ここから本文です
カトリック的。
信徒数13億人でも日本では知られていないカトリック。正統キリスト教会を気楽にご紹介します。

書庫全体表示

十字架のしるし 2


一つ目の唱え方

弟子 キリスト者は十字架のしるしを何通りに唱えるのですか。

師匠 二通りあるよ。まず一つ目だが、右の親指で額と口と胸に十字架のしるしをするんだ。(注1)

 その3回のしるしをする時には、何と唱えるのですか。

 「Per signum crucis de inimicis nostris libera nos, Deus noster. (我らの天主、十字架のしるしによりて我らを敵より救い給え)」と唱えるんだ。
「ペル・シニュム・クルチス(十字架のしるしにより)」と唱えて額に親指で十字架のしるしをする。次に「デ・イニミチス・ノストリス(我らの敵より)」と唱えて口に十字架のしるし。最後に「リベラ・ノス、デウス・ノステル(我らを救い給え、我らの天主よ)」と唱えて胸に十字架のしるしをするんだ。

 額、口、胸の三箇所に十字架のしるしをするのはどういう意味があるのですか。

 額にしるすのは、天主の助けによって悪い思いを取り除くため。口にしるすのは、悪い言葉を口にしないようにするため。胸にしるすのは、心から生じる悪い行いを避けるためなんだ。
十字架ほど悪魔が恐れるものはないから、私たちはいつも自分に十字架のしるしをすることが大切だよ。というのも、悪魔は霊である(注2)から、どんな剣をもってしようと恐れはしない。けれども、主イエズス・キリストが十字架の上で亡くなったことによって悪魔は捕らえられ、人は自由になった。悪魔は、自分から悪魔に近づく者以外には害を与えることができなくなった。それで、悪魔は非常に十字架を恐れるんだ。

 主は悪魔を捕らえられたのに、どうして悪魔は人間に害を与えることができるのですか。

 たとえで説明すると、鎖に繋がれた虎や狼は、それらのそばに近づく者にだけ噛み付くことができるように、主イエズス・キリストが十字架上で悪魔を捕らえられたといっても、罪によって自分から悪魔のそばに近づく者には悪魔が害を与える、ということだね。何であれ大罪を犯す時は悪魔のそばに近づき、回心して罪を捨てようとする時に悪魔のそばから退くわけだ。
こういったことすべてが、十字架の上でなくなった主の功徳によるものだということを悪魔はよく知っているから、十字架を非常に恐れるんだ。聖ヒエロニムス(注3)が言っているように、犬が打たれた杖を見て逃げるようなものだね。
聖グレゴリウス(注4)があるユデア人について書いているんだが、その男は信仰を持たず、十字架を崇敬せず、むしろ軽んじていたんだけれども、ある時に多くの悪魔が群がっているところに出くわして恐れおののき、危害を加えられないように自分に十字架のしるしをした。すると悪魔は「信仰を持たぬ愚か者であるが、十字架のしるしをするので害を与えることができない」と言って、たちまち逃げ去ったということだ。信仰を持たない者ですら十字架のしるしによって悪魔を祓った(注5)のだから、善いキリスト者が唱えるのならどうなるだろうかね。


注1 十字架のしるし

「人は心で信じて義とせられ、ことばで宣言して救いをうける」(ローマ10・10)
「信仰があると自称しても行いがなかったら何の役にたとうか」(ヤコボ2・14)

キリスト者は、ただ内面で信じるだけでなく外面にもその信仰を表すことを求められている。キリスト者として自分が天主の側に立つ者であることを体で表現し、天主の恩寵を祈り求めるのが、「十字架のしるし」(俗に「十字を切る」という)である。
本文で先に挙げられている額・口・胸に十字架のしるしをする方式は、ミサ聖祭中、聖福音書朗読に際して行われるのと同じである(但しその時には「Per signum crucis…」は唱えない)。本文後述の通り、「思い・言葉・行い」において福音の精神を受け入れ、実行することができるように祈願するものである。

注2 悪魔は霊的実体

人間は霊魂と肉体とが結合したものであるが、物質的な肉体を持たない、より高次の実体も存在し、これを霊または「純霊」と称する。天主は言うまでもなく霊である。天主によって創造された純霊を一般に天使Angelusと呼ぶ。物質界に無数の動物が存在するように、霊的領域においても低次(と言っても物質的肉体を有する人間より高次である)から上は天主に至るまで、様々な階梯の霊的実体が存在すると推測され、聖書にも無数の天使の実在することが記されている。
さて、悪魔もまた純霊(天使)である。万物を創造した天主が「よしとして満足された」(創世1・31)とあるとおり、悪魔も本来は善き天使であったのだが、自己の卓越性に酔い天主に反逆したために恩寵を失い、永遠の断罪を受けた。「私は天にひらめく稲妻のように、サタンが落ちるのを見た」(ルカ10・18)。悪魔は人間を罪に誘惑して天主から遠ざけ、その霊魂を破滅させようとする。
なお、近代の一部の学者は悪魔の実在を否定し、「悪魔とは人間の持つ悪しき意志の寓意である」と説くが、そのような教説は霊的実体たる悪魔の実在を繰り返し語る聖書と対立するばかりか、物質界において下等生物から人間までの無数の階梯があるのだから、存在者の最高位である天主と人間との間にも同様の霊的存在の階梯があるとする極めて妥当な推論を無視する謬説と言わざるを得ない。

注3 聖ヒエロニムス

?年〜419年。聖人(祝日:9月30日)、司教・教会博士。
聖イエロニモとも。四大ラテン教父の一人。彼がラテン語に翻訳した聖書は「ヴルガタVulgata」と呼ばれ、改訂を加えられつつ現在でもカトリック教会の規範版となっている。

注4 聖グレゴリウス

540年〜604年。聖人(祝日:3月12日)、教皇・教会博士。
第64代教皇グレゴリオ1世(位590年〜604年)、四大ラテン教父の一人。その徳性と業績により「大Magnus」を冠して「聖大グレゴリオ」と呼ばれる。グレゴリオ聖歌は彼の名にちなんだもの。

注5 悪魔祓い

「信じる人々は私の名によって悪魔を追い出し」(マルコ16・17)
悪魔は通常、人間に対して直接間接に働きかけて罪へと誘惑するものであるが、稀に人間に憑依することがあり、一般に悪魔憑きと呼ばれる。イエズスはその公生涯の間に度々悪魔祓いexorcismusを執行し、弟子たちにも悪魔祓いには「祈りと断食」が必要であると説いた(マルコ9・29)。カトリック教会の下級聖品には、聖職位階の一つとして祓魔師(exorcista、所謂エクソシスト)が存在する(但しそれは飽くまで名目上の階級であり、実際には司教の任命を受けた司祭等が祓魔師、エクソシストとして悪魔祓いの儀式を行っている)。
本文のユデア人の挿話はもちろん悪魔憑きとは関係ないが、悪魔の攻撃を回避するために十字架のしるしが有効であること、その有効性が信者であるか否かに依存するのではなく、天主が十字架に賦与した威力によることが示されていて興味深い。十字架は本来処刑具であるが、主イエズス・キリストの救世の祭壇となったことにより比類ない栄光を帯びることとなったのである。

検索 検索
カトリック的。
カトリック的。
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事