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この城跡は川口市にあり、稲付城より14kmしか離れていないが、一般道を通って赤山城へ向かったら予想以上に混雑、1時間近くも余分にかかった。おまけに城跡では山王神社前の公園駐車場へ停める予定が、ナビの設定の具合で、北から入り、路上駐典車する羽目となった。多くの人出があり、皆観光パンフ片手で散策しているが何処からもらっているのだろうとも思った。この城跡は復元も含め空堀遺構がよく残り、多くの説明板が立っており又城跡碑近くには農産物の直売車店が多く、ここも観光客で賑わっていた。
1 所在地 川口市赤山字陣屋敷・曲輪
2 別 名 赤山陣屋
3 築城時期 寛永6年(1329)
4 築城者 伊那忠治
5 種 別 平城
6 遺 構 空堀
7 掲示物 城跡石碑・説明板
8 ナビの設定 川口市赤山640を呼び出し、その60m位北に赤山城が地図に載っているのだ合わせる。
9 駐車場所 日枝神社に公園駐車場有・トイレ完備。今回多くの人出があるのに車は2台しか停まっていなかった。皆何処へ駐車はているのだろうと思った。
10 概 要 伊那氏は徳川幕府の関東郡代を歴代勤めた名門である。伊那龍蔵(忠次)の時家康に従って天正18年(1590)関東に入部し、小室等で1万石を領し、陣屋も小室に置いたが、半十郎忠治の時、寛永64年赤山領7千石を賜り、この地に陣屋を造って移った。しかし寛政4年(1792)摂津守忠尊の時、養子忠善の事に関し、所領を没収され忠尊は南部信房に預けられ、赤山城は163年に渡る歴史を閉じた。この間10代に及んだ。(日本城郭大系)
11 訪問日 2016.11.26
現地説明板から抜粋
右側農産物販売店 城跡石碑と説明板
復元された空堀 赤山日枝神社近くの空堀
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埼玉県の城館
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狭山市の城山砦から17km離れている山口城へは一般道を通って行った。城跡近くになると山口小学校の下校時間と重なり、付近の交差点には婦人警察官が交通安全確認をしていた。山口城前交差点のコンビニの駐車場を借用する。目の前の道路反対側に城跡碑・説明板が見えた。藪となっていたが、その南側の土塁跡の高い小山、量販店の入口を過ぎると西部鉄道側にも土塁が残る。踏切を渡ると深い川が流れていた。
1 所在地 所沢市山口
2 築城時期 平安時代末
3 築城者 山口小七郎家継
4 種 別 平城
5 遺 構 土塁
6 掲示物 石碑・説明板
7 ナビの設定 所沢市山口1550を呼び出し、コンビニ又は量販店に設定する。
8 駐車場所 コンビニ又は量販店の駐車場を借用する。
9 概 要 県指定史跡
山口城は武蔵七党の一つ村山頼家の子小七郎家継が平安時代末、水沢地に囲まれたこの地に館を築いた事に始まり、山口氏歴代の居館として戦国時代迄利用された。小田原北条家の所領役帳頼に山口平六なるものの名が認められると言う。
10 訪問日 2016.11.25
城跡碑と説明板 説明板の発掘調査の写真
説明板後の土塁 西部鉄道側にも残る土塁
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城跡の西側路上にカーナビを設定したらピッタシカンカン入口に着いた。駐車用のややひろいスペースもあり、空堀前にはベンチも用意されていた。入口左側に説明板、入口の土橋川には案内板が立っていた。そこから中に入る。右手に稲荷神社があり、二の郭である。左折すると右手に崖方面の道があり、直進すると直ぐ主郭となる。主郭の周辺は深い空堀が東側の崖方面を除き取り囲んでいた。土塁も高い。土塁上を歩き、二の郭を再び通る。三の郭は山林で下は藪となっていた。最後に入り口付近を再びカメラに収め、探訪を終えた。訪問の価値ある城跡である。
1 所在地 狭山市柏原
2 別 名 柏原城・上杉城
3 種 別 崖端城(日本城郭大系では山城となっていた)
4 築城時期 室町時代
5 築城者 上杉憲政
6 遺 構 土塁・空堀・郭・土橋
7 掲示物 説明板
8 ナビの設定 狭山市柏原2376を呼び出したら城山砦が地図に載っていたので、城山の西側道路に設定した。住宅地を過ぎ、農道を通り砦入口に着いた。
9 駐車場所 砦入口に駐車スペースが用意されている。
10 概 要 狭山市指定史跡
城は入間川駅北約4kmの入間川左岸の台地上に築かれている。川に面する台地は約15mのが崖となっている。天文14年(1545)から15年4月迄北条氏に奪われた川越城を奪還すべく、山内・扇谷両上杉氏と古河公方足利晴氏が8万騎で川越城を包囲した。その時上杉憲政が小田原城の備えとしてここに陣を張った。しかし北条氏の8千の兵に敗れ、この柏原城も落ちた(日本城郭大系)
