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二つ目の唱え方
弟子 一つ目の唱え方は分かりました。もう一つの唱え方を教えてください。
師匠 もう一つは、右手を額から胸へ、左の肩から右の肩へ、十字架のしるしをするものだ(注1)。この時、「In nomine Patris et Filii et Spiritus Sancti. Amen.」と唱える。これは、「父と子と聖霊とのみ名によりて、アメン」という意味だよ。「イン・ノミネ・パトリス」と唱える時には手で額を指し、「エト・フィリイ」で胸を指し、「エト・スピリトゥス」で左肩、「サンクティ」で右肩を指すんだ。
弟 この唱え方は何のためですか。
師 私たちを天主の似姿としてお造りになった天主、すなわち、聖父・聖子・聖霊の三つの位格personaにして一体にまします天主を表し、礼拝するためだ。(注2)
弟 その他に別の理由がありますか。
師 主イエズス・キリストが十字架上で私たちをお救いになったことを表すためだ。
弟 この十字架のしるしは、どのような時に唱えるものですか。
師 何か行動を始める時、寝る時・目覚めた時、家を出る時、あるいは教会に入る時、食事の始めなどに唱える。それから特に、苦難に直面した時に唱えるね。
弟 この十字架のしるしを色々な機会にするのは、どういう訳があるのですか。
師 天主が私たちを悪から救ってくださるように唱えるのだから、いつでも、どのようなことにでも、十字架のしるしをするのがいいんだよ。
弟 何か行動を始める前に唱えるのは、どのような意味がありますか。
師 その行動が私たちの敵によって妨げられず、天主への奉仕となり、また天主の栄光を表すものとなるようにするためなんだ。
注1 十字架のしるし
俗に「十字を切る」と呼ばれるのがこれである。なお東方正教会では右肩から左肩へ手を動かす。いずれにせよ、正統キリスト教では内心で信ずると同時に外的行動でも信仰を示すべきとされ、こういった象徴的身振りによっても信仰を宣言するのに対し、近代に成立したプロテスタント教では信仰は個人の内面の問題に過ぎないとされ、外的に表現すことは偽善として忌避される。
日本ではキリスト教に対する無知が蔓延しており、プロテスタントでは十字架のしるしが行われないことを知らない者も多い。またテレビや映画などで(「十字」という言葉に引きずられてであろう)「左右・上下」の順で十字架のしるしをしていることがある(正しくは「上下・左右」の順)。
注2 聖三位一体
天主は唯一であるが、聖父・聖子・聖霊の三つの位格(ペルソナ)があり、これを「三位一体Trinitas」と呼ぶ。三柱の天主があるのではない。後の章で詳述されるので、そちらを参照のこと。
十字架のしるしをしながら聖三位の名を呼び、礼拝するのである。
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