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はりまや橋
山本かずこ
落日を背にして歩いていると
はりまや橋が赤く燃えているときがありました
燃える橋を渡っていると
向こうからやってきた
枯木のようにかれた男が
あっというまに メラメラと
燃えあがるときがありました
気がつくと
私も燃えていて
いつもはかなしいあの姿勢も
そのときばかりは 生きて極楽を
何度も何度もかいまみたりすることがありました。・・・・・
< 解説 > 井坂 洋子
山本かずこの詩の風景には親しい人が現われ風景は特別なぬくもり
を持って息づいている。
見慣れた町、渡ったことのある橋は、彼女の手になると架空の地のような
輝きを発す。
ここに掲げた<はりまや橋>は、男と女のかかわりを、二人の時間の
推移、その長さやくだくだしさを瞬時にして言ってのけている。
ここに登場する男を、みしらぬ他人であると読んでもいいし、恋人や夫
であっても本質的には大差ないのではと思わせる、そんな妙がこの詩にある。
* 出典 日本の恋歌 吉行和子編
(株) 作品社
* 画像は友達の舞さんからいただきました。
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中島みゆきの伝言板
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かなしさは
きみ黄昏のごとく去る
富澤 赤黄男
(とみざわ かきお)
エッセイ 執筆 青木健
富澤の句集『天の狼』は40歳の時の句集。30代半ば以降の句を集めたもので
まさに「青年の歌」の落日を飾るものがこの句である。
掲出の句は,「静けさは きみ曙のごとく坐る」と対になった句で、富澤がこの
二つの句でうたおうとしたのは、女と一緒にいるときの静けさと女と別れる時の静けさで
あったろう。
だからこの句は別離のうたではない。
女とともにいたいという男の欲求をうたったのである。
女の存在を灯明のようにして生きるという恋愛のかたちがここにはある。
女の不在が男の視力を失わせるのである。
≪ 富澤 赤黄男 について ≫
1902〜1962、愛媛県生まれ 俳人
早稲田大学卒業後国際通運(現在の日本通運)に入社、その後故郷へ帰り
国立第二十九銀行(現伊予銀行)へ入行。 (上記写真参照)
色彩感覚に富んだ自由律句を連打した。
参考 日本の恋歌 3 中島みゆき編
(株) 作品社 1986年2月
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