11 訪問日 2016.11.25
入口の説明板・後は空堀 土橋を渡り二の郭を通る
東側 崖方面への道 主 郭
主郭東側 崖下方向の住宅地 北側の深い堀
主郭の土塁上を歩く 主郭を取り巻く空堀
二の郭に鎮座する稲荷神社 奥の森は三の郭・先日の雪がまだ残る
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1 所在地 秩父郡皆野町三沢茗荷谷
2 別 名 龍ヶ谷城・要害城
3 築城時期 戦国時代
4 築城者 用土新左衛門正光
5 種 別 山城 標高321m
6 遺 構 空堀・郭・石積
7 ナビの設定 三沢464脇の道路に設定、(県道82号の橋を渡りうどん屋手前を左折、すぐ左手に龍ヶ谷城説明板があった)着いたらそのまま道沿いに進み、民家前左手に小さな案内板があるので、見落とさない。車はその付近に停め、民家の小屋の裏から登り、その上の民家前を左折、お堂の前を通り山へ登る。
8 概要
新編武蔵風土記稿に鉢形城主北条氏那の家臣用土新左衛門正光の居城と記されている。伝承では正光の父藤田右衛門佐重利(後用土新左衛門重利)が築城したと伝えられている。茗荷谷と呼ばれるところが大手で、山裾の平坦地は茶坊主屋敷と呼ばれ、山頂迄の尾根道に、これを分断する小規模の空堀が8条走っており、その所々に平坦部があり、野面積みの石垣が僅かに残され、門跡と伝えられるところや、山頂部に近い平坦地は物見櫓と言われる郭も残っている。山頂の平坦地には用土氏代々の霊を祀る石祠がある。この城も天正18年(1590)鉢形城落城と共に役目を終え、廃城となつた。(日本城郭大系)
9 訪問日 2013年12月1日
左 県道82号の橋を左折した場所にある龍ヶ谷城説明板 右 民家前左手に立つ、茗荷谷コースの案内板。小さい看板である。
左 茗荷谷コース登城口付近、中央の小屋の裏通って登った。舗装の坂道を登ると民家があり、民家前に文字の消えそうな小さな案内板がある。そこを左折、お堂の前を通って山林の道を進む。写真の白っぽいのは霜が一面に降りていたからである。
右 道を進むと写真のお堂がある。ここを右折し、尾根道を登る。あとは迷う事なく主郭へ登れる。
左 尾根道を登る。 右 わかりにくいが堀切である。この後何ヶ所かの堀切を通った。
左・右 ともに堀切、左側は堀切と石積みが残っていた。
左 物見台、 物見台を過ぎれば主郭は近い。 右 主郭下の横堀。
左 主郭 右 主郭に立つ案内板、主郭内に城主用土氏代々を祀る祠があると言う事であるが、忘れて撮影しなかった。
左 主郭・朝日で主郭に筋状の影が写る。 右 主郭下、北側の二の郭
左 二の郭と三の郭間の堀切、(かなり大きな堀切である) 右 横堀と三の郭、ここも良く遺構の残る城跡でした。
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市指定史跡 秩父札所第22番永福寺が城跡である。巡礼者が途絶える事なく、一人、二人と訪れていた。この寺院は断崖の端に作られている事が周囲を廻って良く分った。又ここの仁王様は特徴のある顔をが有名のようだ。
1 所在地 秩父市寺尾永田
2 築城時期 室町時代
3 築城者 永田林四郎・諏訪七右衛門・寺尾彦三朗・同彦五郎・
4 種 別 館
5 遺 構 土塁・空掘・水堀
6 ナビの設定 秩父市寺尾3600 永福寺
7 駐車場所 永福寺駐車場
永田城 田中正光氏著 秩父路の古城址より抜粋・加筆した。
8 概 要 永田城の表は南側で、北側は唐沢を天然の堀とし、西側には土塁を築き、南側は断崖絶壁で、東は荒川と唐沢が合流しており、自然の地形を巧みに利用している。伝承によると永田林四郎の居城・また天正の頃は諏訪七右衛門が居城したとも、鉢形城主北条氏那の臣寺尾彦三朗の居住したとも言われ、確かな史料は残されていない。現在城跡は秩父札所22番西陽山永福寺があり、信仰を集めて
いる。 (日本城郭大系)
9 訪問日 2013年11月30日
左 永福寺駐車場の案内板・永田城が掲載されていた。 右 愛嬌のある仁王様がいる仁王門 左 市指定文化財の永福寺の童子堂 右 寺院墓地西側、竹林の下は崖(永田城は崖端城でもある)
左 南側の土塁と空堀・案内図ではこの場所が永田城となっていた。 右 同・土塁と虎口、土塁上には地蔵尊が祀られている。
左 南東側の土塁、この下の崖。 右 南東側に荒川側へ下る道あり(城跡の遺構か?)
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