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死者不明者1万9800人=避難所に依然6800人―11日で半年・東日本大震災 時事通信 9月10日(土)18時42分配信 東日本大震災は、巨大地震の発生から11日で半年を迎える。警察庁によると、10日現在で死者・行方不明者は1万9867人。避難生活者は47都道府県で約8万2000人。学校や公民館などの避難所には依然、約6800人が生活を続けている。
警察庁によると、死者は12都道県で1万5781人、行方不明者は6県で4086人。 不明のまま自治体に死亡届が受理されたのは、岩手、宮城、福島の被災3県で3250人。DNA型鑑定などにより1日当たり数人の身元確認も進み、不明者数の減少が続いており、死者との合計は今月に入り2万人を下回った。 内閣府のまとめ(8月25日現在)では、全国の避難者のうち、避難所には宮城県を中心に約6800人が暮らしているほか、旅館やホテルで避難生活を送る被災者も約1万800人いる。 国土交通省などによると、仮設住宅は今月5日現在で、必要戸数の94%に当たる4万9124戸が完成した。入居率は84%。岩手県は全戸が完成し、宮城県も今月中に全戸の建設が達成する見込み。福島県は必要戸数の85%が完成したが、緊急時避難準備区域内での建設予定もあり、一部は未着工だ。 がれきの撤去には時間がかかっている。環境省の6日のまとめでは、岩手、宮城、福島の3県での推計量約2300万トンのうち、仮置き場への撤去が終わったのは54%。他の自治体での広域処理が進まず、放射性物質に汚染されたがれきの処理方法や保管場所も決まらないなど、多くの問題が残っている。 |
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<歌舞伎町ビル火災>娘の死、無駄にしないで…1日で10年 毎日新聞 8月31日(水)21時38分配信 44人が死亡した東京・新宿の歌舞伎町ビル火災から9月1日で10年を迎える。遺族は気持ちに区切りを付けようとするが、やり場のない怒りと悲しみが和らぐことはない。「二度と同じ被害は繰り返さないで」と再発防止を訴えるビラを配るなどしてきたが、繁華街の防火対策は進んでいないように映る。「どうすれば教訓は生きるのか」。遺族たちは事件の風化に直面しながら自問自答を続けている。【小泉大士】 【歌舞伎町ビル火災】冥福祈り献花…10年を前に遺族ら ◇ビル防火不備に遺族苦悩 火災があった雑居ビル4階の飲食店では28人が逃げ場を失い、犠牲となった。栃木県足利市の主婦、中村スイ子さん(63)の長女、沙由理さん(当時23歳)もその一人だった。 中村さんによると、沙由理さんは小学生の頃から、女優の市原悦子さんが家政婦を演じたドラマを見て「味があるよね」とつぶやくような「ユニークな少女」。中学生になると、故本田美奈子さんのミュージカルを見ようと、お年玉で帝国劇場に足しげく通ったという。高校卒業後に上京し、アルバイトをしながら俳優養成所に通っていたが、火災で夢は奪われた。 沙由理さんの同級生は結婚したり、子供がいたりする年齢になった。中村さんは「生きていれば今ごろ、夢をかなえていたかもしれない」と無念さが募り、小さな子供を見ると「生まれ変わりかも」とじっと見てしまうこともあるという。 東京都豊島区の主婦、植田安子さん(59)も、長女の愛子さん(当時26歳)、次女の彩子さん(同22歳)を4階飲食店で失った。植田さんは最近になり「節目の10年で気持ちの整理を付けたい」と、手つかずになっていた姉妹の写真を整理しようとした。何枚かをアルバムに収め、残りは処分するつもりが途中で手が止まった。「区切りを付けようと思っても、忘れられるものではなかった」 ◇ 火災は放火とみられるが、犯人は逮捕されていない。現場のビルは06年に解体され、韓国料理店に変わった。中村さんと植田さんたちは、命日の献花を続けるが、数年前から「ここで何があったの」と尋ねられるようになった。事件の風化を感じることが多くなったという。 08年には消防署員と協力して「44名の命を無駄にしないで下さい。ビルの防火対策を徹底して下さい」と書かれたビラを現場で配った。だが、2人は「歌舞伎町の現実は変わっていない」と口をそろえ、ビルのオーナーたちの意識改革の必要性を強く意識するようになったという。 中村さんは「火災があったビルの関係者は防火管理の必要性を呼び掛けてほしい」と話す。