道草agenda

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「原風景」というもの

私は第二次ベビーブーム世代で、
東京23区内の住宅街で生まれ育ち、
私立の学校に通って、
友達も皆、都内および近郊の育ちで、
両親とも東京の人間で、
と、わかりやすい「東京の中流」みたいなところで育った。

小学校の時から電車に乗って都心の学校に通い、
休日に買い物をするのは新宿、原宿、吉祥寺。
女子高に通っていたので、男子との出会いはなかったけれど
広尾の都立中央図書館(通称トリチュー)で
友達の友達の、塾校の男の子を紹介してもらったりもしていた。
バブル期の東京のど真ん中にいて、世代的にバブルを享受していたわけではないけれど
あの時代のあの空気の中で思春期を送った。

という暮らしに、田園風景というものは介在しない。
両親の帰省先というものもなかったから「田舎」もない。

三人きょうだいの、年の離れた末っ子で、ずっと一人遊びをしていたし
幼稚園の友達とも、小学校にあがってからは縁が切れたので地元に友達もいない。
(私の幼稚園時代の記憶で、鮮明なものの一つに...
地元の公立小学校の、入学前の一斉健康診断日みたいなものがあって、
その学年で公立に行かないのは見事に私だけだったので、
その日、何も知らない私は、本当に一人っきりで登園した。
先生達も「あら、何でこの子だけ来てるの?......あ、なるほど」という感じで、
その日は先生達を一人じめして、縄跳びをして遊んでもらった。
...ということがあった)

だから、学校から帰ってきても友達と遊ぶでもなく
家でテレビをみたり本を読んだり。一人で。
いや全然、まったくもって、寂しくはなかった。
むしろ、他のきょうだいが帰ってくると鬱陶しかった。
一人好きが骨の髄まで染み込んでしまっていた。
(だから、今でも、どんなに好きな人と一緒にいようとも
ある時点で一人きりになりたくてたまらなくなる)

そういうわけで、「子供は風の子」とか「原っぱでキャッチボール」
なんていうのは別世界の話だった。
緑なんていうものも、各家庭の庭に植えてある木や草花ぐらいのもの。
私にとっては、自宅の庭先にあった、椿・さるすべり・金木犀・ツツジが全てだった。
(さるすべりと金木犀は、その後、庭をつぶして駐車場にしたときに撤去されてしまったが)

虫は、蚊や蝿や、アスファルトでひからびているミミズぐらいしか知らない。
蛙も、中学か高校の生物の時間に初めて、まともに見た。
私にとって、自然というものは特に親しいものでもなく、まして懐かしさなどもなかった。

原風景、なんてものはない。
別にそれを、寂しいとか、「子供らしい経験を出来なかった、したかった」とも思わない。
都会で、「街っ子」として生きてきたことは十分誇れる。

その一方で、そういう、「子供時代の原風景」みたいな描写を
本や映画でみるのはとても楽しい。
「自分自身は体感していないけれど、『ああ、きっと、そうなんだろう』と
しみじみと思えるもの」として。
たとえばカポーティの「草の竪琴」や「遠い声 遠い部屋」。
ハーパー・リーの「アラバマ物語」(小説も、映画も)。
銀林みのるの「鉄塔武蔵野線」(夏休み文学の最高峰の一つだと思う。映画も秀逸)。
その他にも沢山、「子供特有の時間」を描いたものがある。

映画であれば、言うまでもなく「ミツバチのささやき」(先日、記事にもしたけど)とか「冬冬の夏休み」。
ある意味、「天国の日々」も原風景のようなものだと思うし、
「動くな、死ね、甦れ!」の、寒々とした村でどこからともなく聞こえる「五木の子守唄」・・・
宮崎アニメは殆どみていないけれど、わずかにみた映画からも、それを感じた。

どれも、私自身は体感したことのないものなのに、でも、どこか、「わかる」。

子供時代の、いろんな意味での苛酷さ、もふくめ。
(私は二度と子供時代になんか戻りたくない)

わけもなく寂しくなったり、悲しくなったりする瞬間や、
「どうやら、この世の中には、いろんなことがあるらしいぞ」という思い。

それは、いわば(陳腐な言い方だけれど)「心の原風景」であり、
と同時に、今でも心の中にある。

この歳になっても、時折、途方にくれた子供のような気持ちになることがある。

そんな想いを抱えて生きているから、私の中には、
ずっと、どこでもない、でも、どこかの、原風景があるのだと思う。



・・・・・正月、実家に帰った際に、私が置きっぱなしにしていた本の中にあった
とある詩集を、ものすごく久しぶりに読み返して、
そんなことを思いました。

ずいぶん遠くへ来てしまったものだ。
でも、戻れる・・・・・・どこへ?どこかへ。
という瞬間が、ふと、あったりするのかな。と思ったりして・・・

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僕は田舎生まれの田舎育ちだったので毎年夏休みになると
都会の親戚の家に行くのが楽しみでした。都会と云っても
横浜でしたが、駅を降りてすぐの場所にあったので、毎日
デパートや地下街で遊んでました。
夜になると部屋の窓から見えるネオンサインが大好きで時間
を忘れて見つめていました。
近くに流れる川のドブ臭い臭いや、真夏の暑さを避けて一歩
踏み込むと忽ち躰を冷やしてくれるデパートの冷房や、様々
な匂いの入り交じった地下街の喧噪・・・・その全てが大好
きで、毎年夏休みが来るのを楽しみにしていたものです。
そしてあの頃の体験が今の僕のなかに根深く残っています。
何処にどういうふうに残っているのかは分からないけど
あの匂いや光や風は、躰が記憶しているのだと思います。
あの場所には何時でも戻れるけど、あの年齢には戻れない
だから二度と経験できないことですね。
子供の頃に戻りたいとは思わない・・・僕も同じ意見です。

2009/1/6(火) 午後 4:47 [ すいす ]

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>まさゆきさん
横浜駅の近くに川、ありますね。夜は屋台が並んで。
何回かあそこのおでん屋台で飲んだことがあります。

子供の頃に感じた匂い、色、などは、記憶に残ってますよね。
私は夏休みは、ほぼ毎年軽井沢に行っていたのですが
家のドアをあけた時の匂い(湿度をふくんだ、少しかび臭い、ひんやりした匂い)や
居間のソファにかけてあったタオルの柄、
庭の雑草が朝露に濡れている様、なんかを
今でもハッキリと思い出せます。

「夏休み」って、独特の記憶をもたらすものかもしれませんね。

2009/1/7(水) 午前 11:20 [ salvaje ]


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