|
MADE IN ITALY Design:Marcel Breuer
デザイナー:マルセル・ブロイヤー プロフィール
マルセル・ブロイヤーは、バウハウスの第一期生であり、しかもその最年少の一人だった。
ブロイヤーは、1902年、ハンガリーのペーチで生まれている。はじめ美術の世界に心ひかれて、ウイーンに出て、絵や彫刻の勉強をしたいと考えていた。事実、ウイーンでは彼は美術学校に入っている。しかし、しばらく勉強しているうちに折衷的、保守的な教育にすっかり退屈してしまい、誰かに弟子入りして、直接、工芸を勉強してみようかと考えるようになっていた。ちょうどそのころ、グロピウスらがワイマールにバウハウスを設立したいという話をブロイヤーは知り、1920年の終わり頃、彼はウイーンを離れて、ワイマールに向かった。ブロイヤーがここで新しい造形教育の洗礼を受けたことは言うまでもない。彼は新しいデザインの目指す機能主義を的確に学びとり、美術と技術の融け合う合理的な造形の世界をハッキリと自覚した 。そしてブロイヤーは、いち早く家具のデザインの分野に心ひかれ、注目すべき作品を生みだしていった。1924年、22歳の時は、彼は早くもバウハウスの家具部門の指導を受け継ぐことになったのである。
この1924年、ブロイヤーは木製の肘掛け椅子を試作している。これは一見してリートフェルトの作風を思わせるもので、明らかにワイマール時代のブロイヤーがデ・スティルの影響を強く受けていたことを示していたが、しかし、翌25年になると、初めて金属パイプを使ったアームチェアーを作り出し、ブロイヤーの独自の道を明確に見いだしている。
当時バウハウスは苦難の転換を試みていた。なぜなら、革新的なバウハウスの教育は、多くの人々から注目される反面、保守的な人々から強い反感と圧迫を受けるようになってきた。とりわけ、このバウハウスは社会主義政府の時代に設立されたため、保守系の人たちの中にはこの運動そのものが社会主義的色彩の濃いものだと政治的に誤解するものも少なくなかったからだ。こうして1924年の終わり頃にはワイマールのバウハウスは閉鎖の運命に追い込まれていった。そこでグロピウスらは、ワイマールからバウハウスを移動させるよう考え、デッサウ市の協力のもと1925年に「私立バウハウス」がデッサウに誕生した。ブロイヤーの教師としての活動はこのデッサウで始められ、金属パイプのアームチェアーも、もちろん、ここで制作された。
ここに紹介する1925年作の「アームチェアー」は、そのときに作られたもっとも有名なもので、デッサウのバウハウスのキャンパスの中にあった画家ワシリー・カンディンスキーの住まいに使われていたものである。その別名「ワシリー・チェアー Wassily chair」と呼ばれている。いずれにせよ、このアームチェアーはゆったりとした、しかも美しい構造と秩序を示している。そしてブロイヤーの初期作品にも関わらず、自然な、無理のない造形で、金属パイプの特質を心にくいまでうまく活かし、今日の目からしても決して時代遅れの古くささを感じさせない。個性ある作品となっている。事実、この椅子は1965年からミラノのガヴィーナ社で未だに制作され、売り出されている。
http://tinyurl.com/3cszwv
|