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今日は自分の卒論のテーマである武蔵国一宮の氷川神社に行ってきましたーー!!!
さらに!!ついでに帰りがてら、岩槻の久伊豆神社も参拝してきましたが、、
共に実に大きい神社でした☆
久伊豆の方は予想以上のスケールでしたので、ちょっと感動しました(笑)
画像は上から・・
1→三の鳥居
2→楼門
3→神橋
4→画像3を別アングルから(神泉下から)
となっております(*^^)v
幼いころ、何度か来たことがあるのですが、やはり興味を持ってから・・というか論文を書くために来ると新鮮さがかなり増しますね♪
朱色の橋や神泉、そして氷川の代名詞である楼門。
さすがに一ノ宮は違いますね!!
画像5は神楽殿(舞殿)ですが、その奥に拝殿が見えますでしょうか??画像6に拝殿のアップを載せます。
氷川は回廊型なんです。本殿・拝殿と楼門が壁で繋がっています。
その間の中心(吹き抜けっぽい)に舞殿があるのです(・_・;)
この様式は実に変わっていると思います。
因みに神楽殿はここのほか、境内に2か所もあります。
画像7は竹林です。高校の近くに「ちんちくりん」という中華屋さんがありました。
気になる方は神保町へ☆
しかし、竹は良いですね♪日本らしいというか・・・ピシッ!!とした雰囲気がたまりません(>_<)
画像8〜12は岩槻久伊豆神社のもの。
ここは土師氏の伝承が残っているので、どうしても見ておきたかったのです。あと騎西の玉敷神社も見てみたいですね。
氷川神社の祭祀に関わった武蔵国造家。
氷川神社が破格の昇進を遂げた時代を生きた武蔵宿禰氏が古代の“氷川社史”のヒーローだと思う。
武蔵宿禰竹芝が将門の乱で失脚し、氷川の祭祀権は外孫・菅原氏に移るわけだが、その菅原氏には土師氏の血が流れている。
そして武蔵宿禰氏の末裔は古代末期から中世にかけて武士団「野与党」として生きていく。
さて、自分の卒論の第2章で「鷲系神社と土師氏」について触れているが、久喜市の鷲宮神社や足立区の大鷲神社、台東区の浅草神社は土師氏と関係があると見てほぼ間違いない。
正直、夏休みに入るまでは「菅原氏と土師氏の関係性」に気づいていなかったため、何故土師氏関係の神社が多いか疑問だった。
しかし、国造家と関わりがあったという事実を知り、さらに宿禰氏の末裔が武士団だったという点から一つの考えが浮かび上がった。
玉敷神社や久伊豆神社は武士団「私市(きさい)党」の崇敬を受けている。この私市党は詳細がよく知られていないが・・・おそらく土師氏の末裔なのではないかと考えたのだ。
これも一つ、疑問だった。「何故、私市党と鷲系神社・久伊豆が絡んでくるのだろう」と。
それも土師氏が先祖だったならば説明がつくし、土師氏の神社が多い理由も同様に説明が可能になる。
・・・ってなんか語りましたが(笑)
あ、因みに画像は、、
8→久伊豆の鳥居
9→枯山水
10→枯れてない神泉
11→境内のクジャク
12→脱走していたクジャク
です☆
そいや鷲宮神社にもいたなークジャク。
綺麗でしたが、威嚇されました。マジこわかった。。
とりあえず脱走していたのはビビりました・・。普通に境内を歩いていましたから・・(笑)
枯山水も素敵でしたよ♪
やはり神社は落ち着きますね。来年からはレポートのためでなく、趣味で行けるぜぃ☆
いやー今日は一日、本当に楽しかったです(^o^)丿
では☆
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