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華原 朋美(かはら ともみ)
kahara tomomi
本名:下河原 朋美(しもがわら ともみ)
出生日・地 1974年8月17日(33歳)
血液型 A型
学歴 松蔭学園高校 卒業
出身地 東京都江東区
ジャンル J-POP
職業 歌手、タレント、ミュージカル女優
活動期間 1995年〜
レーベル パイオニアLDC
/ORUMOK RECORDS
(1995 - 1998)
ワーナーミュージック・ジャパン
(1998 - 2003)
ユニバーサルシグマ
/A&Mレコード
(2004 - 2007)
事務所 TKステート
/テツヤコムロライズ
(1995 - 1998)
プロダクション尾木
(1999 - 2007)
影響 中山美穂
マライア・キャリー
東京都江東区亀戸生まれ、千葉県浦安市育ち。松蔭中学校・高校卒業。身長156.7cm(公称160cm)。体重44kg。スリーサイズB86・W58・H84。
3才頃、「あれに乗りたい!」の一言で始めた趣味の乗馬は、高校3年生の時に国体で第4位という成績を修めた。5才頃には、突発性血管性紫斑病に罹り、3ヶ月間無菌室に入院していた。その後は乗馬で身体も鍛え筋力もつき、2005年に発売した初の写真集では引き締まったプロポーションを披露した。また、将棋の級(日本将棋連盟ジュニアクラス1級&一般クラス3級)も持っており、NHK衛星第2テレビの将棋特番で司会も務めた。
かつては、遠峯ありさの芸名で、グラビアアイドルタレントとして活動。『さんまのナンでもダービー』(テレビ朝日系)などでアシスタントを務めた。遠峯時代に小室哲哉に見出される。小室との出会いは、華原(遠峯)に興味を持っていた小室が、当時青山にあった小室の店・TJMに華原を呼んだことがきっかけである(引き合わせたのは、フジテレビのきくち伸であった)。そして、2人は親交を深め、恋愛関係に発展した。また華原は女優志望だったが、交際中、偶然カラオケでtrfの曲を歌い、それを聴いた小室が“涙腺を刺激する歌声”と称し、歌手デビューが決定。ちなみに、初めて買ったCDが中山美穂の『50/50』(小室作曲)で、好んで歌っていたというから、まさに運命的な出会いであったといえる。また、デビュー直前に2人の関係をすっぱ抜いた週刊誌の記者に対し、小室は“アーティストに手をつけたのではない、恋人に曲を書いてデビューさせただけだ”と語っている。
小室プロデュースの作品でミリオンセラーを連発し、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。1995年に発売したシングル『I BELIEVE』で新人賞を総なめにし、2作目にしてミリオンを突破するなど、新人としては異例の快挙を達成。1996年に発売した3枚目のシングル『I'm proud』は140万枚を売り上げ、名実共に代表曲に。ファーストアルバム『LOVE BRACE』も250万枚突破の記録的なヒットとなり、1997年に発売したCDは全てチャート首位を獲得した。当時は、雑誌JUNONで『なりたい顔1位』にも選ばれるなど絶大な人気を誇った。そのドラマティックな半生は、各曲の歌詞・歌声に表れている。また、透明感溢れる澄んだハイトーンヴォイスに、ブランドスーツ・ワンピースを着こなすセレブなファッションなど、同性から強く支持され、安室奈美恵の“アムラー”に対しては“カハラー”と呼ばれた。平成のシンデレラとも呼ばれた。ハローキティ再流行のきっかけ(当時、サンリオ社長も華原朋美効果を認めた)や、牛丼の「つゆだく」、1998年に自身が出演した“ヒュ〜ヒュ〜”でお馴染みのCM・JT「桃の天然水」が大ヒット商品になるなど、ブームリーダーにもなった。なお、「桃の天然水」は2006年に発売10周年を記念して、復刻版として再発売され、そのCMキャラクターにも再起用され、8年前23歳だった自分との共演を果たしている。
1999年には、小室との破局から体調を崩し、睡眠薬などに頼る体質から、度重なる事故騒動などで世間を騒がせた。2000年には再度休養に入り、このまま活動停止・引退と心配されたが、休養先のカナダから、一時帰国中に『進ぬ!電波少年』から、全米デビュー企画のオファーを受け、渡米。2001年に凱旋帰国後は歌手業だけではなく、バラエティ番組への出演や司会業など活動の幅を広げマルチに活動。デビュー10周年を迎えた2005年からはミュージカルの舞台にも進出し、ミュージカル女優としての活動も本格化させていた。同じく2005年、パチンコ機「CR華原朋美とみなしごハッチ」(フィールズ)でキャラクターものとしてパチンコ機化。メインはみなしごハッチだが、リーチアクションなどで華原が出てくることもある。華原が歌うトランス調にアレンジされた「みなしごハッチ」テーマソング収録のCD(未発売)や、ストラップ、トースターなどグッズも作られた。
2007年6月29日、所属事務所のプロダクション尾木が6月28日付で専属契約を解除した事を発表。2006年末の主演ミュージカル「ガールフレンズ」の公演中に気管支炎などを患い一部休演後、年明けから4月いっぱいまで3度目の休養に入り、心身の回復に努めていた。5月から一時復帰したものの、事務所側は「突然の仕事キャンセル等が続き予想以上に心身ともに健康の回復状況が思わしくなく、これ以上華原の芸能活動を支えることが不可能」と判断[1]。公式ファンクラブ“Pretty Eye”も6月29日付で解散し、事務所の意向を受け所属レコード会社のユニバーサルミュージックとの契約も28日付で終了した。3ヶ月後の同9月20日にはファン向けに自身のブログを開設し、その中で仕事キャンセルについて謝罪の文を掲載。理由について、自身の健康管理が悪く精神的にもダウンしたこと、さらに尾骨を骨折していたことも告白。また報道されているような睡眠薬などへの依存症を否定し、今は完全に完治し健康である事を綴っていた[2]。しかし、マスコミで報道直後の同29日に9日間でブログは閉鎖。2008年1月10日現在、他の事務所への移籍なども決まっておらず、華原の芸能活動再開への目処は全く立たないままの状況である。
ユニバーサルミュージック 華原朋美オフィシャルサイト
http://www.universal-music.co.jp/kahara_tomomi/
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