|
「贖宥」という言葉をご存知でしょうか?
東京堂出版『キリスト教用語辞典』を引きますと次のように載っています。
[贖宥] キリストと諸聖人との功徳の宝蔵から教会の与える有限の罰の償いの免除で、生きている信徒には赦免により、死せる信者には代願により授けられる。有限の罰を悉く赦す全贖宥とその一部のみを赦す分贖宥とがある。
「贖宥」(現在は「免償」ともいう)というのはカトリック教会の制度で、特定の祈りや信心業などに付与されています。
たとえば、ある祈りに「分贖宥(部分免償)」が付いているとします。教会が定めた条件を満たしてその祈りを唱えると、赦された罪の有限の罰の償いの一部が免除される、ということです。・・・なんのこっちゃ、でしょうか?
ルターさんが「宗教改革」を始めるきっかけとなったのが、「贖宥状販売」だったと言われています。お金を払って「贖宥状」を買うと、免償を得ることができるというもの。
これは確かに教会の制度の濫用だとは思いますが、はてさて、「贖宥」という制度そのものが悪いのか否かは意見が分かれるところです。
ところで、よく「免罪符」なんて言いますが、それは誤訳。罪を赦すのではなくて、既に赦された罪の「有限の罰」に対する償いを免除するのです。
罪の赦しだろうが償いの免除だろうが大して違わないよ、カトリックが聖書から離れて勝手に作った悪習だろう? な〜んて考えてらっしゃるあなた。
いえいえ、もともと贖宥ってのは神の愛から生まれた、なんとも素晴らしい賜物なんですよ。
それに、聖書がカトリック教会の中で作られたのだから当然ではありますが、聖書に矛盾するどころか、実に福音的な制度なんです。
今日は、贖宥(免償)についてお話ししてみたいと思います。
贖宥(免償)について話を始めるに当たって、まずは教会の教えを見てみましょう。
『カトリック教会のカテキズム』(以下「カテキズム」と略)では、免償の項目で次のように述べられています。
教会のこの教えと実践とを理解するには、罪が二つの結果をもたらすことを理解する必要があります。大罪はわたしたちの神との交わりを断ち、その結果永遠のいのちを受けることを不可能にします。この状態は、罪の結果として生じる「永遠の苦しみ(罰)」と呼ばれます。他方、小罪も含めたすべての罪は被造物へのよこしまな愛着を起こさせます。人はこの愛着から、この世であるいは死後、清められなければなりません。死後の清めの状態は煉獄と呼ばれます。この清めによって、人は罪の結果として生じる「有限の苦しみ(罰)」といわれるものから解放されます(「カテキズム」1472)
ここでは、
・罪には「大罪」と「小罪」の2種類がある
・大罪は「2つの結果」をもたらす
ということが、贖宥(免償)について考える上での大前提だと言われています。まずはここから見ていきましょう。
2種類の罪
罪には2種類あります。大罪と小罪です。
大小というと何だか「程度の差」のように思えてしまうのですが、そうではありません。
日本語の訳がまずいんですね。
「大罪」はラテン語で「peccatum mortale」、つまり「致命的な罪」という意味。
「小罪」は「peccatum veniale」、つまり「赦され得る罪」という意味なんです。
本当の意味での罪、完全な罪(変な言い方ですが)、というのが「大罪」です。
一方、「不完全な罪」が「小罪」、と考えてください。
大罪とは、
1、重大に神に背くことがらについて
2、それが罪であると自覚しつつ
3、実行しようと決意する
という3つの要件を満たすもの、と定義されています。
その3つの要件の1つもしくは2つを満たさないものを小罪といいます。
大罪の1つ目の結果
さて、大罪は2つの結果をもたらします。
1つ目は、神との関係が断絶するという結果。「恩寵の状態」でなくなり、「大罪の状態」になる、と言います。
救われる(天国に行く)可能性がゼロになること、要するに死んだら即、地獄落ちだよ、ということです。
「カテキズム」では、これを「永遠の苦しみ(罰)」と呼んでいます。
大罪の2つ目の結果
2つ目の結果は、神以外のことで正しい秩序が失われるということ。
自分の悪い行いのせいで被害を受けた人との関係も壊れますよね。弁償せねばなりません。
そして何より、悪い意志・行為によって、自分自身をも傷つけているのです。
罪を犯す、つまり霊魂を悪の方向に傾けさせることで、霊魂は恩寵の状態を失う(ひとつめの結果)一方で、「被造物へのよこしまな愛着(1472)」などの、「悪への傾向性」、良くない習慣というかハビトゥスhabitusを獲得する(ふたつめの結果)わけです。
真っ直ぐに生えている草木を、盆栽みたいに力を加えて歪め、曲げているようなイメージです。罪を犯した後でも、つまり悪への圧力を取り除いても、一度曲がった草木が元通りにまっすぐになるわけではありませんね。
これが2つ目の結果、「有限の苦しみ(罰)」です。
小罪の結果
一方、小罪というのは言うなれば不完全な罪ですので、大罪の1つ目の結果、つまり神との関係を失うということはありません。小罪だけでは地獄に落ちることはないんですね。大罪さえなければ人はいつか必ず天国に行けるんですよ。
とはいえ、小罪だって、悪い意志・行為で自分自身を歪め、汚すということには変わりはありません。
「カテキズム」で、「小罪も含めたすべての罪は被造物へのよこしまな愛着を起こさせます。・・・罪の結果として生じる『有限の苦しみ(罰)』といわれるもの」と書かれている通りです。
要するに小罪には、大罪の2つの結果のうち2つ目の結果だけがある、ということですね。
これからは、話を分かりやすくするために、
大罪の1つ目の結果を単に「罪の1つ目の結果」または「永遠の罰」、
大罪の2つ目の結果と小罪の結果を合わせて「罪の2つ目の結果」または「有限の罰」
と呼ぶことにします。
次回は、罪を犯した人がどうやって天国に入る資格を取り戻すことができるのか、という問題を取り上げて、そこに働く神の愛をお知らせしたいと思います。(つづく)
続きを読む
http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/25588434.html
|