玩ばるトマトばぁちゃんの日常

もう頑張るのはやめて、玩ばろう♪♪♪

我が町の遺跡

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<今年もまた百八燈>

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8月15日の夜には、我が町では年中行事「百八燈」が行われる。

その行事に、孫のラドンも出演しているので、今年もカメラを持って出かけていった。


念のために言うと、このお祭りは源義朝、源義経の時代に、源氏の兵士として従軍した

「猪股六弥太範綱」の功績を忍んで未だに行われている慰霊祭である。


はじめに、丘の上にある高台院というお寺にこの字に住む小学生から高校までの男子だけが、祭りの衣装

を着て集まる。(勿論古手の先輩達の指導の下に)


そこで、まず笛の調子を合わせる。

次に1か月前から週一で練習してきた太鼓の演奏を、2人づつ組んで、その2人の独自のリズムで太鼓を

叩く。

それが終わると、ご仏前に向って礼拝。そして、近くの道前山まで、提灯を手に登って行く。

その時の道行きの笛と、太鼓たたきは、先達諸氏の役割となる。


道前山の頂上で、全員が提灯を高く上げて、一斉に「ときの声」を挙げる。

それが終わると、一番年長の少年が百八燈に火を移す。

道前山の百八燈に全部火が灯った所で、もう一度、全員で「ときの声」を挙げる。


これで、百八燈の行事は全て終了。

行事は1時間足らずで終わるが、これら全ての行事の前仕事が大変で、ラドンたち十数人の少年たちは

これが終わるとくたくたに疲れてしまうと言う。

今年も全てが順調に行って目出度く終了。ご苦労さんでした。


この後同地で恒例の大花火大会が2時間ほど行われる。

が、私は今回は、最初の方の花火を数回見ただけで帰宅してしまった。

昼間から、何となく疲れていたのでそうすることにしたのだった。

<こんな所に・・・>

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いつも行く「セブンイレブン」の店に、今日はいつもとは違った道を通って行った。

途中の道が工事でとうせんぼされていたからだ。

少し遠回りをして行ったら、ある住宅の横に、三つの塔が立っている。

「何の塔なのかな?」と、何気なく自転車を降りてみたら、手前の碑に「日露戦役紀念之碑」と書かれ

ている。

「ああ、こんな村からも日露戦争に駆り出された人たちが居たんだ」

と、思って、一番右の塔の文字を読もうとしたが、最早薄くなっていて、何が書かれているのか良く分か

らない。何人かの名前が読めたが、亡くなられた方の名前ではなくて、この塔を建てた人の名前らしい。

だから、ここに何人の方が慰霊されているのかは良く分からなかった。


実は私の祖父も日露戦争に参戦した生き残りである。その祖父から、二等兵で現地に派遣された時の壮絶

な戦いの模様を私は何十回、いや何百回と聞かされて育った。

亡くなられた方の中には、祖父と同じ戦場で共に戦った方が居られるのかも知れない。


何となく、直ぐには立ち去れない気分でしばらくそこに立っていた。


が、この日露戦争の記念碑の直ぐ後ろには、普通の住宅が建っている。

この家の人たちは、これらの碑のことが気にならないのかな・・・


「忠魂碑」・・・忠義のために戦士した人の魂を慰める碑。

「慰霊碑」・・・戦場で亡くなった死者の魂を慰める碑。

<我が町の庚申塚>

私の住んでいる町のあちこちには、「庚申塚」或いは「庚申塔」と呼ばれる石塔がいくつも建てられ
 
ている。下の写真は、近くの道の五叉路の脇に建てられているものである。
 
 
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あまりにあちこちで見かけるので、「庚申塚」とは一体何なのか、地元の人に聞いてみた。
 
が、誰も「昔の道案内の印だったんじゃないのかな」ぐらいの話しかしてくれない。
 
仕方なくPCの「Wikipedia」を開いてみた。
 
そこには、次のような解説がなされていた。
 
 
庚申塚とは、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
 
庚申講というものを、3年18回続けて行われた記念に、建てられることが多かった。
 
塚の上に石塔を建てるので、「庚申塚」と呼ばれ、塔の建立に際し、供養を伴ったことから「庚申供
 
養塔」とも呼ばれたと言う。
 
では「庚申講」とは何か?
 
庚申講とは、人間の体内にいる三尸虫という虫が、人間が寝ている間に、天帝にその人間の悪事 
 
を報告に行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで、天帝や猿田彦大神や青面金剛を祀っ
 
て、宴会などを催す習慣をいうのだそうだ。
 
庚申塚の石形や、彫られる神像、文字などは様々である。が、申は干支で「猿」に譬えられるので、
 
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や、庚申講員の氏名を記したものが多い。
 
同様の理由で庚申の祭神が神道の場合、猿田彦神とされ、その猿田彦が彫られることもあった。
 
又、猿田彦神は、道祖神としても信仰されていたので、庚申信仰が、道祖神信仰とも結びつくことに
 
なった。
 
更に、仏教の方での庚申の本尊は、青面金剛とされるために、仏教の場合は、青面金剛が彫られ
 
ることもあると言う。
 
 
庚申塚は街道沿いに置かれ、塔には、道標を彫り付けられたものも多い。
 
これは、道祖神など他の路傍の石仏には余り見られない機能であり、庚申塚の特色とされている。
 
 
私の周りには、思いがけない所に、庚申塚と思われるものが残されているので、次回にはその庚申
 
塚のある場所なども紹介してみたいと思う。

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毎年8月15日の夜、我が地区の堂前山の尾根にある108の塚に土地の若者達が火を灯す「猪俣百八

