日本の城探訪日誌

関東・東北・北陸地方を中心としています。

長野県の城館

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常慶院

 県史跡内池館の館主、市川氏の菩提寺が常慶院との事で、立ち寄った。国道117号より千曲川沿いの道を下り、古びた橋を渡り、右折、次に左折で寺院前に着いた。由緒のある山門を潜ると参道両側には杉の巨木が並び、階段を登ると境内となる。右端の崖上に花の散り始めた垂れ桜が目に付いた。

1 所在地  下水内郡栄村境1613
2 概要    曹洞宗の市河谷第一の由緒ある寺院,寺歴では江戸時代天和2年(1681)の文書に室町時代の応永5年(1398)開山とある。この地域の地頭市川氏の菩提寺で、市川氏が上杉景勝の会津移封に同行し、廃城となった旧城地のこの地に移ってきたものと言う。上杉家の重臣に市川氏の名が見え、明治迄続いている。又米沢市にも同名の寺院が存在している。

3 訪問日 2018年4月16日
        常慶院山門                           丘の上に所在する常慶院イメージ 1
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中俣城

 車を長野市柳原地内国道18号沿いスーパーの駐車場を借用、東側民家の脇に鎮座の城山稲荷に行く、遺構は無いがこの周辺が本丸跡との事である。

     外堀の役目をした北八幡川
イメージ 11 所在地  長野市柳原中俣(城山稲荷社)
2 ナビの設定 柳原1860を呼び出し、スーパーの駐車場に設定した。
3 駐車場所  スーパー駐車場を借用する。
4 掲示物    稲荷社縁起

5 概要    中古寿永の頃、木曽義仲が勇姿を発し、北國で猛威を振るう頃の応永31年(1424)井上氏が築いた平城で、井上氏が代々住んだと古老の口碑に残されている。
6 訪問日 2018年4月15日   

    本丸を取り巻く内堀跡の道路                 本丸跡に鎮座の城山稲荷明神
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尾張城


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 尾張城跡は飯田氏居館跡から距離的には近いが、国道198号き相変わらずの混雑である。城跡は城址公園となっており、城跡石碑は公園を区切るフェンスの為、うまく撮影出来なかった。又公園には駐車場は無い。
1 所在地 長野市西尾張部村南(尾張城址公園)
2 遺構   無
3 掲示物  石碑
4 ナビの設定 西尾張部1122-49地番の西隣
5 駐車場所 路上
6 概要(現地碑文転記)
 尾張城跡は本碑から北東方約70mの地点に主郭の中心部が位置する中世の城郭である。長野県町村誌によれば、天正年間(1572−1591)に尾張備中が居住した所であり、科野佐々礼石には尾張三郎がここに居住して当村一村を支配していたが、永禄年間(1558-1569)のはじめに武田氏に降りてこの地を引き払ったものとされている。城館の広さは長野市町村誌によると、本丸跡東西53間、南北47間、二の丸東西65間、南北38間、内堀、外堀、馬出し回字形をなしていたとある。平成5年〜7年西尾張部区画整理事業に伴い、道路造成部分に関して、長野県教育委員会による発掘調査が実施されたが、主郭・内堀・馬場等が確認されている。特に主郭から多数の建物跡の痕跡と、多数の陶磁器類が検出され、当時の支配層の生活の一端が明らかにされた。
        長野県教育委員会  平成11年3月吉日    長野市西尾張部土地区画整理郭・組合

 飯田氏居館

 この居館跡は小布施SAの近くにある。空堀も残っているようであふるが、はっきりした遺構は未確認であるが、それらしき堀跡は撮影して来た。居館跡周辺は草地・果樹園・住宅地で真新しい標柱が良く目立った。又長野市周辺は桃の花が満開であった。

1 所在地 上高井郡小布施町古屋敷
2 遺構   空堀
3 掲示物 標柱
4 ナビの設定 小布施町飯田469地番の南側に標柱有
5 駐車場所 路上、車の通りはほとんど無い
6 概要   長禄元年(1457)や寛正2年(1461)に於ける高梨氏の狩田郷での、諏訪上社の頭役代官に飯田秀員名あり、館主は飯田氏が考えられる。又元亀2年(1571)のころは飯田郷は井上領であったので、井上氏の一族が住んだとも考えられる。(信濃の山城と館より一部抜粋)

7 訪問日 2018年4月15日
        飯田氏居館 標柱                          空堀跡
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大峰城


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 葛山城から大峰城迄は僅か4km弱の距離であった。葛山神社が300m北へ向かって走ると林道入口に葛山城への案内板があった。道路も広い、ズボンに草の実のつく心配もなさそうである。
 大峰城へは山岳道路を走って行くのでその途中、集落も何か所かあった。飯塚神社と言う社もあった。衆議院議員選挙のポスター掲示板も彼方此方に見かけた。大峰城は長野市斎場から徒歩で登る覚悟でナビは斎場入口に設定していた。以前訪問した時は閉鎖され諦めた時もあった。現地へ着くと城山へは侵入禁止ではなかった。おかげで舗装された道路を楽々大峰城へ着く事が出来た。途中長野NOの車が城山から下ってくるのに出会った外、誰にも会わなかった。二郭跡の駐車場に着く、東屋、トイレもある。閉鎖された博物館跡の模擬天守が荒れた主郭の中に建っていた。門を潜り階段を登る、主郭広場へ行く、雑草が繁茂、ここでは草の実は付かなかった。裏側は藪で回れず、北側の物見岩遊歩道へ降りたが、直ぐに引き返した。帰路は柴栗を拾いながら、城山を下った。

1 所在地 長野市箱清水
2 種別  山城 928/425
3 築城時期 戦国時代
4 遺構   郭・空堀
5 掲示物 案内板

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6 ナビの設定  長野市箱清水1612(大峰斎場)
  カーナビで斎場の地番を呼び出し出来す画面で探し、設定した。
7 駐車場所  大峰山公園駐車場(二郭跡)

8 概要  善光寺の北東大峰山頂に位置する。土豪の葛山衆が在城したとも伝えてえられるがはっきりしない。本曲輪跡に模擬天守が建設されたが、2008年に閉鎖された。模擬天守建設時に遺構は大きく破壊されたが、北の尾根筋に大きな堀切、南尾根筋に小規模な階段状の曲輪が見える。北の高所に堀切を伴う防護された曲輪は物見曲輪と思われる。堀切の規模からして武田方の陣城と推察される。いずれにしても川中島の戦いでは武田・上杉の争奪の城であっただろう。(週刊 日本の城)

9 訪問日  2017年10月8日
          模擬城門                           二郭跡の駐車場
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          主郭への階段                    バブルのおとし子か、 模擬天守
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         主郭裏の空堀                           図8の空堀
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