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以前訪問した場所は関宿城博物館である。いつか本来の跡地と思っていたが、ようやくその機会が訪れた。現地に着くと城跡は畜産団地・住宅・畑・本丸跡周囲は水田に囲まれていた。本丸跡には先客がいた。撮影を終わり帰り際、又別な城キチが訪れた。本丸跡はさびれた城跡の趣があって好感を持てた。博物館も周囲を巡り帰途についた。
1 所在地 野田市関宿久世郭
2 ナビの設定 野田市関宿町248の500m程北側道路沿い右とした。
3 掲示物 説明板・城跡碑
4 訪問日 2015年
畜産団地に立つ説明板 牛の運動場前の説明板
関宿城曲輪について(牛の運動場前の説明板)
本丸跡の城跡碑 本丸跡の関宿城の歴史説明
関宿城の歴史
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千葉県の城館
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この城を車で来る場合河川敷に駐車場があると看板が出ていたが、近くの天満宮境内に駐車した。境内に駐車する場合、500円の協力金をお願いしますと書かれていたので、参拝も兼ね、賽銭箱に500円を入れ、里見公園北口より入った。土塁・空堀も残っているが、改変され、城の堅固さは不明であった。
1 所在地 市川市国府台3丁目(里見公園)
2 別 名 市川城
3 種 別 平山城
4 築城時期 康正2年(1456)
5 築城者 千葉実胤
6 遺 構 土塁・空堀
7 掲示物 案内板・説明板・石碑
8 ナビの設定 市川市国府台3-9(里見公園)
9 駐車場所 江戸川河川敷(案内板があります)
10 概 要 康正元年の内紛で、自害した千葉氏宗家千葉胤直の甥、実胤と自胤が、江戸川を望む断崖に砦を築いた。兄弟は武蔵に敗北するが、文明11年(1479)自胤を援助する太田道灌が城を整備した。城は二度の合戦の場となった。第一次国府台合戦は天文7年(1538)北条氏綱と里見義堯・足利義明連合軍の戦い。第二次は永禄7年(1564)北条氏康と里見義弘との戦いで、何れも北条氏の勝利であった。城は徳川家康の関東入国で廃城となった。城跡は里見公園となり、土塁と里見兵士の供養塔がある。(小学館 日本の城)
11 訪問日 2015年11月23日
駐車した天満宮の説明板、ここも城跡である。 北側から公園へ入った
空堀跡 土塁跡を進む
やや高台へ登る 市川市最高所の標柱が立っていた
花壇広場へ向かう 花壇広場・城跡石碑
国府台城説明板 国府台は名所江戸百景に入っていた
羅漢の井 この井戸は江戸名所図会に描かれていた 矢切の渡し(ここから江戸川が見えた)
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この城跡は遺構が良く残っていた。城跡公園となっており、専用駐車場及びトイレも完備されていた。天候が優れない為が、来訪者の車両は当方の外、一台だけだった。間もなくその車両も帰り、城跡を一人占め出来た。
1 所在地 印南市師土字竜ケ谷
2 種 別 平山城
3 遺 構 郭・土塁・空堀
4 掲示物 説明板・石碑
5 ナビの設定 印西市師土(印幡沼公園)に設定する。
6 駐車場所 公園北側に専用駐車場あり、トイレ完備
7 概 要 この城の本城は臼井城と言われ、目の前1.5kmの距離に臼井城がある。その臼井城主臼井家由来抜書らによると、鎌倉時代には師土四郎なるものが、居城していたと言う。戦国時代になると、臼井、師土城共原一族の支配するところとなった。昭和40年代に西部が土取りで一部破壊されたが、大部分が残っている。(日本城郭大系)
8 訪問日 2015年11月23日
二郭・展望台方向から巡る 二 郭
展望台 展望台からの印幡沼眺望
主郭、二郭間の土塁と空堀 主 郭
主郭、二郭、三郭間の空堀 同左に架かる橋
三 郭 四 郭
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堀切跡に駐車場が用意されていた。空堀・土塁・土橋・主郭・二の郭と良く遺構が保存されている城跡だった。
1 所在地 佐倉市臼井字城ノ内(臼井城跡公園)
2 築城時期 12世紀中頃
3 築城者 臼井六郎常康
4 種 別 平山城
5 遺 構 曲輪・土橋・空堀・土塁
6 掲示物 案内板・説明板・石碑
7 ナビの設定 佐倉市臼井字城ノ内625の西側を走る道路に設定した。
8 駐車場所 広くはないが公園駐車場有
9 概 要 城跡は東端の主郭と西の二郭か公園となっている。その間は大きな空堀で土橋がかかる。戦国時代前半は臼井氏、後半は原氏の居城であった。天正18年小田原北条氏と共に滅亡迄原氏の本城であった。
10 訪問日 2015年11月23日
駐車場から土橋へ登る階段 主郭と二郭間の空堀、土橋上から撮影する
土橋を渡って主郭へ向かう 主郭、虎口付近には古峰神社が祀られていた。
主郭、南北下の腰曲輪 主郭をひと巡り後、土橋を渡り二郭へ
二郭の土塁、この外側に空堀が良く残る 二の郭
二郭虎口に城嶺夕照(名勝・臼井八景)の説明板、この付近に石碑、祠、石塔類多し、右下の写真は公園西側の民有地、この辺一帯し城跡である。
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説明板は3郭にあった。広い城跡である。荒れているが、土塁、空堀は良く残っているようだ。
1 所在地 千葉市緑区土気町
2 築城時期 長享2年(1488)
3 築城者 大野東人・土気太郎・酒井定隆
4 種 別 平山城
5 遺 構 郭・土塁・空堀
6 掲示物 説明板
7 ナビの設定 千葉市緑区489-1 この住所の北隣の道路を北西に進めば、3郭の案内板の場所に至る。
8 駐車場所 路上(周辺は畑であり特に問題は無い)
9 概 要 城の草創は奈良時代に迄さかのぼり、鎮守府将軍大野東人が当地に貴船城を築いたのがはじまりと言われる。長享元年、酒井定隆は畠山氏からこの城を奪い、大改修をした。定隆は遠江に生まれ、関東に下向し、古河公方足利成氏について各地を転戦、土気と東金の地を得たと言う。その後酒井氏は5代100年に渡り、土気城を居城とし、里見氏傘下の後、北条氏に属し、小田原落城と共に廃城になった。(小学館 日本の城より)
10 訪問日 2015年11月22日
説明板はⅢの郭に立っている 樹木の場所にⅢ郭とⅡ郭間の深い空堀と土塁がありました
Ⅲ郭とⅡ郭間の土橋状の道、両側に土塁と空堀 Ⅱ郭には高齢者専用賃貸住宅が建っていました
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