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小説の舞台は、1980年代後半と思われるタイ国の首都、バンコク。まだ水路としての「運河」が都市の生活において本来の役割を果たし、別名「水の都」と人々に呼ばれていた時代だ。その水の都を縦断するチャオプラヤ河のほとりで、豪奢な邸宅に住むひとりの日本人女性、藤倉恵子と、その邸宅の持ち主であり、王家の血筋をひくタイ人男性イアムサマーツとの恋物語を軸に、小説「愉楽の園」は展開してゆく。
作品中に描写される都市としてのバンコクの様子は、非常にリアルだ。日本人として同じアジアの一国であるタイを見た時、かずかずの共通点を見い出すと同時に、決定的な相違点をも明確に感じる場合が少なくない。そういった意味では日本人にとって馴染みやすく、また真に理解するには非常に難しい、奥ふかい民族国家でもある。現代タイ社会をかたち作るうえで「華僑」や「王政」「仏教」「同性愛」「買売春」といったファクターは、欠かすことのできない構成要素なのだが、それらを物語の軸とし、また伏線として巧みに描写する筆者の力量には脱帽せずにいられない。執筆のための取材で、宮本輝はバンコクのどこを見て、何を感じたのだろう。これほどまでにタイの社会をリアルに描写している作品は、現代日本文学を眺めてみても、きわめて珍しいのではないか。
著者、宮本輝は「あとがき」のなかでこう述べている。「……私の真の処女作は、『弾道』という題の、バンコクを舞台にした小説でした。それを、私は二十七歳のとき、会社勤めをしながら書いたのです。……文藝春秋で小説を連載しないかというお声をかけていただいたとき、私は即座に、まったくの未完成であった真の処女作を甦らせようと決めました。……」日本を代表する作家宮本輝の、その処女作の舞台として選ばれたバンコクという土地の魅力とは、いったいなになのか。バンコクに住み、生きる日本人のひとりとしては、生まれ変わった処女作である本作品の持つふところの深さに、驚嘆せずにはいられない。そこに住むがゆえにすでに見えなくなっている「何か」の存在に、あらためて意識を向ける大切さを気づかせてくれる作品だともいえるのだ。
この作品が出版された1989年当時、アジアの一国であったタイ社会の様相は、今日のそれとは随分と異なっていたはずだ。2006年現在までの17年間の間に、「革命」や「経済危機」といった、人間の価値観そのものをゆさぶる出来事を経験してきたタイは、日本の戦後経済復興を数分の一に凝縮したような、信じられないスピードで変化し続けてきた。タイは、今まさに「激動」の時代を生きている。しかし、あえて独断的な私見を述べさせてもらうなら、宮本輝がみた当時のタイ社会をささえる絶対的な根幹の部分は、いまも何ひとつ変わっていない。だからこそ、現代とのわずかな差異や、絶対的な存在である何かを、読むものの脳裏に鮮やかにイメージさせるチカラをこの作品は持っている。バンコクという都市の歴史的変遷を想像しながら読みすすめる「愉楽の園」は、現代タイ社会となにかしら関わりつつ生きてゆこうとしている日本人にとって、格好の教材になりうるだろう。
愉楽の園 宮本輝 文春文庫/1992/\524
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