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従姉妹に昼食を奢ってもらいました。
彼女は車の運転ができ、我が家まで迎えにきてくれました。久しぶりのドライブに「あれっ!道間違えたみたい」「いいよいいよ間違ってその分ドライブが長く出来るから」と。
美味しい日本料理のランチでした。ミニ会席料理のようで綺麗な創作料理でお味も凄く美味しくラッキーでした。
なにしろこのところご馳走には縁遠く「感謝!感謝!」の昼食でした。家に帰る途中に美味しいと言うケーキやさんでケーキを買うからと彼女1人がお店に入りました。
それから我が家に帰りケーキの箱を開くとバースデーケーキでした。上にマンゴウをムース状にして、今まで食べた事のないほど凄い美味しいケーキでした。
60歳なのでろうそくを6本たて、思い出に残る素晴らしい誕生日でした。本当に彼女にはお世話になりっぱなしですが今は全部甘えておんぶされています。
彼女は本が好きで図書館通いをしています。この頃少し覚えてた手相を見ると「文章力あり」の線が出ています。
彼女は嫁姑で今苦労のまっただ中です。
ずっと思い続けていたのは「何故年長者の姑さんは年を重ねているだけ人間として成長しているはずなのに、それが何故若い者達をかばうような寛容さがどうしてないんだろう」と
「お嫁さんを可愛がり、良い人間関係を作ることが息子が幸せになることなんだ」と何故思わないんだろう。
私は次男が結婚した時にお嫁さんに私の事を「お母さんと呼ばないで、きみ子さんと名前でよんで」と頼みました。無理な注文をして悪いなと思いましたが、こうする事が将来よい人間関係を保つ事になると言う確信がありました。
でも1年はやはり遠慮して「きみ子ママ」でした。毎回電話を次男のところにかける時は「きみ子さんよ!」が第1声です。
ちょうど孫が生まれて30日のお宮参りの日に赤ん坊をママと抱き変える時に「すみません。きみ子さんバッグ持ってください」と初めて言ってくれました。もう忘れません、本当に嬉しくて。それからはずっと「きみ子さん」で会話しています。
結婚して3年以上になりますが、1度も問題は起こりませんでした。私もすべて腹を割って話します。
「お母さん!」と呼ばれると「何!」と姑として構えるのです。昔からの「嫁姑」の言霊が悪戯しているのだと思います。
「嫁」と言う言葉も嫌いです彼女の事は人に話す時は名前で言うか次男の奥さんと言う言い方にしています。
誰も信じてくれませんが、1度も彼女を悪く思った事はありません。問題があった時は息子を叱ります。
「息子に奥さんを大事にしなかったら、結局は自分に返ってくるんだからね」と
母親と彼女とが人間として対等な立場で付き合う事が一番大事です。
黙っていても年長者の様子から良いと思う事は真似をします。「ああしなさい、こしなさい」と言わなくとも。
年長者も若い者のやる事にも合理的で感心する事はあります。その時は私は喜んで真似をします。
それでいいのではありませんか?年長者が頭の上から物を言う、最低の行為だと思います。
我が家には「嫁姑」は存在しません。
孫達が幸せになれるかどうかは年長者の人間性の問題です。
「若い者が未熟なのは当然です。年長者は生きてきた年数も多いし経験も豊富です。そんな年長者が若い経験の浅い者達をいじめてどうする。知恵を使い諍いをせず優しく若者を導く、これこそが長老の神様から与えられた責務なのです。その自覚をもってほしい」
「今の若者が頼りないから日本は駄目になる」と言う人がいます。
「でもそんな子供に育てたのは誰?」彼らの年長者達ではありませんか。
今は若者を責めるよりも年長者たち自身の人間性の問題の方が大きいと思います。
こんな考えは私だけでしょうか?
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私は嫁の立場ですが、嫁姑に限らず人が年齢を重ねていく上で大切なことを書いていらっしゃると思いました。職場には私にも後輩がいますし、年下の友人もいます。彼らの先を生きている者としてしっかりしないとと思います。同時に、年長者に甘えたり依存したりし過ぎないようにしなくてはいけませんね。自立した個人が互いを思いやって繋がる人間関係が私の理想です(あくまでも理想は高く!)。多くのことを考えさせていただき、至らない文章ですがブログの記事にしてみました。ありがとうございました。
2005/9/1(木) 午前 7:48 [ ara*ia*es*us ]
コメント有り難うございました。私もまだ未熟な人間で自分で書いた事に時々「私が間違っているのでは?」と思う事も度々です。理解して頂けた方がいらっしゃったのでとても嬉しく思います。お互いにこれから日本をしょって立つ若者の良き先輩になれるように頑張りましよう。
2005/9/1(木) 午後 0:11 [ aga*a*88 ]