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本棚を整理していたら、1冊の薄い小型の雑誌が出てきた。 「面白半分」という雑誌で、昭和49年5月に発行された月刊誌の増刊号(特集・大対談)である。 この対談集の冒頭に載ったのが「金子光晴対吉行淳之介」の【肛門・瘌病・細密画】という題の対談だっ た。 当時まだ34,5才だった私は、この二人の対談を読んで、性にはこういう裏とも表とも見分けの付かな い、不可思議な世界のあることを知らされた。 そういえば、当時三鷹に住んでいた私は、よく吉祥寺の街に出かけていたが、ある時、かなりお年を召し ておられたが、あの独特の風貌の金子光晴が吉祥寺の街をコツコツとした足取りで歩いていたのを見たこ とがある。 対談の名手と言われた吉行淳之介も、この金子光晴との対談には、かなりの腹ごしらえをして、対面の場 に出かけていった、と言われている。 長い対談だが、じつは今回その全部をここにアップしてみようと思った。 が、改めて読み返して見ると、いくら70才の婆さんになったとは言え、その対談のヒトコマ、ヒトコマ は、女の私が書き写す文章ではないなぁ・・・という思いに至った。 ところどころ、あまりにも赤裸々な性に付いての会話が述べられていて、男性だったら、笑いながら読め るお話なんだけど、女にはこれを笑うには相当の覚悟のようなものが要る話題なのだ。 だから、ブログには載せないことにした。 が、上手くこの古い雑誌が手に入ったら、ぜひ一読なされることをお勧めする。 (この対談は文庫本などにはなっていないのだろうか) それはともかく、その前に、この二人に付いての簡単な略歴を記しておきたい。 平成も20年を越えようとしている。もはや、吉行淳之介はともかくとして、金子光晴のことなどご存じ ない方が増えてきているのではないか、と思うからだ。 その必要のない方は、どうぞ、直接対談をお読みください。 ★かねこ・みつはる 明治28年、愛知県生まれ。早大、慶大、美術学校をいずれも中退。数回にわたって、ヨーロッパや中 国を放浪。ボードレール、ヴェルアーラン等の詩に触発された詩風は、当時の詩壇に一大転換を与え た。詩集の他、多数の自伝や評論集がある。「面白半分」次期編集長。 ★よしゆき・じゅんのすけ 大正13年、吉行エイスケ・あぐりの長男として岡山市に生まれる。3才の時に東京に移住、番町小学 校、麻布中学校、静岡高校を経て、東大英文科中退。編集の仕事と肺結核の療養を続ける中で、昭和 29年、「驟雨」で芥川賞を受賞。「面白半分」初代編集長。 |
吉行淳之介
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ハンケチにインクの染みや吉行忌 |
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2月に入って間もない頃のこと、 ブロガーのSさんという方が吉行淳之介の限定本「童謡」を送ってくださった。 たまたま、Sさんのブログを訪問したら、吉行淳之介の書庫をつくっておられ、かなり質の高い面白い記 事を書いておられた。 私は早速「ファン登録を」させていただいた。 が、実は私は2年前、三鷹の家から今のところへ引っ越すとき、ある覚悟のようなものを以って、それま で愛読書の一つとして大事に保存していた吉行淳之介氏の本のほとんどを処分してしまっていた。 (が、どうしても捨てきれない何冊かの本は取ってある) なぜ、あのような行動をとってしまったのか、今以てよく分からない。 新しい生活に入ったら、それまでやっていた写真撮影の仕事も辞めることになるのだから、それれまでよ りは私的な時間は取れるであろうとは思っていた。 当然、好きな本をゆっくり読むことが出来るであろう、とも予測はついていた。 が、心の奥のどこかに、そのゆとりのような時間が、マー元帥から眼を離す油断に繋がってしまうことに なるかもしれないという一抹の不安感があったことは確かだ。 ここに移住することの名目は、 「息子一家の手助けをすること、当面の手助けとしては、まだ小さい孫達の面倒を出来るだけみること」 にあった。 それをマー元帥といっしょにやろう、と思っていたから、当然マー元帥の頭の状態も常によく見ていなけ ればならない。 もうこれからは読書どころではないだろう、と大袈裟にいえば悲壮な覚悟を決めていたような気もする。 が、ここで暮らし始めてしばらくすると、マー元帥の様子も、引っ越す前に精神科医からいろいろな予測 を交えた病状の進み具合を聞いていたのとは、やや違って、これくらいなら何とか自分の自由な時間も持 てそうな気配になった。 自由な時間といっても、せいぜい読みたい本を読むぐらいのことではあるけれど、私にとってはそれで充 分だった。 Sさんのブログの吉行氏に関する記事を読ませていただくようになって、しばしば「取り返しのつかない ことをしてしまった」と思うようになった。 大事なものを、自分の体から引き剥がすようにして捨ててしまった嘗ての精神状態に、今頃になって唖然 としている。 私は改めてかの吉行淳之介の本を一気に処分してしまったことを後悔した。 そのようなことを、Sさんのブログのコメントに書いたのだった。 ある日、Sさんが私のゲスブにコメントをくださった。 「{原色の街・驟雨}の入った本と、あともう一冊送ります」 私はSさんのご好意が嬉しくて、その2冊が届く日を子供がサンタのプレゼントを待つような気持ちで待 っていた。 果たして2月6日、 想像していたより大きな小包みが届いた。 一冊は吉行氏の初期の作品が収められている「原色の街・驟雨」の文庫本だった。 ところが、そのあとの一冊というのが、思いがけないご本だったのだ。 上の写真のような全部で288冊しか発行しない限定本だったのである。 しかも、其の本が収められている箱が素敵だ。 