時効廃止運動にも取り組んできた植田さんは「遺族にできることは限られている。雑居ビルを見ると、火災が起きればどうやって逃げるんだろうと思う場所も多い。歌舞伎町が防火対策の先頭に立ってほしい」と語り、事件の教訓が語り継がれることを願っている。 ◇管理関係の違反増加 歌舞伎町ビル火災では、階段にロッカーや可燃物が置かれるなどしたため避難路が確保されず、被害が拡大した。これを教訓に消防法が改正され、消防署が事前通告なく立ち入り検査し、その場で避難障害物の撤去などの是正命令が出せるようになった。 東京消防庁は、04年10月から昨年末までに1034件の命令を出している。しかし、09年11月の東京都杉並区高円寺の雑居ビル火災を受けて実施された一斉立ち入り検査では、対象2702棟のうち2529棟(93.6%)で消防法などの違反があった。 階段などに障害物が置かれる違反は歌舞伎町火災直後より26%減少したものの、避難訓練の未実施や防炎性能のない装飾品を使うなど、防火管理関係の違反は増加していた。 ◇歌舞伎町ビル火災◇ 01年9月1日午前0時50分ごろ、東京都新宿区歌舞伎町1の雑居ビル(地上4階、地下2階)から出火。マージャンゲーム店「一休」と飲食店「スーパールーズ」を全焼し男性32人、女性12人の計44人が一酸化炭素中毒などで死亡した。ビル所有会社の実質経営者ら計5人が業務上過失致死傷罪に問われ、有罪判決が確定した。放火の疑いが強いとされるが、捜査は難航している。
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徳川の罪悪感から生まれた「大阪城の怪談」 産経新聞 8月28日(日)16時1分配信 ■お化けは「豊臣」ばかり ナニワのシンボル「大阪城」は、言わずとしれた豊臣の城。が、実際には豊臣時代はごく短く、江戸期に再建された徳川の城が300年近く続いた。その時代、城に“勤務”する武士の間で、多くの怪談が語られたことはあまり知られていない。「化物屋敷」「暗闇の間」「禿雪隠(かむろせっちん)」…。雨のそぼふる真夏の一夜、城にまつわる恐怖伝説にふれるイベント「大阪城の怪談」に参加した。(松田則章) 【フォト】稲川淳二 今年の怪談は姿もなく「配信」 「この地では、歴史的にみて、ものすごい数の人たちが死んでいるが、お化けは『豊臣』ばかり。まず、この点をおさえてほしい」。イベント案内役の大阪城天守閣研究主幹、北川央(ひろし)さんはまず、参加者にこう語りかけた。 ■天下普請で造られた 大阪城は、上町台地と呼ばれる大阪の中心地の北端に築かれた。その歴史は、戦国から安土桃山時代にかけての浄土真宗の拠点「石山本願寺」にさかのぼる。織田信長の本願寺攻め後に焼失し、豊臣秀吉が跡地に大坂城(当時は「大阪」ではなく「大坂」)を築城。大坂夏の陣(1615年)により落城したあと、2代将軍の徳川秀忠の命により、諸国の大名が加わった“天下普請”で徳川大坂城が建てられた。 しかし、幕末の混乱で城内の多くの建造物が焼失。明治以降は旧陸軍用地となり、第4師団司令部庁舎や軍需工場「大阪砲兵工廠(こうしょう)」も建設。戦時中には米軍の標的となり、終戦間際の空襲で、櫓(やぐら)や門など多くの建造物が焼けた。こうした長い歴史の中で、幾多の人々が亡くなったわけだ。 では、なぜ怪談は豊臣家ゆかりのものばかりなのか。北川さんは「江戸時代に大坂城に着任した大名や旗本の家臣らによって、怪談が語られ始めている。それは、豊臣家(から政権を奪い滅亡に追い込んだこと)に対して徳川方が後ろめたさを共有していたから」と説明。怪談の“正体”は「徳川家の家臣たる譜代大名や旗本の心中にある罪悪感」と分析する。 ■「千姫観音」の願文 《北川さんは「怨霊(おんりょう)になった秀吉・秀頼」のテーマで、徳川家がいかに豊臣のたたりを恐れていたかについて、ある文書を紹介した》 豊臣秀頼の正室、千姫は徳川秀忠と江(ごう)の娘。大坂夏の陣では落城の際に脱出し、翌年には、伊勢・桑名の城主・本多忠政の嫡子、忠刻(ただとき)に嫁いだ。しかし、嫡子・幸千代や忠刻、江と、再嫁から約10年間で相次いで近親を亡くす不幸に見舞われた。 ちょうどそのころ造られた仏像「千姫観音」の胎内から、こんな願文が見つかっている。 「占いをしてみましたところ、播磨の姫君様(千姫)にお子ができます度々に、あなた様(秀頼)にお恨みのお心があって、それが障りになっているということです(中略)あなた様の菩提を弔うように姫様に申し上げますので、くやしいお心をあきらめてほしいのです」(現代訳) 願文を書いたのは、千姫ゆかりの尼寺の上人。不幸の原因は、秀頼の恨み、たたりとみられていたのだ。 《イベントでは、北川さんのほか、推理作家の有栖川有栖(ありすがわ・ありす)さん、“平成の怪談師”と呼ばれる怪異蒐集(しゅうしゅう)家の中山市朗さんもイベントに招かれ、3人による怪談鼎談(ていだん)も行われた。鼎談が終わると、知らない間に外は雨。蒸し暑さの中にどこかヒンヤリとした空気も漂い、怪異ムードが高まっていた》
