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1 所在地 高知市浦戸
2 ナビの設定と駐車場所 浦戸779(大駐車場)
3 訪問日 2017年12月14日
桂浜石碑 浦戸砲台跡説明板
坂本竜馬像 桂 浜
海津見神社(龍王宮) 所在地は城山 浦戸城跡碑
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高知県の城館
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駐車場を通り過ぎ。城跡を一周してしまい再び駐車場へ戻った。そこから大手門を潜り、杉の壇と言う緩い坂道を登り三の丸へ、高知城の見どころは高い石垣、追手門、廊下橋、本丸建物群であった。青空に石垣、建物、松が良く映えていた。駐車場へ戻ったら隣が札幌NOの車だった。
1 所在地 高知市丸ノ内1
2 築城時期 慶長6年(1601)
3 築城者 山内一豊
4 種別 平山城 340/25
5 遺構 石垣・追手門・天守閣・水堀・外
6 掲示物 案内板・説明板・石碑・標柱・外
7 ナビの設定 所在地とした。
8 駐車場所 高知城公園駐車場 (有料)
9 概要 (現地パンフ転記) 国指定史跡
高知城は日本で唯一本丸の建物群が全て現存する江戸時代の姿を今に伝える城郭である。元々この場所は南北朝時代に築かれた大高坂城があり、戦国時代には長曾我部元毛親が岡豊城より移り、築城に取り組んだ。しかし治水に難儀し、わずか3年で元親は浦戸城へ本拠を移した。その後関ヶ原の功績で、遠州掛川より入国した山内一豊がこの地を城地と定め、慶長6年秋から築城を開始した。一豊は築城家として知られた百々越前守安之を総奉行に任じ、近隣諸村から石材、木材を取り寄せ工事を進めたが、難工事の末、城のほぼ完成したのは10年後、二代藩主忠義の治世に移った慶長16年であった。享保12年(1727)には一部の建物を残し、焼失、直ちに復旧にあたったものの、財政難もあって天守が復興するまで、20年以上の歳月を要している。その後明治維新により廃城となり、本丸と追手門を除く全ての建物が取り壊され、公園となって今に至っている。
10 訪問日 2017年12月14日
山内一豊の像 追手門と天守
三の丸 本丸石垣と天守閣
高石垣 廊下橋
二ノ丸 廊下橋を通って本丸へ・天守と本丸御殿
黒鉄門側から帰路に付く 鐘撞堂
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08時宿を出発、高速松山道から高知道へ入る、南国市で高速を降り、岡豊城へ向かう。資料館にナビをセットしておいた。麓にあると思っていたが城山の中腹以上上にあり、隣の小山が城跡と言う感じであった。豪華な資料館である。城山に「祝、続日本100名城岡豊城選定」の大断幕が張られていた。駐車場も広い、20台位駐車していたが、全て関係者の車のようだ。城跡の手入れもよい、模擬天守には案内人も配置されていた。厩郭を除き、一回りをして資料館へ行く、料金は500円であったが、ジャフの会員は100円引き。館内は特別展が開催されていた。長曾我部関係の展示を見学し、次の高地城へ向かった。
1 所在地 南国市岡豊町八幡字岡豊山
2 築城時期 15世紀
3 築城者 長曾我部氏
4 種別 平山城 94/80
5 遺構 石垣・土塁・空堀・井戸・郭
6 掲示物 案内板・説明板・石碑・標柱・模擬櫓
7 ナビの設定 岡豊町八幡1099-1(高知県立歴史民俗資料館)
8 駐車場所 資料館駐車場 隣が城山
9 概要 (現地パンフより) 国指定史跡 岡豊城は長曾我部氏の居城跡で四国の戦国期を代表する遺跡である。岡豊山に城が築かれた時期は明確には不明であるが、長曾我部氏がこの地に拠点を構えたのは15世紀し考えられ、16世紀初頭に一度落城したと伝えられている。後に再興され、大高坂城へ移転する天正15・16年(1587・88)ころまで、機能した山城と考えられる。城は詰・二の壇・三の壇・四の壇を中心とした主郭部、伝厩屋跡曲輪、伝家老屋敷曲輪部を中心とした二ケ所を副郭とした連郭式遺構の城郭である。城の南麓は国分川が西流し、湿地帯を形成しており、自然の防護施設となっている。なお平成20年7月28日に国史跡に指定された.
10 訪問日 2017年12月14日
城山近景と続日本100名城選定の大断幕 駐車場から登城道がある
堀切と井戸跡 二の壇
二の壇からの眺望 二の壇から詰へ
詰下の壇 礎石建物跡 詰(本丸)模擬櫓
詰からの眺望 三の壇の礎石建物跡
三の壇から詰への石段 岡豊城跡碑
説明板・案内板は多くあるがその一つ 四の壇付近
四の壇の横堀 資料館庭の長曾我部元親の像
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