箱から取り出して、これまた素敵な表紙をそっと開いてみると、 最初のページに吉行淳之介氏の自筆のサインがしてあった・・・のだ。 マー元帥が後ろから覗いて 「凄い本なんだねぇ・・・」 と驚いている。 限定本の内容は、表題の「童謡」のほかに 「白い半靴」「錆びた海」「海沿いの土地で」「寝台の舟」「鳥獣虫魚」「雙生」「不意の出来事」 「香水瓶」の8作品が収められている。 この中の何篇かは読んでいて、内容も記憶している。 が、読んだのかどうか記憶にないものもある。 私はこのご本を手にしてから今日まで、ずっと枕元に置いて眠った。 すぐに読もうと思ったが、なぜかその時、すぐに手を付けるのが勿体ないような気持ちがしたのだ。 が、今日から、毎日一編づつ読んでいこうと思う。 久々に吉行氏の短編の世界に浸りながら、私にとっては贅沢な時間を過ごさせていただくことにする。 Sさん、本当にありがとうございました。
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吉行淳之介氏からの返信のなかに、 「(麻雀の研究)の本から私の作品(人間?)に興味をもったというのは、おもしろいので、おひまがあ りましたら、その点をもーすこしくわしく教えて下さい」 という一文があった。 その「麻雀の研究」(笑いながら強くなる本)という本のことだが、昭和46年9月に祥伝社から発行さ れたものだった。 麻雀をやらなくなった今も手元に置いてある。 その帯に書かれているのは阿佐田哲也のこの本の内容の紹介文である。 下記の文章はその一部で、 「これは麻雀の入門書でも、戦略書でもない。その要素を兼ね備えながら、アマチュア吉行さんの品格と プロ小島さんの真摯さとがかみあって、ドラマを創り、笑いを生み出し完全な読み物になっている。 雀士諸兄、まァおよみください。今までの麻雀本とは、ちいっと違いまっせ」 とある。 その頃、麻雀を覚えたばかりの私には、この本の内容の一つ一つがそんなに興味深かったわけではない。 この本の内容の妙が分かるほど、私の麻雀の経験は豊富ではなかった。 だから、吉行氏に何と言って返事をしたらいいのか分からず、困ってしまった。 知らん顔をするわけにはいかない。 何とかはっきりとした言葉で返信を書こうと一週間ぐらい考えていたように思う。 やっと、何とか文章をまとめて、思い切って投函した。 が、その内容は、今、思い出そうとしてもよく思い出せない。 が、最後のところで、ひとこと、こんなふうなことを書いたような気がする。 「私の麻雀は只今のところ、リーチ、一発、ツモ、バンバン、という手で上がるのが一番快くて、その他 の手にはあまり興味がもてないといった程度のものです。 ですから、(麻雀の研究)という本のなかの麻雀の勝負の仕方や、手のうちの牌の捌き方に興味を持った のではないと思います。一冊さっと読んでみて、この吉行淳之介という人は一体どんな小説を書いている 人なんだろう、と思いました。読んでみたいと思ったのは、そのときの直感によるものだったと思いま す。それ以外考えられません」 そう書いてみて我ながら、そっけない返事だなぁ、と思った。 多分この返信を受け取られた吉行氏も「ずいぶんぶっきらぼうな手紙だなぁ」と、思われたことだろうと 想像する。 そう、その返信を出してしまってから、しばらくして、私は急にあれは大変失礼な内容の手紙だったので はないか、と思い始めた。 私はある月刊誌を編集している友人に一部事情を話して、吉行氏の電話番号を教えてもらった。 受話器の中からいきなり吉行淳之介氏本人の声が聞こえてきたのには慌ててしまった。 「先日、(驟雨)のことで、手紙を差し上げた者です」 というと、「ああ、二度目のお手紙も届きましたよ、お手数おかけしました」 ごく、普通の話し方で話される。 「あの、そのことですが、肝心の(麻雀の研究)の内容には触れず、一読後の直感です、みたいな生意気 なお返事しか出来ず、申し訳ありませんでした」 と、謝った。 「いや、そんなことはないですよ。あれで充分です。 直感で何かを感じてくださった、ということが、僕には逆に面白いですよ」 と、吉行氏は電話の向こうで笑っていらした。 私はふいに気が楽になった。 芥川賞受賞作の「驟雨」に、感動したことも正直に語った。 「しかし、あの暦の件に関しては、今までに誰からも指摘してもらえなかったなぁ」 と、吉行氏。 「でも、あの暦のシーンは実際にあったことですね」 「そう、実際にあったことです。手紙の中でも書いたと思うけれど、実際の道子さんは、僕より一つ 年上だったんですよ」 「やはりそうでしたか、そうだとすると、実際の道子さんは九紫火星ではなくて、五黄土星という星にな ります。五黄土星はこの年大盛運なんです。ですから、吉行さんはそのとき道子さんの生まれ年のところ を開いて、大盛運だったことを確認なさったのだと思います」 「そういえば、実際に確かに大盛運だったですね、あの時の道子さんは」 「でも、小説の道子さんは九紫火星のイメージが一番合っていると、私も思います。暦のまま、五黄土星 になんかなさらなくて、正解でしたね。 五黄土星は周囲に八つの星を従える支配的存在の星で、帝王の星と言われているくらい男性的な強い星で すから」 「なるほど、そういうことだったんですか・・・」 吉行氏はやっと事の次第を納得されたようだった。 普段あまり体調の思わしくない方だと伺っていたので、そのときの電話は5,6分で終えたと思う。 電話の間中、吉行氏はずっと楽しそうにゆっくりと会話してくださった。 そのことが、今、再た改めて悲しいほど懐かしく思いだされるのだ。
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吉行淳之介の小説を読み始めたのは35才の時だったと思う。 |
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