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謎のキツネ像:周防花岡駅から撤去 「乗客、けがの恐れ」とJR /山口 毎日新聞 8月28日(日)13時56分配信 下松市の無人駅、JR岩徳線周防花岡駅のホームに置かれた謎のキツネ像が27日、JR側の要請を受け、地元住民の手によって撤去された。像は約30〜40年前に駅近くに住んでいた男性が設置したとみられる。正面には「こわいぞ命を 取るぞ……右と左を よく見てわたれ」と交通安全の警告文が刻まれるなど、珍像として注目を集めていた。しかし、JR側が「乗客のけがなどにつながる」と判断した。 27日は約10人が、像をスコップなどで掘り起こし、クレーンで持ち上げ撤去。同市生野屋の石材業、三牧義明さん(64)は「みんなが参りよったし、邪魔になるものでもないのに。これも時代の流れかな」と残念そうだった。【丹下友紀子】 〔山口東版〕 8月28日朝刊
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ベルリンの壁建設から50年 いまだ消えぬ肯定論 産経新聞 8月14日(日)7時55分配信 【ロンドン=木村正人】1961年8月、当時の東ドイツがベルリンの壁の建設に着手して13日で50年が経過した。冷戦終結に伴うグローバル化などで金融バブルが崩壊し、欧州はいま債務危機の暗雲に覆われている。金融資本主義への嫌悪感から、ドイツでは共産主義の非人道性の象徴だった「壁」を正当化する声さえあるのが実情だ。英国ではマルクス主義を再評価する風潮への警戒感が強まっている。 ドイツのメルケル首相やウルフ大統領、ウォーウェライト・ベルリン市長らはこの日、ベルリンの壁の一部が残されているベルナウアー通りで、建設50年記念行事に出席。壁を乗り越え西側へ逃れようとして、警備兵に射殺されるなどした犠牲者を追悼した。壁の建設から崩壊までの28年間で死者は少なくとも136人に上るとみられている。 ◆悲惨さ理解していない 旧東ドイツ出身のメルケル首相は「壁が築かれ、親類に会えなくなった」と暗い時代を振り返る。しかし失業率の高止まりが続くベルリンで壁を正当化する声は決して小さくない。 独世論調査会社がベルリン市民約1千人を対象にアンケートをしたところ、壁建設について3分の1以上が「東独からの難民流入を阻止し、緊張を安定化させるのに必要だった」と肯定的にとらえていた。ウォーウェライト市長は「人々が壁の悲惨さを理解していないとしたら残念だ。壁に関する記念行事は続けるべきだ」と主張している。 ◆マルクス主義に警鐘 一方、英大学街ケンブリッジでは、著名な英文芸批評家イーグルトン氏の「マルクスはなぜ正しかったのか」などマルクス関連本が書店に並べられ、マルクスの「資本論」がベストセラー入りする。英BBC放送の調査でも、マルクスは1999年と2005年に「最も偉大な思想家」「最も影響力のある哲学者」にそれぞれ選ばれている。 前駐ロシア英国大使のトニー・ブレントン氏は「金融危機のさなかにあっても、資本主義はより多くの人の生活を豊かにしている。この25年の間に中国の5億人、インドの4億人が極貧から脱出できた。若い世代は共産主義の結末を知らない。共産主義は独裁を導き、多くの人が粛清された歴史を若い世代に伝えるべきだ」と警鐘を鳴らしている。 【用語解説】ベルリンの壁 東西冷戦期の1961年8月13日未明、当時の東ドイツ政府が国民の西側への脱出を防ぐため、西ドイツの飛び地だった西ベルリンの周囲に有刺鉄線を敷設。その後、全長約160キロにも及ぶコンクリート製の壁を設置した。しかし80年代後半、東欧で民主化要求の流れが強まるなか、89年11月9日に東独市民が検問所に殺到。警備兵が検問所を開放し、壁は事実上崩壊した。
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