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かなしさは
 
きみ黄昏のごとく去る
 
 
     富澤 赤黄男
     (とみざわ  かきお)
 
 
  エッセイ    執筆  青木健
 
 富澤の句集『天の狼』は40歳の時の句集。30代半ば以降の句を集めたもので
 
まさに「青年の歌」の落日を飾るものがこの句である。
 
 掲出の句は,「静けさは きみ曙のごとく坐る」と対になった句で、富澤がこの
 
二つの句でうたおうとしたのは、女と一緒にいるときの静けさと女と別れる時の静けさで
 
あったろう。
 
 だからこの句は別離のうたではない
 
 女とともにいたいという男の欲求をうたったのである。
 
女の存在を灯明のようにして生きるという恋愛のかたちがここにはある。
 
 女の不在が男の視力を失わせるのである。
 
 
 ≪ 富澤 赤黄男 について ≫
 
 1902〜1962、愛媛県生まれ 俳人
 
 早稲田大学卒業後国際通運(現在の日本通運)に入社、その後故郷へ帰り
 
国立第二十九銀行(現伊予銀行)へ入行。 (上記写真参照)
 
 色彩感覚に富んだ自由律句を連打した。
 
 
 
  参考     日本の恋歌 3  中島みゆき編
            (株) 作品社  1986年2月
 

転載元転載元: グランパストーリー

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 芦の湯は箱根の中でも標高が高く江戸時代から温泉地として整備され、江

戸の喧騒を忘れさせる温泉地として人気があり、湯本、宮ノ下、木賀などと共

に「箱根七湯」と称され、多くの客でにぎわうようになりました。

   きょうはここでのお話です。

         ≪恩人碑      民話の旅 その17≫

  江戸時代、雨森宗真という江戸の若者が湯治のためここを訪れ

 ていた時、たまたま居合わせた男にだまされ、借金を背負ってしまい

 ました。困り果てているところに、父の知人・堺屋嘉兵衛という人が

 困っている姿を見るに見かねて、家財を傾けてまで借金を肩代わりしてくれ

 ました。

  宗真は恩義に感じ、勉学に励み、、名医と呼ばれるまでになり、医学のみ

ならず儒学や詩の世界でも名を知られるようになりました。

  それから20年の月日がたち、かつて受けた恩を返そうと堺屋喜兵衛
 の居所を捜しましたが喜兵衛はすでに病に倒れ、その妻子を捜す

 こともできませんでした。

  ある年、この地を再び訪れた宗真は感謝の意を碑文にこめ、ここに建てた

恩人碑が伝えられています。



               おしまい


   * 資料は箱根町教育委員会からいただきました。







転載元転載元: 翠はるかにのブログ

  各地で豪雨や水害が発生し、今年も山の事故や川での災禍も多いですが、八月も気をつけ
 
 て、がんばりましょうね。
 
  近くの公園を散策し、お花もたくさん咲いていました。
 
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                    県立相模原公園 熱帯温室で6月に撮ったもの

転載元転載元: 翠はるかにのブログ

 
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朝鮮朝顔   多年草
夜から朝方に咲く。
 
 
 
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クルクマ
 
多年草(球根)  別名 華ウコン

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