──ハットトリックとか聞いても、ピンと来ないみたいな。 「まったくなんのことか......。サッカーが何人でやるスポーツなのかも知らないんで(笑)」 ──えー!! 今はさすがに分かりますよね? 「いや、分からないです(苦笑)」 ──サッカーが11人ということも知らずに喋ってたって、スゴすぎです(笑)。 「全然分からないまま、なんとか選手が果敢なドリブルを、とか......(笑)。だから、サッカーのことを喋るときだけ、ちょっと笑顔が減るというか、原稿を見がちみたいな(笑)。でも、自分で調べたことを自分の口で表現するっていうのは、ホントすっごい勉強になりましたね」 「(写真を指しながら)あ、これはボクシングの名城(信男)選手の世界戦でラウンドガールしたときのやつですね」 ──世界戦のラウンドガール、すごい! 名城さんとは会われたんですか? 「名城さんとは直接お会いしていないんですけど、名城さんの血は飛んできました(笑)。リングの真下に座ってたんで。ボクシングの印象? 面白かったですよ。今でもたまに見るんですけど、興奮するとかよりは、『キャー、もうやめて』のほうが強いですね。ご飯中とかちょっと見れないですね」 ──じゃあ、格闘技好きの男性とは付き合えないですね。 「あ、でも付き合ってたんですけどね(笑)。ご飯中とかに格闘技の番組がかかってても、私は見んとこうと思いながら食べてて。男の人の体から血が出てるのがダメなんですよ」 ──そうか〜。彼氏の話が出たので聞きますが、どういう男の人に惹かれますか? 「う〜ん、ギャップですかね。分かりやすい例でいうと、すごいチャラそうなのに、チャラくない人とか。なんかそういうギャップを持ってる人がいいです。想像通りの人より」 ──じゃあ、草食系に見えるのに実はすごい体鍛えてるとか。 「あー、それでもいいですし、逆でもいいですよ。肉食系に見えるのに、めっちゃ小心者とか」 ──えー!? それはあまりカッコよくない気がするけど(笑)。じゃあ例えば、一見、草食系っぽい、え●りかずきさんが実はオラオラ系とかもアリ? 「ちょっとオマエ、ジュース買ってこいよ」みたいな。 「あ、別に全然いけますよ。それはそれで、ひとつの笑いとして見れるっていうか(笑)、あ、面白い人やなって。私、本とかも結構読むんですけど、なんかそういうギャップのある男性が出てくる本が多いんですよ。例えば、桜庭一樹さんの『私の男』(文藝春秋)に出てきた男の人とか、良かったですね。あと私、たぶんファザーコンプレックス的なものがどっかにあるから、年上の人に憧れる気持ちはあります」 ──年上はいくつぐらいまでが許容範囲? 「50歳ぐらいまでかな」 ──おー、それはまたすごい年上で。。そうなると、つかさちゃんの理想の男性像は、とにかくギャップのある人で、結構年上で......いや、待て待て。仮に、つかさちゃんの彼氏が50歳とかだったら、それが、いちばんギャップがあり過ぎ!(笑)。 「アハハハ。そうですかねー(笑)」 純情可憐そうな外見とは裏腹に、意外と肝の座ったところだったり、懐の深さだったりと、前回以上に、隠し持った引き出しを開けてきたつかさちゃん。
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樹まり子というAV女優の存在を知ったのは、1989年の8月。サンフランシスコの安ホテルだった。僕は約2年間専属ディレクターとして勤めた芳友舎(現h.m.p)を辞め、忙しくて使う暇が無く銀行口座に貯まる一方だったギャラを掴み、アメリカを放浪していた。グレイハウンドバスに乗り、ロサンジェルスからソルトレイクシティ、シカゴ、ニューヨーク。そこから飛行機に乗り、カンザスシティ経由で再び西海岸に戻った。 サンフランシスコ、ダウンタウンの東に長期滞在出来る安い宿を見つけ、そこにしばらく腰を落ち着けた。当時からAV監督を辞めたら物書きになりたいと密かに考えていた僕は、それまでの旅の記録を書きとめておこうと考えた。東京のエロ本出版社に勤める友人に住所を知らせたら、彼が編集するAV情報誌最新号を送ってくれた。その巻頭グラビアに、樹まり子はいた。