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司馬遼太郎の本って、結構好きで、いろいろ読んでいるんですけど、 小説にしろエッセイにしろ、司馬さんの本って、途中で話があっちに行ったりこっちに行ったりするんですよね。 「ちなみに」とか、「余談ながら」とか言って、歴史上の雑学とか、やたら関係ないエピソードが出てくるのね。 たしか『菜の花の沖』だったと思うけど、文庫本一冊のほとんどが、ロシアの歴史の解説になって、話が全然進まないこともあったな・・・ この『草原の記』は、司馬さんが1990年にモンゴルを訪問したときに出会った、モンゴル人女性の半生を描いたエッセイのはずなんですが その女性って、最初のうちはなかなか出てこなくて、匈奴の穿いていたズボンの話とか、モンゴル帝国の話とかが延々と続いて 主人公の女性の物語は、最後の一章くらいでやっと読めます(笑) それで、思い出したんですけど、高校のときに世界史の授業の担当の先生が、本当に歴史が好きな人で、 歴史が好きだから世界史の先生になったんだな〜という人だったんだけど、授業に熱が入りすぎて、なかなか進まないのね。 モンゴル帝国の時代に入ったら、なんかモンゴルだけで7時間くらい続いて、結局学年が終わるまでに、フランス革命くらいまでしかたどり着かなかった(笑) 日本史の先生も、別の先生なんだけど、やっぱりなかなか授業が進まなくて、結局、江戸時代になった頃で学年が終わってしまって、 あとはプリントで自分で勉強して下さい、みたいなことになったように記憶しています(笑) それってさー。プリントでいいんなら、授業いらないじゃん。 そもそも、年間の授業時間数って決まっているんだから、教科書の厚さを授業時間数で割れば、ペース配分は分かるんじゃないかと思うんだけど・・・ そのころは、歴史の先生って変な人たちだなあと思ったけど、今になって気持ちが少し分かるな。 あのころから、司馬遼太郎の本を読んでいたら、高校の歴史の授業も楽しめたのではないかという気がします。
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