燈」という行事がもようされる。

数百年続いている伝統的な行事だが、その祭りに慰霊されている当の「猪俣小平六範綱」とう人物は、一

体どんな人物なのか、誰も彼に付いて語る人がいないので、自分で調べてみることにした。

私は始め、ここ猪俣城は小田原の北条氏と縁が深かった、という話を耳にしていたので、多分江戸時代の

人物かと思っていた。

が、調べて見て、そうではないことが分かった。もっと、もっと古い時代の人物だったのだ。


猪俣小平六範綱は、彼の小野篁の子孫だという。時資の時代に、猪俣村に住んで以来、猪俣氏と称し、武

蔵野武士の猪俣党として有名を馳せた時資の四代目が、小平太範綱であった。


生年は不詳だが、1192年11月(建久3年)に没している。


彼は保元の乱では、源義朝に仕えて、軍功を立て、当時義朝の十六騎の勇将として知られている。

平治の乱では、源義平のもとで、これまた軍功を上げた。

また、源頼朝、源義経にも仕えている。一の谷の戦いで、平盛俊を騙し討ちにしたとも言われている。


猪俣小平太の死後、始まったのはいつかは分からないが、一族の霊を慰めるために「猪俣の百八燈」とい

う行事が毎年行われるようになった。この行事が、今日まで続いていて、国の重要無形民族文化財となっ

ている。

余談になるが、毎日我が家に遊びに来る猫のタロウの飼い主のTさんは、この行事の保存会のメインメン

バーの一人である。


昨日は桜の花が満開の一日だった。

誰だったか忘れたがいつか「猪俣小平六の史跡を訪ねるなら、桜の咲いている時がいちばんいいよ」と教

えてくれたので、お天気も最高の昨日、小平太の遺跡を巡ってきた。

巡ると言うほど大袈裟な距離ではないが、桜や連翹や、近くの畑に咲いている菜の花、早咲きのポピー等

を眺めながら歩いたら、一巡りするのに2時間ぐらいかかってしまった。


国道から、高台院というお寺に通じる坂道を登っていくと、右側の畑の中に八基の石塔が立っている。

近寄って石塔に刻んである文字を読もうとするのだが、石塔に苔が生えてしまって何が書かれてあるのか

よく分からない。


その石塔を右に見ながら更に登っていき、高台院の入り口に入らずにそのまま左に曲がっていくと、自然

に猪俣一族のお墓の前に出る。

早速、猪俣一族の墓地に入っていったが、そこは何とも寂れた墓所で、誰かが毎月お掃除しているとは思

えないぐらい、放ったらかしにされている、といった感じだった。


私も一応手を合わせてご挨拶をしたが、もう、そのお墓の中には猪俣小平太さんはおられないような気が

した。つまり、とっくの昔に別の人物に生まれ変わってしまったというようなような気がしたのだ。


何といっても、猪俣小平太さんは源平時代の武将である。

お墓の前で手を合わせて、会話をするには遠すぎるお方だ。


お墓の出口のあたりから、嘗て小平太さんの館のあった方角を覗いてみたら、桜の花と連翹の花が同時に

見えて、とてものどかな風景だった。本当にこの刻にここへ来て良かったと思った。


さて、最後に、この猪俣小平太さんの元館があったところにやってきた。

というより、我が家の近くに戻ってきたというべきか。

小平太さんの住んでいた館跡は、我が家から歩いて5,6分のところにある。つまり、息子の家に行く途

中に在るのだ。だから、その風景はしょっちゅう見ている。

今は、館の跡に印の石塔が三基立っている。

この後ろの畑の中に、猪俣小平太範綱の館があったのだ。

資料には、館の形は長方形で、水堀りの一部のみが残っているとのことである。

周りは耕地となり、色んな野菜や、ブルーベリーなどが栽培されている。

そんな農地の中で、源平時代の館の水堀りが残っているだけでも大したことではないか、と思ったことだ

った。



★最後の写真の中に、いくつも並んで見える塚は、毎年8月15日の夜行われる百八燈行事のとき、松明

 が灯される塚です。

 この塚がこの堂前山に全部で百八燈あるのです。

畑の中のお稲荷さん

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一昨日、濁酒を買いに天仁横関に行った、その帰り道に、いつもと違う道を通った。

この辺の田んぼと畑の間を縫っている農道を通ると、大通りを廻るよりはるかに近い抜け道を通って、家

にたどり着くことが出来るからだ。

その日は、大体見通しをつけてある初めての道を通った。


その途中で見つけたのが、上の写真のようなお稲荷さんの祠だった。

それも、一枚の広い畑の中にぽつんと建てられている。

自転車を降りて、近寄ってよく見ると、祠はきれいに掃除されていて、その前面に、小さなお狐さんが何

体か並べられていた。

どのお狐さんも綺麗に磨かれていて、手入れが施されている。


この祠の後方に小さな神社があるが、そこにゆかりのある物ではないようだ。

この土地の持ち主が個人でお祭りしているお稲荷さんの祠だと思う。

お稲荷さんというのは、以前にも書いたが、稲作、を始めとする農業の神様だからである。

祭り主は、当然農業を生業にしている人であろう。


それにしても、畑の中にぽつんと建っているお稲荷さんの祠は、ちょっと見には不思議な風景である。

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