黒いガーターベルトを身につけパンティは無し。憂いを秘めた表情で振り向きカメラを見つめる、そんな写真がひときわ眼を惹いた。 鼻筋の通った、典型的な細面の美人顔。しかもそのヒップはムッチリと肉厚で、成熟した女の匂いを、見る者が圧倒されるほどに放っていた。 「時代が変わった。この女の子の登場によって、アダルトビデオというものは完全に変わった──」、そう直感した。 記事には、僕の同僚だった神野龍太郎が監督した『その女、変態につき』(芳友舎)が紹介されており、樹まり子はその中でアナルファックをし、さらに怪優・山本竜二は彼女のアヌスに指を入れ、あろうことか排泄物を掻き出し口に含んだ、とある。半年、いやほんの3カ月前、僕が日本を離れるまでは考えられなかったことが、そこでは起きていた。 説明してみよう。1986年まで、アダルトビデオというものは基本的に美少女たちによるものだった。美少女とは何か? それは麦わら帽子を被って夏物のワンピースに身を包み、少年たちの心をときめかせる謎めいた存在だ。「エッチのことはまだ良く判らないの」と言い、「でも、貴方にならあげてもいいわ」と身を任せる清らかな存在。そんな彼女たちが見せるソフトな疑似セックス、それこそがAVだった。そう、ほとんどの場合彼女たちは本番はせず、男優たちがそれらしく腰を合わせ、結合部は今では笑い話になりそうな程、大きなモザイクに隠されていた。 しかし86年、突如現れた一人の女の存在が変える。いや、一組の男女がというべきか。帝王、村西とおる監督による『SMっぽいの好き』(クリスタル映像)に出演した黒木香。艶のある黒髪で「ございます」という古風な言葉を使う彼女は、自分に強い性欲があることを一切隠すことをしなかった。それは、彼女が淑女のたしなみである「腋毛の処理」をしていなかったことにも象徴された。黒木香はセックスが恥ずかしいことだとも、それによって未熟な少年たちが「引く」ことも気にしなかった。彼女にとって大切なのは女としての欲望、ただそれだけだった。 そして翌年、咲田葵が登場する。当時『いんらん』というシリーズを撮っていた巨匠・代々木忠は、彼女の性欲は単なる「淫乱」を超えた「パフォーマンス」だと捉え、新しい『いんらんパフォーマンス』シリーズを始動。そして咲田を追うように豊丸がデビュー。監督も先に挙げた神野龍太郎、鬼沢修二らが、ドラマ物が主流だったAV界にライヴ感覚溢れるドキュメントSEXを展開。また、「豊丸」というネーミングが売れたとなれば、それに続けとばかりに沙也加、千代君、亜里沙といった名の女優がデビュー。此処にいわゆる〈淫乱ブーム〉が確立する。 しかし、当時その渦中でAV監督をやっていた者として書き残しておきたいのは、ブームはAVメーカーとプロダクションによる「駆け引き」と「大人の事情」によって生まれたということだ。何故なら〈淫乱ブーム〉が始まっても決して〈美少女AV〉が消えることなく、例えば87年宇宙企画からはかわいさとみが、翌88年には斉藤唯、前原祐子、東清美といったアイドルたちが大活躍する。 アイドル美少女の一社独占を避けるため、大手メーカーは談合策としての五社協定を結び牽制し合うようになる。一方手持ちの女優をさらに高く多く売りたいプロダクションは、例えば「アイドルAを撮らせるから、その代わり売れてない女優B、C、Dをグロスで撮ってくれ」とメーカーに持ちかける。芸能界ではよく使われる、いわゆる「バーター」である。 黒木・村西コンビがテレビに露出し、AVという存在が一般化するにつれ、プロダクションにはAV女優予備軍が溢れた。けれど当然、すべての女の子が美少女もしくは巨乳でもない。当然仕事にあぶれる娘も多かった。そこに起きた〈淫乱ブーム〉は、まさにプロダクションにもメーカーにとっても渡りに船だった。「売れない女にはすべて〈淫乱〉というレッテルを貼り付けてしまえ」、女の子たちに対しては、「お前ら容姿に恵まれてない女は、本番でも3PでもSMでもスカトロでもやりやがれ」というわけだ。そんな流れに、折からのバブル景気が拍車をかけた。 実は、樹まり子もそんな混沌の中からひっそりと現れた、無名のAV女優の一人だった。