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1 所在地 天童市田鶴町 2 別 名 御館 3 築城時期 天保元年(1830) 4 築城者 織田信学 5 種 別 平城 6 遺構等 標柱・案内板 7 駐 車 天童市田鶴1-7-13喜太郎稲荷神社を目指します。参道に案内板があります。参道前の道路は比較的広く、住宅街で通行も少なく路上駐車が可能でした。 8 概 要 奥羽本線天童駅の南方一帯が天童陣屋の城域であった。城主織田信学は織田信長の次男、信雄の末孫で、5万石の上州小幡城主であったが、江戸時代中期の明和4年(1767)の山県大弐の事件に家老が連座した為、2万石に減封されて高畠・天童へ移封された。当初高畠に居住したが、天保元年(1830)に移城した。極めて小規模な城で、御館とよばれ、家臣も100人程度の小藩の館であった。最後の城主は織田寿重丸である。(日本城郭大系) 明和事件 甲斐出身の山県大弐らが明和3年12月に尊皇論を唱えて江戸幕府に弾圧された事件。明和の変とも言う。 9 撮影 (2010年5月9日)
★ 陣屋絵図 ★ 喜太郎稲荷参道 ★ 天童陣屋大手門跡・案内板で位置を確認しました。 |
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はじめまして〜カテゴリーからお邪魔します。
建勲神社の記事を書いたのでTBさせてくださいね^^
2011/2/19(土) 午前 0:44 [ Luna ]
貴重な追加事項感謝します。
2011/2/19(土) 午前 7:41 [ aganohito ]