「F」という、B級C級の企画女優を数多く抱えたプロダクションに所属していた。「F」はそのようにアイドルを持っていなかったので、大手メーカーから相手にされなかった。邪険にされていたと言っても良い。デビュー前の樹まり子も大手五社を中心に面接に廻ったものの、一切採用されなかったと聞く。何故なら今もそうだが、AVの世界はカテゴライズされない女優を嫌う。つまり「淫乱派」にも「美少女」にも入らない彼女は、「売りにくい」と判断されたのだ。 唯一受け入れたのが村西とおるがクリスタル映像を突然飛び出し、新たに立ち上げたダイヤモンド映像だった。「無名監督がTVに露出し成り上がった」と、老舗メーカーから疎外されていた村西ダイヤモンドはメジャープロダクションの接触を断たれ、同時に爆発的にリリース本数を増やしていたから、慢性的な女優不足に喘いでいた。故に「F」所属の、その新人女優を採用する。デビュー作は『素晴らしき日曜日』。芸名は青木さえ子。監督は男優としてセクハラ大魔王と呼ばれていた清水大敬、その第一作であった。 以降、彼女は青木さえ子名義で『快楽天国』(アイビック)、『猥褻淑女ビーナスの雫』(アニー)、樹まり子と名を変え『平成名物ビデオ・イカ女スケ天国』(現代映像)、『若妻プレイ〜叫びと悦楽』(シェール)と中小メーカーより次々と作品をリリース(この間、おそらく2カ月も無いと思われるハイペースである)。そしていよいよ、満を持してのメジャーメーカー、VIPより『天下御免5』が発売される。 さて、いささか前置きばかりに終始してしまったことをお許し願いたい。リリースから20年余、それだけ多くの水が橋の下を流れたということだ。これに続いたのが本作『レイプ狂い5・感染〜樹まり子』である。おそらく水面下でグツグツと煮えたぎっていた彼女の人気が、いよいよ沸点に到達しようとする、まさに直前の作品であろう。監督の山田風゜助は、良く言えば手堅いプログラムピクチャーを撮る人であり、悪く言えば面白味の無いステレオタイプなAVドラマを量産すると批判されることも多かった。しかしながら樹まり子はそんな内容など意に介さず、全編圧倒的なフェロモンを爆発させている。 物語は山あいのペンションに一人旅にやって来た、女子大生かOL風のまり子。橘直樹演じる若い宿の主人は、どうやらそんな女性客を食い物にしているらしく、従業員の永沢修自とダンク松本にレイプするよう命じる。男優3人が揃いも揃って不必要に日焼けした肌、刈り上げた髪と首にはペンダントという姿に笑ってしまうが、まり子も襲われると、さしたる抵抗もせずに犯され、さらにはレイプされながらも自らフェラチオしてしまうというイージーな展開。 けれど此処には、そんなAV的御都合主義を吹き飛ばして余りある、樹まり子という女優、いや牝の華麗なる存在感がある。冒頭、ピッチリとしたブラックのホディコン姿で現れるところから画面を支配し、永沢と松本から交互に犯され、2発連続で顔面発射されたザーメンまみれの表情は菩薩の如く美しい。翌朝、橘から「君のことはボクが守る」と歯の浮く台詞で騙され、甘いキスからセックスへと展開するのだが、朝の自然光に写し出されるまり子20歳の肌は、まさに神々しいの一語である。その後は如何にも山田風゜助らしいコミカルな展開にもなるのだが、それはネタばらしになるので言及は避けることにしよう。 樹まり子はこの後1990年、たった2年にも満たない活動期間でAVを引退。92年「樹マリ子」と改名し、復活するものの、94年『ファイナルVIDEO美巨乳FUCK』(笠倉出版)で活動を完全に休止した。その間、男優・加藤鷹と同棲。結婚も噂されたが破局したと聞く。そして2010年の現在、1970年生まれの樹まり子はちょうど四十路を迎えている。この「熟女AVブーム」の昨今、例え寄る年波でどのようにボディラインが衰えていようとも、彼女が復活すれば再びドル箱スターになるのは間違いない。けれどその噂すら流れないということは、幸せな家庭に収まっているか、あるいは持ち前のバイタリティを以て、充実した仕事に生きているのだろう。
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